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  1999年9月16日(木曜日) 晴れ
七年前の予言

 古いファイルをたどっていたら、1993年にソウルで発表された「21世紀に向かう韓(朝鮮)半島」 という報告書の記事が出てきた。

4 ◎金日成主席、95年までに退陣 
              各国研究者ら50人予測

1993/06/25 朝 刊

韓国週刊誌報道 体制変化、2000年には崩壊

【ソウル24日共同】6月24日発売の韓国の時事週刊誌、週刊朝鮮によると、韓国、日本、米国、中国、ロシアの外交官や研究者計50人が朝鮮半島情勢を予測した結果、1995年までに朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の金日成主席(81)が高齢で退陣するか死亡し、2000年には南北が統一すると予想する人が多かった。

 92年に書面で行った調査で、延世大の崔平吉教授が最近「21世紀に向かう韓(朝鮮)半島」という報告書にまとめた。--以下略--

 以下、この報告書の予測と実際の経過を比べてみよう。先に忘暮楼の感想を書いておく。

金正日への権力移行の時期、食糧危機発生の時期の予測は見事に的中している。

 金正日書記一派の実力への過小評価があるためか、大衆蜂起やクーデターの予想は外れてしまっている。同様に来年は朝鮮民主主義人民共和国の崩壊が予想されていたが、そうは行かないのではないか。

1992年の予想 実際の経過
1970年11月、朝鮮労働党第五回大会で、「党の唯一指導思想」であるチュチェ思想を全国民に徹底させることを決議。

 1972年12月、社会主義憲法が制定され、新設の主席に就任した金日成は独裁を法的に認められた。

1973年から長男金正日らが率いる三大革命小組運動が盛んに展開され、この運動の過程でチュチェ思想の体得が極限まで強調されるとともに、金日成に対する個人崇拝が精力的に進められた。
 1992年1月国際原子力機関(IAEA)との核査察協定に調印したものの、翌93年3月核拡散防止条約(NPT)からの脱退を表明し、北朝鮮は国際社会からの孤立を深め、情勢はにわかに緊張。
1973年9月党書記、74年2月党政治局委員に就任した金正日、まもなく「党中央」の名の下に君臨。
80年10月第6回党大会で、金正日は公式に「後継者」として認定された。
 韓国との経済格差が開く。

1983年10月ラングーン爆弾テロ事件。87年11月大韓航空機爆破事件。

95年までに金日成主席が退陣して息子の金正 日書記へ権力が移譲
93年5月からはアメリカと北朝鮮の高官協議開始。
94年6月アメリカ元大統領カーターが北朝鮮を訪問。
韓国大統領金泳三(きんえいさん/キムヨンサム)との間で史上初の南北首脳会談の手はずが整えられた。

 
1994年7月に金日成主席が死去した。

 97年10月、金正日、党総書記に就任。

96年ごろに食料不足などによる大衆ほう起の混乱期に入る。
 他方、1994年雹害(ひょうがい)、95、96年水害、97年干魃(かんばつ)と天災が相次いで発生し、北朝鮮は深刻な食糧難をはじめとするいまだかつてない経済危機に見舞われた。
そうしたなか、1995年9月国連人道援助局(DHA)の要請により、各国の食糧援助が開始された。さらに、1994年10月米朝基本合意に基づき発足した朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)は、97年8月軽水炉の建設にようやく着手した。 加えて同月北朝鮮、韓国、米国、中国の朝鮮戦争の当事者であった4者による予備会談が開始され、12月にはスイスのジュネーブで第1回会談にこぎつけた。
1996年9月潜水艦の韓国侵入
97年2月黄長Y書記の韓国亡命
同97年8月張承吉(ちょうしょうきつ/チャンスンギル)駐エジプト大使のアメリカ亡命
98年に金正日書記が失脚して体制が崩壊、軍部のクーデターが起きるであろう。
94年7月父金日成の死とともに最高指導者となった金正日に対する称揚は一段とその度合を強め、1996年からはチュチェ思想にかわって、社会主義の必勝を信じ、「首領」金正日を決死で擁護するための自主、団結などを強調する「赤旗思想」という用語が登場した。
 「金日成主席が死亡すれば金正日書記の正統性は急速に失われ、徹底した権力闘争が不可避」(スカラピーノ米カリフォルニア大教授)、

「大規模民主化デモに対する強硬鎮圧で、北の住民が大挙して韓国に脱出か亡命する事態もありうる」(李東馥・南北首相会談韓国側代表)

 
南北統一については、五九%が可能性が高いとした。

このうち、統一時期は2000年(61%)と1999年(29%)が多かった。

統一の形態は
●「一国家二体制」(伊豆見・静岡県立大助教授)
●「韓国への吸収統一」(小此木・慶応大教授)
などの予想がある。


1999年9月15日(敬老の日/水曜日)
お経の教室

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