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  1999年5月23日(日) くもり
基本的な力

 パソコンの通信機能が不調のままでなんとかしたいのですが、どこから手をつけたものか皆目分からない。ホームページは、「公開日記」以外はほとんど手をつけていない状況です。まあ、自動車のエンジンはかかっているんだけど走ってくれない。しかたなく、自動車のラジオで相撲放送を聞いているような感じですかね。

 気になっているのが未完のままになっている、「新田教組乗っ取り未遂事件」のページ。24年も昔の事件ですが、公安警察のやっていることは現在も全く変わっていないと想像しています。

 公安警察のスパイ活動と言っても、一番高度なのはやはり、団体の幹部を押さえ対象団体を丸ごと骨抜きにすることだと思います。そのために相当周到な準備をしているわけです。

 これはあくまでもウラの話で、当時オモテで行われていたことは全然別のやり方でした。
 それは、「私学助成運動は、おそろしい共産党が操っているぞ」という宣伝でした。「私学助成運動の中心になっている新田教組と関係の深い日教組私学部の指導者は日本共産党員だ」ということを言い広めるために怪しげな新聞が大量に配布される、ということさえありました。
 そして、県警本部も松浦警部補の活動は共産党にたいする調査活動で教員組合を対象とするものではない、と口裏を合わせたりもしたものです。

 24年前の乗っ取り工作は、担当した松浦警部補が功を焦りすぎたためにとんだ見こみ違いをおかしてしまい、組織犯罪の証拠を一杯残してその行為をゼーンブ暴露されてしまいました。だから、今度はもっと違う方法でアクセスしてくると思います。

 今後あるとすれば、私学助成運動の変質をねらう働きかけ、すなわち、@昔ながらの共産党排除の働きかけ、とともに、A愛媛私教連排除を求める働きかけではないでしょうか。この動きは、24年前のように要求そのものを押しつぶすような露骨な動きとしてではなく、要求実現のためのさまざまの善意と見えざる陰謀の手とが複合して複雑な様子を見せることになるかもしれません。しかし、結果的には、私学助成運動の骨抜き、翼賛化とならざるをえないでしょう。そして運動は県政与党がやりたがらないことは要求しないものへと変質し、私学の教職員や父母の本当の願いとはかけ離れていくことでしょう。一方、そういう変質を期待している勢力があることも間違いのないことです。

 運動が始まって来年はちょうど四半世紀、このあたりで「私立高校生への授業料直接補助」反対の姿勢を貫いていた県政与党の姿勢を変えさせた力が、「国民・県民のための私学作り」のスローガンを掲げてがんばってきた私学の自主的な運動であったことをしっかりつかみなおしておきたいと思います。

 ここで忘暮楼が「自主的な運動」というのは、まず「要求の決定」が自主的である、つまり、本当に大事なことは何かと自主的に考えてそれを堂々と要求してきたということ。つぎに、運動が自主的であること、つまり、教職員や父母のボランティア活動で支えられてきたこと、そして最後に、運動に必要な資金も運動そのものの中から生み出してきたこと。そんな意味です。

 また、この運動は、かってどんな党派も排除しませんでしたし、また、どんな党派の選挙運動にも協力したことはありませんでした。特定の党派を支持する運動はそれぞれで個人として取り組めばいいことだと考えてきたのです。そうやって運動の団結強化を最優先し、ただひたすらに、私学の父母・教職員の要求実現のために献身してきた運動でした。

 こういう運動なしには、絶対に自民党の政策転換はなかったと断言できます。
 かさねて言いますが、「私立高校生への授業料補助制度」を実現した基本的な力は、まちがいなく私学教職員と父母のこの自主的な運動でした。


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