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  1999年7月8日(木曜日) 晴れ
「78:22」の結論ー(下)

 「78:22」の結論ー(上)(中)で私立高校の教育条件や父母負担の状況を整理してみた。

 整理しつつ確認できたことは、愛媛県の「私立高校政策」とはまさしく愛媛県の「県立高校政策」であったということだ。つまり、県下10校の私立高校の存在なしには、今日の県立高校政策は成り立ち得なかった、ということである。

 1988年までの中学卒業生増加期においては、愛媛県は常に県立高校の増設を迫られ続けた。松山市周辺地域の県立高校増設運動は県民運動としても相当の高揚を見せた。

 しかし、県当局は必ず到来する減少期における財政負担(「過剰」人件費・維持費等)を最小限にするために、県立高校へ入ろうとする中卒者をできるだけ締め出そうとした。そして締め出した中卒者を私立高校に入学させた。

 愛媛県は、私立高校の教育条件が県立高校以下であり、そこでは県民は多額の経済的負担を強いられていることを重々承知の上で、締め出された中卒者を私立高校に入学させたのである。

 県は、私学の貧弱な教育条件を見て見ぬ振りをすることで、そしてそれを合理化するために「受益者負担」という荒唐無稽な説を振り回すことによって、高校をできるだけ新設しない、という高校政策を推進し、県立高校の教育条件整備に必要な財政負担を最低限に絞ったのである。

 1989年以降の中卒者減少期においては、愛媛県は文部省の方針に従って40人学級体制への以降を志向したが、その方法がまたしても、県立高校へ入ろうとする中卒者を締め出す、という方法であった。一定の定員を維持して40人学級へ移行しようとするなら、当然学級数を増やさなければならない。しかし愛媛県はそうはしなかった。学級数を変えずに学級定員を減らしていった。つまり「絞めだし」である。

 こうして県立高校は見事に40人学級に移行した。しかし、それは生徒の締め出しによって実現されたものであるから、締め出された生徒は40人超学級の遍在する私立高校へ押し込まれた。こうして、公立高校の40人学級制は新田高校や松山城南高校の50人超学級をすら生んだわけである。

 この締め出しのからくりが「78:22」だったのである。

 こう見てくれば明らかなように、公立高校の教員が私立高校の50人学級を憐れんだりするのはとんでもない見当違いなのである。また、私立学校の教員が「78:22」を県のお情けと思うこともまた全くの見当違いなのである。

 今後の課題は、

  • 県の私学助成金の大幅拡大によって私立高校生の教育コストを県立高校なみに高めていくこと
  • 県立高校の学級定数とさらに削減し、私立高校もそれを確実に後追いしていくこと
  • 授業料補助制度を大幅に拡充し県立私立の学費負担格差を縮小していくこと
ということになるのではなかろうか。


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