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  1999年8月29日(日曜日) 晴れ
人が死ぬ目的

 忘暮楼は通夜の席で大略次のような挨拶をしました。

 誰かが死にますと、その度に、親戚たちが違った年齢で再会しますね。そろそろ記憶が薄れかかった親戚がいても、こういう機会の再会によって絆が固められます。

 3年前の義父の死去の折は、義父の孫の世代(いとこ達)が久しぶりにほぼ全員一堂に会しました。そして、それまでの曖昧模糊とした子供らしいつながりから、青年どうしの信頼に満ちた付き合いへと脱皮しました。その後もいい関係を続けています。

 人が死ぬと、通夜での共食、火葬への同道や、葬式や法事の後の精進落しなど、結婚式とはまた一味違った濃密な付き合いが続きます。親戚達の新しい関係の成立は、これらの付き合いが成せる技でしょう。

 忘暮楼は、母の葬儀のおかげで、40数年間会ったことのなかった義兄夫婦に再会しました。顔を覚えているはずもないのですが、一目で兄とわかりました。忘暮楼への母の最後のプレゼントでした。

 人は何の為に死ぬのか。本人にとっての意味は本人が考える他ありませんが、送るものにとっては、それは、人と人を会わせるための営為だと確信できます。そういう意味で、死というものは大変生産的なものだと思いました。


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