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  1999年4月13日(火)
韓国語のできる県会議員


 昨日もらったうれしい電話をもう一つ紹介しよう。

 日曜日即日開票された愛媛県議選で、13,608票を獲得し、見事第4位で当選した共産党の佐々木泉さんからの電話である(票数は、佐々木さんのお母さんのお気持ちを推し量って「勇む親」と覚えた)。

 忘暮楼が週刊地方新聞「愛媛民報」に教育問題についての連載を書かせていただいていた頃、締め切りごとにもだえている私の尻を叩いて下さったのが佐々木泉編集長だった。これが一度目のお付き合い。

 佐々木さんは十数年ま前、松山市郊外の海岸を歩いていた。そして打ち寄せられたゴミのなかにハングル 文字の書かれたペットボトルを見つけた。そして韓国語の勉強を始めた。

 忘暮楼も時を同じくして、全く別の、とぼけたきっかけで韓国語の勉強を始めていた。

 そのころ松山市でもおくればせながらハングル講座が始まり、忘暮楼は佐々木さんと席を並べることが多くなった。こうして二度目のお付き合いが始まり、そのまま今日に至る、というわけだ。

 現職の共産党県会議員が病に倒れ、急遽そのあとをついでの立候補、「危ない。数十票の勝負になるかもしれない」と心配する声もあった中での高位当選、しかも新居浜市でも初議席が得られたということでめでたい限りである。

 それとともに、忘暮楼はもう一つ、別なことも喜んでいる。それは「韓国語の分かる県会議員の誕生」である。

 松山・ソウル間にはアシアナ航空便による直行便が設置されている。県内ではさまざまなレベルでの日韓の交流が進められている。韓国からきたお客さんが、韓国語の話せる共産党県議と歓談するようすが目に浮かぶようだ。

 ともかくも、県民・国民の政治意識は、忘暮楼の寝ぼけ頭を尻目にどんどん変化しているらしい。


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