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1999年9月1日(火曜日)
「歴史におけるエロス」2

 亡母、初七日。

 始業式。清家斉さんのご弔問をたまわる。19インチのモニターを安く譲ってもらうことになった。大分の豆塚さん(まめちゃん)から心のこもった慰めの御手紙を頂戴する。店の名を「キムチ製造所 マウム」としたようだ。「マウム」は韓国語で「心」、「心」の人、まめちゃんらしい命名だ。

 さて『歴史におけるエロス』の続きである。

 徳島市の大塚国際美術館は西洋の美術を実物大で見せてくれるすばらしい美術館である。二回行ったが中世が終わっただけ。ルネサンス以後を見残している。

 西洋の絵画には裸体の人物が頻繁に登場する。ある絵解き解説によると裸体は「純粋」の象徴なのだそうだ。しかし、次のような文章を読むと、ヨーロッパの中世社会にはもともと「裸」というファッションが普遍的にあったのかなあ、という気がしてくる。


 裸は恥の理由とはならなかった。

 兵士は、特に身支度を整えたときを除けば、普通裸であったし、女も自由に裸になった。

 例えばウルスターの女王と、610人にのぼるその宮廷の貴婦人全員は、キュチュレインを出迎えるために、腰から上は裸で、「秘部を見せびらかすために」スカートをたくし上げて現われた。これによって、彼女らはどれほど彼を歓迎しているかを示したのだった。


 

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