<


  1999年5月31日(月) 晴れ
子どもが変わってきた理由

 経済学者という人たちも面白いことを考えますね。孫引きで失礼しますけど、ライベンスタインという経済学者は、夫婦が新たに子どもを作ろうとするときは必ず計算をしている、と考えました。

 すなわち、「生まれてくる子どもから得られる効用」と、「その子どもを育てるのに必要な費用」を比べて、費用以上の効用を得られると判断したときに子どもを産む決心をする、というんですね(『少子化時代の日本経済』大淵寛著 NHKブックス 「 」はこれより引用)。

 これは裏返すと『子を捨てる藪はあれども身を捨てる藪はなし』ってわけで、人間は本来、自分本意にしか生きられない、といっているようにもうかがえますね。

 そこで、その子どもの効用というものはどんなものかというと、次の三つだそうです。

  • 「消費効用」
    〇『子は親のカスガイ』『子ゆえの闇』『子どもは5歳までで親孝行を終える』。
    〇親が子どもとともにいることで感じられる心理的満足。子どものペット的な機能による満足。
    「この場合子どもは耐久消費財のようなものであって、親はそこから長期的に効用あるいはサービスの流れを受け取る」のだそうです。

  • 「所得効用」
    〇『貧乏人の子沢山』『嫁して3年、子なきは去れ(儒教社会の七去の一)』。
    「子どもがある程度成長してからもたらす所得や労働から生じる効用」。『娘身売り』も含む。
    〇この場合の子どもの効用は「生産財としての効用」だといいます。ただ、子どもが小さいうちはこの効用は実現されないので親はしばらくは我慢しなければならない。「効用源泉としては間接的」

  • 「年金効用」
    〇『大孝は終身父母を慕う』『老いては子に従え』。
    「自分の老後や病気をしたときに面倒を見てもらうことを期待する社会保障的効用」
 このごろの親は子どもの「所得効用」や「年金効用」はほとんど期待しなくなって、せいぜい「消費効用」だけで子育てをしている。これも子どもたちの大きな変身ぶりを産み出した原因のひとつではないか。今日の職場での井戸端会議の話題の一つでした。

 じゃ、どうすれば良いのか。
 さまざまな主張が同等な立場でぶつかる争点と、ただ一つの「解決策の存在」が前提される問題点とを混同してはいけない、とは『もう一つのビクトリア時代』(S・マーカス 中公文庫)の一節。これは「争点」なのか「問題点」なのか・・・。


もどる