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  1999年6月27日(日) 曇り ちょい 雨
私学の憤慨

 私立高校には、経営者も教員も異口同音に憤慨する話題があるかと思えばり、異口同音(?)に声を潜めて語る話題があったりする。

 今日は「異口同音の憤慨」のほう。
 話は60年代の中卒者激増期にさかのぼる。
 この時期、県民から公立高校増設の声が高まり大きな運動となった。県当局は、高校進学希望者の激増に機械的に対応すると、早晩到来する生徒減少期において適正な学校数、学級数、教員数を維持できなくなる、つまり将来それらが多すぎることになって県財政を圧迫したり、人事配置上の問題のでることを恐れた。県当局の「深慮」である。

 そこで県は、高校新設や教員増員等を最小限とし、収容できない生徒はごっそりと私学へまわすことにした。
 こうして娘や息子の学業成績が不振だと、学校への納付金が何倍にもはねあがるという奇怪な現象が一般化した。

 県当局はこの方策によって教育関係の予算を絞り込むことに成功し、絞り込んだ予算の中で一定の水準の教育水準を維持できたわけである。
 一方私立高校ときたら、高い授業料をとっても、県からいくばくかの補助金をもらっても、県立高校並みの教育条件にするには資金不足。そこで教室に50人〜60人と詰め込み、大量の時間講師を採用して人件費を浮かす。結果的には「悪かろう、高かろう」の陰口、私立高校へ行くのが恥を思われる状況を作ってしまった。

 こういう状況に追い込まれながらも、ともかくもこのとき私学は、血の出るような努力で県当局の要請、県民の教育熱に応えたわけである。
 それなのに……県当局の私学に対する支援が弱すぎる。特に今のように生徒数が減りつづけているとき、県はもっと積極的な私学振興策を打ち出してもらいたい。これが私学の経営者や教職員の「異口同音の憤慨」である。


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