1999年3月18日(木) 晴れのちくもり
捨て勉
日本コリア協会主催「豆塚春滋先生送別会」。七時から「玄海本店」にて。
豆塚先生(豆ちゃん)は定年まで5年を残して教員を辞めた。帰農してボランティア活動に取り組む。うちのカミさんも定年3年前に辞めるつもりである。これは単に疲れたということだろう。忘暮楼も教員の仕事に飽いてきている。
教員と乞食は「三日やったらやめられない」という。確かに、誰でもできる気楽な稼業である。学生には馬鹿にされるが、「センセー」と呼んでくれることで十分埋め合わせができる。それに、学生時代の勉強が100%役に立つ変わった仕事である。昨日の晩勉強したことでも、十年前から知っていたような顔が出来る。
この気楽さが、この稼業に「虚業」の臭いを付加する。豆ちゃんはこの臭いがいやなのである・・・と拝察している。

そもそも、小・中・高の教員という私たちの職業は、インド・キャラコの流行や紡績機械の発明や運河網の建設や「団結禁止法」の制定や石炭の大量消費や蒸気機関車の発明や年少労働者の大量発生と、同時に、しかも密接な関連を持って発生した。しかして、この中で今も残っているのは教員という職業だけで、ほかはすべてその歴史的使命を終えているのである。
そこで、忘暮楼は内心心配するのである。ひょっとしたら、本当は教員という職業もすでに歴史的使命を終えているのではないだろうか・・・と。
現在の中学校など、ないほうがいい代表的な制度である。子供の成長の阻害物になっているような気さえする。高校も似たようなものである。「置き勉」や「捨て勉」が、案外、学校が無用物であることを教えていたりして・・・
そう卑屈になることもないのであろうが、それほど自慢できることをやっているわけでもないのであろう。

昨日の酒が残っているせいかどうも暗い話になってしまうなあ。


忘暮楼日記 <


 

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