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  1999年9月2日(水曜日) 暑い
「歴史におけるエロス」3

 今日から祭壇の御料を忘暮楼が用意することにした。死んだあとの親孝行というわけだが、まあしないよりいいだろう。勤行もあるから朝が忙しすぎ。そこで忘暮楼が担当していた洗濯物のほうはカミさんが夜のうちに干してしまうことになった。これも一法。

 『歴史におけるエロス』最終回。中世フリーセックス社会での「私生児」(母子関係だけが認知されている子どもを表す古い用語で、現在は法的には使用されていない)の社会的地位である。


 こうした時代にあっては、私生児を呼ばれることは栄誉のしるしであった。それは、その者の母親が誰か、特に勇敢な騎士と寝たことを意味するからだった。

 フランク王国の始祖、クロスウィッグの私生児が、父の死後、王国が分割されたとき、嫡子たちよりはるかに多くの領地を得たのは、そのためだった。

 現在の歴史書は一般にはっきりと言っていないが、ウィリアム征服王(イギリス征服は1066年)は「私生児ウィリアム」と呼ばれることを決して不快に思っていなかった。

 実際、英雄にとっては、私生児であることがほとんど必要条件であり、カルル大帝(742-814)、カルル・マルテルなどの実在の人物、また、アーサー王、ゴーウェン、ロラン、マルンチョバー、キュチュレインなどの半伝説的人物は、絶えず私生児だと言われた。

 私生児たることを誇るのは、現代でも全くないわけではない。たとえば、20年ほど前、あるイギリス首相は、自分は私生児だとつねづね自慢していた。


 話はここからキリスト教会が信者の結婚に介入していく過程が論じられるのだが割愛。まだ347ページのうち34ページ目、これからまた、どんな風にびっくりさせられるのだろう。楽しみである。

 自分の常識が完璧に覆される痛快さは、読書の最大の楽しみである。 


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