1999年3月17日(水) 晴れ
マラソン職員会
一年生と二年生の進級認定会。記録的な長時間審議となった。
一年生が9時から13時まで。二年生が14時から20時まで。今年退職の先生はいい記念になったと言っておられた。会議の性質上、内容については ほとんど書けない。

長くなった原因としては、まず、発言の自由が保障されていることを挙げるべきであろう。これはこれでいいことだ。「発言の自由」は職場の民主化のための最初のハードルだから。
ただ、発言のなかに、単なる「報告」や単なる「感想」が混ざっていたのが混沌を助長したようだ。こう言う会議での発言は、「質問」か、「意見」かであるべきだ。
質問があれば「報告」が必要になることもあろう。しかし、単なる報告は、知っているぞ、と自慢しているにしか過ぎない。単なる「感想」はすべてが終わった後で出そう。
「意見」「質問」「感想」「報告」の交通整理が司会の腕の見せ所だが、その点ではイマイチだったと言うべきか。

二つ目にとにかく審議対象者がメチャクチャ多いこと。教科の成績の不合格者、欠席時間の多すぎるものが大量に出た。忘暮楼の持った二年生のクラスでも、不合格者こそなかったが、平均点が40点未満の生徒は三分の一もいた。それがこのクラスだけの特殊な事態ではなかったということだ。昨日は「置き勉」を取り上げたが、こちらは「捨て勉」というべきか。
認定会の終わりに校長が「認定会までの指導が不充分なのでは・・・」などといっていたが、それはないと思う。校長がそんなことを言っちゃいけない。ちょっと見識不足だ。
しかし、子供の変化に対応した「指導の方程式」が未確立であるのは間違いない。箸でもつかめない。棒でも引き寄せられない。そんな生徒が「激増」している。「箸」と「棒」以外の何かがいるのだがそれが見つかっていない。

そこで、三つ目は、指導原則についての意思統一ができていないということだ。
「美術館で酒を飲んで騒いでいる人は美術館から排除する」という方法を原則とするかどうか、この点が確かにあいまいなままであった。
なぜあいまいなままだったのか。それはここが美術館だときっちり規定していなかったからだ。ある職員は美術館だと言い、ある職員は体育館だという。またある職員はカラオケだと言い、他の職員は・・・・
ここでは、館長の姿勢が決定的だ。

学校でも校長の意思(「困難や反対が有っても,最後までやり抜こうという積極的な意向」---『新明解国語辞典』)が決定的だ。教員の意思形成の基本的推進力は校長だ。校長の意思と分析力と戦略立案能力と説得力だ。
校長が、四月初めまでに、学校づくりのための幹部の意思統一をしっかりしておく。幹部の意思統一が全体の意思統一に先行する。そうして、年度の初めから年度の終わりを明確に視野に入れてスタートする。そんな仕事が求められている。 そんな仕事こそが全体の意思を形成していく。