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  1999年8月27日(金曜日)
漢那さんから頂いた追想文

 本日13時より母の葬儀。会葬者ご芳名帖には160人もの皆さんからご記帳を頂いていた。身に余る光栄である。母もさぞかしうれしかっただろう。

 SLOW GOODBYEが第2ステージに入る。

 葬儀にあたって、ご会葬を頂いた方にお渡しするお礼状に、葬儀告別式の式次第を書いたカードを同封した。そのカードに、永年家族ぐるみのお付き合いをして頂いている友人・漢那浩子さんから頂いた「追想文」を載せさせていただいた。昨日の12時過ぎ、印刷の都合で3時までに書き上げて、と無理を言って書き上げていただいたもの。ご紹介しておく。(文中の母の言葉の文末の「のよ」は、三瓶方言では「---」と発音します。(^o^))


富子おばあちゃんへ

「私は男勝りで……学校の用務員をしておりましたので屋根の上にも登りました。かなづちやノコギリを持つ仕事は日常茶飯事。男の仕事、女の仕事と言っちゃおれませんでしたのよ。」

「中国大陸へ主人の遺骨を受取りに行きました時、路地にオオイヌノフグリが咲いておりました。その青い色の美しかったこと。大陸にも日本と同じ花が咲いているのだと思うと心がほっと安らぎましたのよ。」

 小柄な体で人懐っこく話すおばあちゃんの昔話はいつも私に、計り知れない勇気を与えてくれました。

 あの当時、尾上家の星次君・由野君とともに保育園の送り迎えでお世話になった我が家の3人姉妹も今は二児の母となりました。

 尾上家を訪ねると、真っ先に迎えてくれるのがおばあちゃんでした。庭の隅にいつも差し芽、挿し木をしていて、珍しい花が手に入ると分けてくれました。今も大事に育てているのが「卯の花」です。卯の花の香りがするとおばあちゃんの花が咲いたと……。

 お寿司の混ぜ方を教わったことや、はりはり漬けの上手だったこと。何度挑戦しても、あの味を出すことは出来ませんでした。

 晩年、ボケのでたおばあちゃんは、ますます小さく可愛さを増し、自分がボケることでまわりの人の心を浄化させていたとか……。

 私にとっておばあちゃんは「可憐な花」でした。今日は、オオイヌノフグリの代わりに同じ色をした露草を送ります。そして、卯の花といつまでも大切に咲かせたいと思います。

 安らかなお顔には1世紀近くを生きぬいた輝きがあります。女で一つで戦後を生き抜いた強靭さは路傍の花に心の安らぎを見出す繊細さに支えられ、心の隙間風を埋めていたのではないでしょうか。

 永い間、私たちを見守ってくださってありがとうございました。

漢那浩子

心のこもった追想文ありがとうございました。

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