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  1999年4月10日(土)
かわいそうな「君が代」


 「君が代」の歌詞のもとは、御存知、次の「古今和歌集賀歌(がのうた)」

わが君は千代に八千代に細れ石のいはほとなりて苔のむすまで

わが君のお年は千代、八千代にまで続いていただきたい。一握りの小石が少しずつ大きくなり、大きな岩になり、それにこけが生えるときまでも。

 訳は小学館「日本古典文学全集」による。千年も八千年も生きるなんてぞっとする話だけど、死なないことの価値は今よりずっと高かったのかもしれない。昨年、医者から癌かもしれないと診断されたときも、ちょっと興奮したけど悲しいとは思わなかった。そんな気分になるのは、したいことをしたいようにやってきたせいかもしれない、と思ったりしたものだった。
 「細れ石」云々は中国の伝奇小説によるものだそうだから「非科学的」は当然か。
 「『君』はこの歌を贈る相手。この巻頭の4首を初め、賀の歌ではしばしば用いられ、天皇を指すとは限らない。」との注がある。たとえば次ぎの歌。

かくしつつとにもかくにもながらへて君が八千代にあふよしもがな

今夜はかようなめでたい宴を張ってともに楽しんでいるが,私はどうかして今後も生き長らえそなたの限りない長寿にめぐりあいたいものだ。

 この歌などは、光孝天皇が70歳になった僧正遍照のために贈った歌だそうだから、「君」は臣下にたいしても使われたらしい。

 ところが「我が天皇陛下のお治めになる此の御代は、千年も万年も、いや、いつまで続いてお栄えになるやうに」とは、1937(昭和12)年の小学校4年生の修身の教科書の解釈。
 こんな底抜けにめでたい祝い歌が、天皇崇拝の式典には無くてはならぬ「天皇歌」にしたてあげられたのは、「めでためでたの若松様よ、枝も栄えて葉も繁る」(花笠音頭)が「天皇歌」にされたようなものである。   

110年間も解釈をねじまげられ続けられたか「かわいそうな君が代」。国会でも裁判所でも歌われないのに、サッカー場はボクシング会場や相撲の場所で間の抜けた声で歌われつづけた「かわいそうな君が代」。国民的対立の原因となり、国民の不和を助長する仕事をさせられ、ついには校長先生の自殺の原因にまでなってしまた「かわいそうな君が代」。

もう引退させてやりたい。


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