2004年6月29日 曜日
 


bd00102.htm(41):&lt;P&gt; 来年から始まる新しい世紀にどんなことが起きるのか、戦争はあるのか、あるとしたらどんな戦争になるのか、大日本帝国はすっと安泰なのか、もうすぐ(翌1901年)生まれる皇太子がどんな天皇になるのか、大人たちはどんなことに生きがいをもつのか、子供たちはどんな事件を起こすのか、夏目漱石はそんなことには関心を示さない。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd00103.htm(245):&lt;TD&gt;松山の露人墓地と天皇のオランダ訪問&lt;/TD&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd00104.htm(171):&lt;TD&gt; 天皇のボディーガード&lt;/TD&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd00106.htm(71):&lt;TR&gt;&lt;TD&gt;13 日本帝国と日本国の断絶/連続1 &lt;p&gt;  1945.8.15の意味&lt;/TD&gt;&lt;TD&gt;「敗戦」「終戦」「大日本帝国の崩壊」&lt;br&gt;○ 1945年を境にして日本は台湾・朝鮮という植民地を失った。満州での権益を失った。絶対権力者としての天皇を失った。皇軍を失い、教育勅語を失い、徴兵制をうしない、治安維持法を失った。つまり日本帝国が崩壊した。 <BR>
H:\0 boboro 50HP\bd00106.htm(76):---大日本帝国と天皇のために戦ったものに対する年金を日本国国民が支給している不可解さ<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd00106.htm(78):&lt;TR&gt;&lt;TD&gt;15 日本帝国と日本国の断絶/連続3 &lt;P&gt;  日本共和国と日本国&lt;/TD&gt;&lt;TD&gt;  大日本帝国は戦後の日本にしっかりと「保存」されている。今日に至っても日本の政治・文化の不動の大黒柱は「天皇護持」である。8月2日付朝日新聞に一橋大学教授鵜飼哲さんが「保存のための忘却」という表現でこのあたりの事情を分析しておられる。&lt;P&gt; <BR>
H:\0 boboro 50HP\bd00106.htm(86):&lt;p&gt;   天皇の国事行為は内閣の「助言と承認」によるが、じつは、この規定は、帝国憲法の国務大臣の「輔弼(ほひつ)」に由来するのではないか。 <BR>
H:\0 boboro 50HP\bd00106.htm(87):&lt;P&gt;このことを前提に、@国会が「国権の最高機関」であると宣言、Aそれに基づく議院内閣制の規定、B天皇が国会の使命に基づいて総理大臣を任命する 、といった「国民主権」の意味を考えると、それは議会が長い歴史を経てついに天皇に最も近い距離に位置することになったあらわれと見ることができるのではないか。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd00106.htm(92):&lt;P&gt;「ここで思い出すのは明治維新である。当時、せっかく《文明開化》の路線が打ち出されたのに、一方、それとは全く水と油の《王政復古》が唱えられて、妙な二本立の路線になってしまった。だから、わが国は確かに,技術的・物質的には近代化されたが、社会的・思想的にはむしろ古代化され、ついに分裂症に陥ってしまった。藩閥明治体制のこの矛盾の破綻がまさに四〇年前のあの敗戦だったのである。《尊王開国》により、それまで歴史の片隅に逼塞(ひっそく)していた原始的・古代的存在の天皇をわざわざ引っ張り出してきて果たしてよかったかというと、顧みてはなはだ疑問ということになろう。&lt;P&gt; かりに《佐幕開国》により将軍徳川慶喜を大統領にでもしていたら、もともと彼には神がかったところはないから妙に絶対化されず、当然かなりの波瀾曲折はあったにしても、文明開化はすべての分野に着実に広く深く進行したであろう。」<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd00111.htm(5):&lt;TITLE&gt;大正天皇&lt;/TITLE&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd00111.htm(21):&lt;TR&gt;&lt;td width=&quot;50%&quot;&gt;&lt;FONT color=&quot;darkblue&quot;&gt;&lt;p&gt; &lt;B&gt; 旅行の天皇! 大正天皇&lt;!-- タイトル --&gt;&lt;/B&gt;&lt;/FONT&gt; <BR>
H:\0 boboro 50HP\bd00111.htm(35): いつも天皇批判をしている忘暮楼が本当は天皇好きだということ(亡母ゆずりである)がバレてしまうが、『大正天皇』(原武史著 朝日選書)を読んですっかりファンになってしまった。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd00111.htm(36):&lt;P&gt; この天皇については、本書も指摘しているとおり、普通の日本人は「遠めがね事件」しかしらない。忘暮楼もこれしか知らない。そして、昔の日本人はすべてこの事件を知っていた。ところがこれがいつのことだったかというと塗炭にあやふやになる。大正9年40歳のときだという説もあれば、大正12年44歳の時のことだという説もあるが、公式の記録がなく軍配の上げようがない。しかも、詔書をくるくると巻いて「遠めがね」を作ったのは、気が触れていてではないらしい。著者は、<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd00111.htm(43):&lt;p&gt; 実際、我々の持つイメージ(根拠はこの「遠めがね」)とは違って、嘉仁皇太子は相当行動的でかつ自由闊達な人物であったらしい。むすこの昭和天皇の「あっそ」バージョンとは一味違っている。それは次の年表で伺えると思う。結婚以後の旅行をまとめた。  &lt;P&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd00111.htm(54):&lt;TD bgcolor=&quot;palegreen&quot; &gt;嘉仁皇太子(後の大正天皇)、九条節子と結婚。幼時から病弱であったが、結婚後一気に健康回復。&lt;/TD&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd00111.htm(69):&lt;TD bgcolor=&quot;palegreen&quot; &gt;迪宮(みちのみや)裕仁誕生。後の昭和天皇である。&lt;/TD&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd00111.htm(98):&lt;TD bgcolor=&quot;palegreen&quot; &gt;山陰に、天皇の名代として公式地方旅行。各地とも、鉄道開業。電気の点灯、電話、舗装道路などインフラストラクチャ整備の絶好の機会となった。京都、大阪、福知山、天の橋立、舞鶴から軍艦鹿島で境港、米子、鳥取、おり返して安来、途中、学校で3泊、濱田から軍艦鹿島で隠岐へ、舞鶴に上陸、帰路につく。相変わらず多弁、質問多発。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd00111.htm(138):&lt;TD bgcolor=&quot;palegreen&quot; &gt;明治天皇59歳で死去&lt;/TD&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd00112.htm(5):&lt;TITLE&gt;大正天皇&lt;/TITLE&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd00112.htm(19):&lt;TR&gt;&lt;td width=&quot;50%&quot;&gt;&lt;FONT color=&quot;darkblue&quot;&gt;&lt;p&gt; &lt;B&gt; 韓国語を勉強した天皇&lt;!-- タイトル --&gt;&lt;/B&gt;&lt;/FONT&gt; <BR>
H:\0 boboro 50HP\bd00112.htm(33): 忘暮楼が大正天皇ファンになってしまった理由は、人民にいかめしく君臨した父親・明治天皇への反発かと思われるほどの自由奔放、万事簡略、活発多弁な生き方だけではない。実は、『大正天皇』(原武史著 朝日選書)によると、元気者の嘉仁(大正天皇)は韓国語に並々ならぬ関心を寄せていたらしい。韓国語を勉強した天皇はこの人だけではないだろうか。となると、ほっとけない。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd00112.htm(40):&lt;P&gt; 1921年、大正天皇(42歳)の病状は悪化していた。意識もはっきりないことが少なくなかった。8月に、李王世子・李垠(イウン 23、4歳)が、前年結婚した方子の両親・梨下宮夫妻とともに天皇を見舞った。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd00112.htm(41):&lt;P&gt; 天皇は、李垠(イウン)を彼の幼少のころから知っていたし、「&lt;FONT color=&quot;red&quot;&gt;ご自分朝鮮語を話すとの兼ねての御抱負もあり&lt;/FONT&gt;」、かつ、18歳も年下だから遠慮も要らないということでその来訪をずいぶん待ち望んでいたそうだ。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd00112.htm(42):&lt;P&gt; しかし、李垠(イウン)が8月19日に訪ねてきたときは「御思出しなきか、言葉の出ざりしか」、大正天皇は彼に一言も言葉をかけることがなかった。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd00112.htm(48):&lt;P&gt; 嘉仁の皇太子時代および天皇時代は、日露戦争、韓国の植民地化、3・1独立運動と最も忌まわしい日韓関係の出発から完成の時代であった。この歴史の流れの意味は嘉仁もよくわかっていたはずだ。だから、嘉仁の弁護をすることなどはできそうもない。しかし、そんな中で、きっと欲得抜きで、ただただ李垠(イウン)との会話を楽しみにして韓国語を勉強した嘉仁を思うと、おろかな忘暮楼はつい涙ぐんでしまうのだ。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd00112.htm(49):&lt;P&gt; この天皇がもっと長生きしていたら、日本の姿も少しは変わっていたかもしれない。 &lt;P&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd00112.htm(61):&lt;TD bgcolor=&quot;palegreen&quot; &gt;嘉仁皇太子(後の大正天皇)、九条節子と結婚。&lt;/TD&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd00112.htm(79):&lt;TD bgcolor=&quot;palegreen&quot; &gt;迪宮(みちのみや)裕仁誕生。後の昭和天皇である。&lt;/TD&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd00112.htm(212):&lt;TD bgcolor=&quot;palegreen&quot; &gt;明治天皇59歳で死去&lt;/TD&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd00112.htm(261):41歳&lt;/TD&gt;&lt;TD bgcolor=&quot;pink&quot; &gt;8・19&lt;/TD&gt;&lt;TD bgcolor=&quot;pink&quot; &gt;李王世子、天皇を見舞う。&lt;/TD&gt;&lt;/TR&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd00121.htm(39):&lt;p&gt;  寝台に合わせて足を切る、というのが皇軍の伝統なのだろう。「戦陣訓」や「銃」や「軍馬」や「連帯旗」や「特攻機」や「天皇」が「寝台」で、兵は常に切り詰められる「足」である。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd00303.htm(37):&lt;p&gt;  「陀羅尼集経」の「王難」というのはなんだろうか。「悪い王」に出くわすことだったら、森首相をいただく国民の災難や、昭和天皇の戦争遂行でたくさんの不幸を背負わされた臣民の災難などがこれに当たるのだろう。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd00307.htm(42):&lt;P&gt; 最近、日本では歴史を逆転させようとする「歴史修正主義者」の動きが露骨になり、過去、日本の侵略と植民地支配の歴史を肯定し、天皇制支配を賛美する教科書が検定を通過しようとしており、中国、韓国、シンガポールなど東アジア各地域で、民<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd00311.htm(47):&lt;LI&gt;この候補の中から「天皇・皇后(戦後まもなくは皇室のメンバーも選挙人名簿に記載されていたらしい)」、国務大臣、自衛官、弁護士などの「無資格者」をはじく。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd00320.htm(35):&lt;P&gt; 日本帝国のころは皇室が歴代天皇を祭る春季皇霊祭であったという。来年からは行くのをやめよかな。帰り道双海町の菜の花を見物した。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd00320.htm(41):&lt;LI&gt;大祭(天皇の親祭)&lt;UL&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd00320.htm(42):&lt;LI&gt;(1)元始祭(1月3日) 皇位の始源を祝う&lt;LI&gt;(2)紀元節祭(2月11日&lt;FONT color=&quot;red&quot;&gt;建国記念の日&lt;/FONT&gt;)建国の祖とする神武(じんむ)天皇を親祭。&lt;LI&gt;&lt;FONT color=&quot;green&quot;&gt;(3)春季皇霊祭&lt;/FONT&gt;(&lt;FONT color=&quot;red&quot;&gt;春分の日&lt;/FONT&gt;) 皇霊殿で歴代天皇などの霊を祀(まつ)る祭儀。&lt;LI&gt;(4)春季神殿祭(&lt;FONT color=&quot;red&quot;&gt;春分の日&lt;/FONT&gt;) 天神地祇(てんじんちぎ)、八百万神(やおよろずのかみ)を親祭。&lt;LI&gt;(5)神武天皇祭(4月3日) 神武天皇崩御日&lt;LI&gt;(6)神嘗祭(かんなめさい)(10月17日) 伊勢(いせ)神宮の最重儀である神嘗祭と同日に&lt;LI&gt;(7)新嘗祭(11月23日&lt;FONT color=&quot;red&quot;&gt;勤労感謝の日&lt;/FONT&gt;) 当年の新穀を皇祖天照大神(あまてらすおおみかみ)に供する祭儀で、皇室第一の重儀。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd00320.htm(43):&lt;LI&gt;このほか、先帝以前三代の式年祭、先后の式年祭など(&lt;FONT color=&quot;red&quot;&gt;緑の日&lt;/FONT&gt;)&lt;/UL&gt;&lt;LI&gt;小祭(天皇は拝礼、掌典(しようてん)長が祭典を行う)&lt;UL&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd00320.htm(44):&lt;LI&gt;&lt;LI&gt;歳旦(さいたん)祭(1月1日&lt;FONT color=&quot;red&quot;&gt;元旦&lt;/FONT&gt;)、&lt;LI&gt;祈年祭(2月17日)、&lt;LI&gt;明治節祭(11月3日&lt;FONT color=&quot;red&quot;&gt;文化の日&lt;/FONT&gt;)、&lt;LI&gt;賢所御神楽(みかぐら)(12月中旬)、&lt;LI&gt;天長節祭(&lt;FONT color=&quot;red&quot;&gt;天皇誕生日&lt;/FONT&gt;)&lt;P&gt;『日本大百科全書』(1998年7月1日改訂第2版 阪本是丸)より<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd00324.htm(68):&lt;P&gt; また、西尾氏は、1941年の日米開戦について、「アメリカ軍と戦わずして敗北することを、当時の日本人は選ばなかったのである」と述べているが、マレー半島占領と真珠湾攻撃は天皇と軍部中枢が選んだ道である。当時の帝国臣民には国の進路を選ぶ手段は与えられていなかったのであってこの記述は虚偽と言うべきである。。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd00327.htm(60):&lt;P&gt; 1941年の日米開戦について「アメリカ軍と戦わずして敗北することを、当時の日本人は選ばなかったのである」と述べていますが、マレー半島占領と真珠湾攻撃は天皇と軍部中枢が選んだ道であって臣民が選んだ道ではありません。当時の帝国臣民には国の進路を選ぶ手段は与えられていなかったのであってこの記述は軍部の立場に立った歴史の歪曲というべきです。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd00512.htm(34):&lt;p&gt;  忘暮楼としては、皇室は後継者がいなくなったら、これが天命と思って天皇制に終止符を打つ機会として欲しいと願っている。困ったら変えようというのなら、なーんだ皇室典範も、畢竟、自民党によっていじくり回されている選挙制度のようなものなのかと思われるよ。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd00519.htm(60):&lt;TD&gt;海岸沿いに北東に。「伝・仁徳天皇陵」などの古墳がよく見える。&lt;/TD&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd00522.htm(54):&lt;P&gt; 靖国神社を参拝すると言うことは、これらの「野垂れ死に」を「祖国のために命を捨てた戦士」、「戦後の平和の礎」と称えることなのだ。そうすることによってしか、天皇や皇軍を美化する方法がないともいえる。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd00702.htm(36):&lt;LI&gt;神話と歴史を混同させ、&lt;LI&gt;日本が世界一だと思いこませ、&lt;LI&gt;昭和天皇の「すばらしさ」に共感させ、&lt;LI&gt;玉砕と特攻隊に憧れさせ<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd00703.htm(37):&lt;LI&gt;新入生のノートに上級生を天皇や神にたとえる言葉を書かせて、上下関係を協調していた(ともいう)。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd00723.htm(37):&lt;P&gt; こういう戦争肯定的映画はこれまで食指が動かなかったのですが、見てみるとこれは反戦映画に近いものでした。天皇が降伏を決意したあと、庶民の一人に「天皇陛下の一言で戦争が終わるんなら、どうしてもっと早く言ってくれなかったんだ」と語らせているくらいです。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd00724.htm(37):&lt;P&gt; こういう戦争肯定的映画はこれまで食指が動かなかったのですが、見てみるとこれは反戦映画に近いものでした。天皇が降伏を決意したあと、庶民の一人に「天皇陛下の一言で戦争が終わるんなら、どうしてもっと早く言ってくれなかったんだ」と語らせているくらいです。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd00726.htm(42):天皇の弔祭をうけ,70余におよぶ行啓幸がなされた。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd00907.htm(35):&lt;P&gt; 「聖戦」と称揚された先の侵略戦争も、軍部と天皇は数多くの作戦の失敗にも「一喜一憂することなく」次々と新しい作戦を遂行し、揚句の果ては一億総特攻作戦に突入し国を破滅させたのであった。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd01005.htm(34):&lt;P&gt; 選挙区で支持者から初めて「大臣!」と呼ばれたときもうれしかったが、天皇から「大臣!」と呼ばれたときのあの感激はわすれられない。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd01005.htm(35):&lt;P&gt; 「大臣」とは「臣下のトップ」の謂いであるが、誰の「臣下」かと言えば無論天皇の臣下である。なにしろ、いにしえは「左大臣」「右大臣」、あるときは、プラス「太政大臣」とほんの二、三人しか大臣にはなれなかった。天皇の側近中の側近である。だから、天皇から「大臣!」と呼ばれると、大臣は、主権在民などポーンと忘れて「ははああ」とおそれかしこまるのである。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd01005.htm(36):&lt;P&gt; 大臣になると「内奏」という天皇の臣下としての最大の任務がある。「内奏」は、「内密に奏聞する」、つまり内密に天皇に申し上げることである。だから内奏話は、下々でいうところの内緒話のようなものである。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd01005.htm(37):&lt;P&gt; 天皇が秘密を守ってくれるので、大臣は内奏においては何をしゃべってもかまわないのである。当然、本当は牛肉は召し上がらないほうがよろしいかと存じます、と秘密情報を流したり、気に食わぬ同僚大臣の悪口も言上したりすることができる。これまでもたくさんの大臣がけっこう変なことを天皇に奏上してきたのであるが、とりあえずわれわれ下々は蚊帳の外であった(入りたい蚊帳ではなさそうだが…)。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd01005.htm(38):&lt;P&gt; 天皇が秘密を守っている限り内奏の内容は漏れないはずだったのに、最近「内奏」で天皇と親しく言葉を交わした外務大臣が有頂天になってしまい、自分で側近に「内奏」の内容をしゃべってしまったらしい。そしてその側近が、善意でか悪意でかわからないが、それをマスコミにばらした。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd01005.htm(39):&lt;P&gt; 外務大臣が天皇に言上したことが「総理大臣の指揮の問題点」という誰でも知っていることだからよかったものの、「総理大臣が独身なのは問題でございます。ぜひ陛下におかせられてもアトガマのご手配に関しましてご高配を賜りますよう伏してお願い申し上げます」などと内奏したとすると、首相も困っただろう。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd0101.htm(18):&lt;P&gt; あらあ、宮家はなくなるんだって。ということは、いまのままで推移すれば将来天皇がいなくなるかも、ってことだよね。天皇制に賛成の人も反対の人も、案外このこと、知らなかったんじゃない? 忘暮楼は知らなかった。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd0101.htm(22): 現在、内廷に天皇と皇太子以下の皇族が6名(1999年度は宮内庁の経理しないお手元金として年間3億2400万円が支給された。一人平均で月450万円)いる。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd0101.htm(54): 今回の世論調査、どうやら天皇家の断絶を避けるための世論作りの始まりのようです。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd0101.htm(58):&lt;LI&gt;31.9%---いまのままでよい(ということは天皇家がなくなればそれでよい、ということかな)<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd0101.htm(69):問15 あなたは、二十一世紀の天皇制のあり方についてどのように考えますか。&lt;/FONT&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd0101.htm(73):&lt;FONT color=&quot;green&quot;&gt;11.0%---天皇制は廃止する&lt;/FONT&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd0101.htm(78):&lt;FONT color=&quot;green&quot;&gt;天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd0101.htm(80):と規定していますが、天皇の地位が、国民の「総意」にもとづいているとはいえない状況になっているようですね。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd0102.htm(18):&lt;P&gt; 時間を天皇に支配されるのは、やりきれない。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd01116.htm(37):&lt;p&gt; とすれば、戦争の、別の方法による表現である政治活動の本質ももまた差別作業なのであろう。住民のなかから定住外国人を取り出して差別する「定住外国人の選挙権問題」しかり。アメリカが自らの敵勢力と考える国や勢力を日本の敵として差別する日本外交、しかり。死者の中から天皇のために死んだものを取り出して差別する靖国神社問題、しかり。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd01118.htm(62):&lt;p&gt;(2)中学校教科書(歴史的分野・公民的分野)の2000年4月検定申請。--「つくる会」の歴史教科書は、1)「天皇を中心とした神の国」の実現、2)侵略戦争肯定・美化によって再び「戦争ができる国」「戦争をする国」をめざす内容。公民科教科書は、人権を否定し、憲法改悪をめざす内容。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd01207.htm(42):・昭和天皇裕仁=ひろひと(故人)&lt;BR&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd01207.htm(43):・香淳皇后=こうじゅんこうごう(故人)&lt;BR&gt;・天皇明仁=あきひと(67歳)&lt;BR&gt;・皇后美智子=みちこ(67歳)&lt;BR&gt;・皇太子徳仁=なるひと(41歳)&lt;BR&gt;・皇太子妃雅子=まさこ(37歳)&lt;BR&gt;・常陸宮正仁=ひたちのみやまさひと(66歳)&lt;BR&gt;・華子=はなこ(61歳)&lt;BR&gt;・秋篠宮文仁=あきしののみやふみひと(36歳)&lt;BR&gt;・紀子=きこ(35歳)&lt;BR&gt;・眞子=まこ(10歳)&lt;BR&gt;・佳子=かこ(6歳)&lt;BR&gt;・紀宮(清子)=のりのみや(さやこ)(32歳)&lt;BR&gt;・秩父宮擁仁=ちちぶのみややすひと(故人)&lt;BR&gt;・勢津子=せつこ(故人)&lt;BR&gt;・高松宮宜仁=たかまつのみやのぶひと(故人)&lt;BR&gt;・喜久子=きくこ(89歳)&lt;BR&gt;・三笠宮崇仁=みかさのみやたかひと(86歳)&lt;BR&gt;・百合子=ゆりこ(78歳)&lt;BR&gt;・寛仁=ともひと(55歳)&lt;BR&gt;・信子=のぶこ(46歳)&lt;BR&gt;・彬子=あきこ(19歳)&lt;BR&gt;・瑶子=ようこ(18歳)&lt;BR&gt;・桂宮宜仁=かつらのみやよしひと(53歳)&lt;BR&gt;・高円宮憲仁=たかまどのみやのりひと(46歳)&lt;BR&gt;・久子=ひさこ(48歳)&lt;BR&gt;・承子=つぐこ(15歳)&lt;BR&gt;・典子=のりこ(13歳)&lt;BR&gt;・絢子=あやこ(11歳)<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd01217.htm(47):  ちょっと説明不足になっているが、ヤワタ(八幡)神は応神天皇とされているのでこういう記述になるのである。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd01217.htm(49):  同書はつづけて、別の言われも紹介している。これも天皇がらみだ。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd01217.htm(55): &lt;DIV style=&quot;margin-left:20pt&quot;&gt;  明治4年幼帝(といっても、明治天皇1852年生まれだから明治4・1872年時点では20歳…忘暮楼)の産着姿に模して伊予郡南伊予村の両村倉造が桐材を刻んで作ったが、明治27年、松山に移住してきた二代目の貞助から紙張子の現在の形になった。こどもがもてあそぶと健やかい成長するとか、病院の枕辺に置くと回復が早く、起上れるなどと言われる。&lt;/DIV&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd01220.htm(20):&lt;TR&gt;&lt;td width=&quot;50%&quot;&gt;&lt;FONT color=&quot;darkblue&quot;&gt;&lt;p&gt;&lt;B&gt;桓武天皇の生母&lt;!-- タイトル --&gt;&lt;/B&gt;&lt;/FONT&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd01220.htm(34):&lt;P&gt; 天皇が12月18日に誕生日の記者会見を持った。&lt;A href=&quot;http://www.kunaicho.go.jp/&quot;&gt;宮内庁&lt;/A&gt;のホームページにその内容が紹介されている。天皇の誕生日が12月であることもあって記者会見は一年の回顧のような雰囲気になる。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd01220.htm(35):&lt;P&gt; 天皇はこの会見で、2月の宇和島水産高校の漁業実習船「えひめ丸」が米国潜水艦の衝突・沈没事故に触れているが、米軍に対して「遺体や遺品の引き上げに米国海軍が誠意を持って尽くしたことを多としています」と述べるばかりで、米潜水艦の傍若無人のアトラクション運行についてはなにも述べていない。これはバランスを欠いていると思う。つまり、政治的な発言になっていると思う。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd01220.htm(38):&lt;P&gt; この件については、昔私が松山の神社庁に出かけて調べものをさせてもらったとき、ある事典に「桓武天皇の生母は百済系の高野新笠(&lt;A href=&quot;http://www.logix-press.com/scriba/jm/tn050.html&quot;&gt;参考&lt;/A&gt;)」とある記事を見つけて、神社庁の職員に「桓武天皇はハーフなんですねえ」と話し掛けると、その記事を見せても「そんなはずは絶対ない」と言い張っていたのを思い出す。天皇が下のような発言をすることは、だからどうするんだ?と聞きたくはなるが、悪いことではないと思う。「日鮮同祖論」とは質の違う議論なのだろう。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd01220.htm(44):&lt;P&gt; &lt;FONT color=&quot;red&quot;&gt;私自身としては,桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると,続日本紀に記されていることに,韓国とのゆかりを感じています。武寧王は日本との関係が深く,この時以来,日本に五経博士が代々招へいされるようになりました。また,武寧王の子,聖明王は,日本に仏教を伝えたことで知られております。&lt;/FONT&gt; <BR>
H:\0 boboro 50HP\bd0309.htm(32):&lt;p&gt;  最近の国家公安委員会の「カラ会議」を根回しした警察庁長官は、警察官の中の最高位だけど階級はないのだそうだ。「天皇」のイメージだ。以上「小学館百科事典」から。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd0319.htm(42):&lt;P&gt; 天皇の軍隊はさきの戦争で連合軍に叩きのめされ、日本国憲法の下で解体されたが、軍隊的な考え方も雲散霧消したかというとどうであろうか。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd0322.htm(20): &lt;P&gt; 戦争で生き残ったものが造った護国神社の慰霊碑は、やった過去をきれいに水に流しているように思えた。だが、死んでいった当の「英霊」たちは、これまた天皇国家にうまくしてやられた側ではないのか。 <BR>
H:\0 boboro 50HP\bd0331.htm(34): &lt;div align=&quot;center&quot;&gt;天皇との関係&lt;/div&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd0331.htm(45): &lt;div align=&quot;center&quot;&gt;天皇の名を以って任命&lt;/div&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd0331.htm(80): (天皇の勅によって&lt;br&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd0331.htm(95): (大臣などが天皇に&lt;Br&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd0331.htm(112): (天皇の名で&lt;br&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd0331.htm(114): 事前に天皇に&lt;br&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd0331.htm(235): &lt;p&gt; 軍の高等官の候補者を養成する教育機関が陸軍士官学校、海軍兵学校、陸軍幼年学校などで、これらの学校の生徒は天皇拝謁という点では高等官と同じように扱われた。&lt;br&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd0331.htm(236):  これらの学校が東京にある場合、卒業式に天皇が出席し、優等生に刀などを与えた。またこのとき、各校の最優等卒業生は軍事について御前講義をした。 <BR>
H:\0 boboro 50HP\bd0405.htm(32):&lt;P&gt; 確かに日本の場合,特定人種の抹殺を国家政策に掲げたり、それを天皇が命令したりしたという事例はない。個々の部隊で捕虜の処分について命令があったことが確認されてはいるものの、むしろ、その種の命令は捜しても稀にしか見つからないのが実情である。むしろ、日本の戦争の大義名分は欧米支配からのアジアの解放だったのである。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd0412.htm(26):&lt;P&gt; 一方、2500人も3000人ともいわれる特攻隊員の死が「象徴天皇制」のいしずえになった、とする説は説得力がある。大まかに言って「天皇家の戦後の繁栄は二百五十万英霊の尊いいしずえのうえに築かれている」というほうが正しいと思う。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd0413.htm(28):&lt;p&gt;  しかし、「大東亜戦争」の場合は違っていた。この戦争は、「米英との平和」を否定し、「中国や東南アジア諸国を欧米帝国主義国の支配から解放する戦争」によって「日本=天皇を盟主とする東アジア広域経済圏」という「新しい平和」を築き上げようとしたものであった。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd0413.htm(31):&lt;p&gt;  天皇のために命をささげることに依然として至上の価値があるのなら、これらの死は永遠の価値を持つことになる。しかし、そうでないならば、兵士たちの死は徒死と呼ぶしかないのである。そして戦没者の遺族は、例のトートロジーによってしか、父や兄弟の死を意味付けるすべがないのである。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd0415.htm(26):&lt;p&gt;  本音を言えば、「改憲」である。ざっと言えば、「第1章 天皇」全体を削除して欲しいのである。この願いは切実である。しかし、この願いが国民の大多数の意思とは全く乖離している思いも深い。ゴマメの歯ぎしりといわれればそのとおりなのだ。 <BR>
H:\0 boboro 50HP\bd0503.htm(5):&lt;TITLE&gt;天皇制&lt;/TITLE&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd0503.htm(24):&lt;p&gt;  押しつけ憲法がどんなものか知りたければまず大日本帝国憲法をあげるべきであろう。この憲法、日本人民にとって百害あって一利なし。近隣諸国の人民の願いも勿論一顧だにされていない。天皇・政府が人民に押しつけた正真正銘の「おしつけ憲法」である。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd0506.htm(22): &lt;p&gt;  天皇崇拝者にして国際通のリベラリスト・清沢洌の『暗黒日記』を読んでいる。戦時中のリベラリストの動向がよくわかる。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd0518.htm(24): &lt;br&gt; &lt;UL&gt;&lt;LI&gt;なぜ昭和天皇在位60年を祝ったのか<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd0518.htm(25): &lt;LI&gt;なぜ現天皇の在位10年を祝ったのか<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd0518.htm(28):&lt;Br&gt; 森首相はそれを「日本の国、まさに天皇を中心としている神の国であるぞ、ということを、国民のみなさんにしっかり承知していただく」ためなのだと説明した。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd0518.htm(34):&lt;P&gt; 忘暮楼は日本は君主国であって、共和国ではないと認識している。主権は国民にあるにしても、君主国であるには違いないのである。だから森首相が「天皇を中心にしている」といっても現実を無視しているわけではない。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd0518.htm(37):&lt;Br&gt; 元号と休日をみれば、この国の普通の人々の毎日の時間が天皇に支配されていることを認めないわけにはいかない。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd0518.htm(38):&lt;P&gt; 「日本は天皇を中心としている神の国だ」という主張を時代錯誤として斬って捨てる傾向があるが、一般論としては、それはちがうのではないかと思う。「日本は…」に近い考えかたをする人々はこの国にはゴマンといるのではないか。その人々が何はともあれ自民党を第1党に選出しつづけてきたのだと思う。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd0518.htm(39):&lt;P&gt; この国の真の変革のためにはこの現実を直視する必要があるのであろう。昭和天皇が沖縄をいけにえにして手に入れた憲法第一条がある限り、日本は「天皇を中心とした神の国」でありつづけるのではないか。しかして、現在の民主勢力には、第1条の廃棄と第九条の存続を同時にやり遂げるだけの力はない。日本を共和国に変革するだけの力はない。アア。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd0519.htm(24):&lt;P&gt; 森首相は、日本が天皇を中心とした神の国であることを国民に承知していただこうと、「30年」がんばってきた、と発言した。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd0524.htm(14): &lt;Br&gt;&lt;FONT color=&quot;blue&quot;&gt;天皇のオランダでのスピーチ&lt;/FONT&gt; <BR>
H:\0 boboro 50HP\bd0524.htm(20): &lt;TD&gt;  天皇夫妻がオランダを訪問している。オランダでの天皇のスピーチを読んで見たが、例の如く、主語の不明確な、人を小ばかにしたようなスピーチ。例えば、「私は、両国国民が…世界の平和と繁栄のために貢献していくことを期待します」なんていうもんかなあ。オランダ国民に失礼じゃないんかしら。この人にかかると「捕虜に対する強制労働」も「軍付属性施設へのオランダ人女性投入」も自然発生的事件のようだ。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd0524.htm(21):&lt;P&gt; 以下天皇のスピーチを採録。右側に忘暮楼の期待するスピーチを書いてみた。書いてみると結構難しい。&lt;P&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd0524.htm(23): &lt;TABLE border=&quot;1&quot; cellpadding=&quot;10&quot; bordercolor=&quot;blue&quot;&gt;&lt;Tr&gt;&lt;TD&gt;天皇の実際のスピーチ&lt;/TD&gt;&lt;td&gt;忘暮楼が期待する天皇スピーチ&lt;/td&gt;&lt;/tr&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd0526.htm(14): &lt;p&gt;&lt;FONT color=&quot;blue&quot;&gt;松山の露人墓地と天皇のオランダ訪問&lt;/FONT&gt; <BR>
H:\0 boboro 50HP\bd0528.htm(28):&lt;P&gt; 内閣総理大臣として、日本国憲法に定める国民主権、信教の自由を尊重・遵守することは当然なことでございまして、戦前のような天皇主権の下で国家神道を復活するというようなことなどは、私自信の個人的な信条としても、全く考えたこともございません。 <BR>
H:\0 boboro 50HP\bd0528.htm(32):&lt;P&gt; 厳しく御批判を頂きました「天皇を中心とする神の国」という表現は、議員懇談会の活動の経緯を紹介する趣旨で申し上げたものでありますが、誤解を招く表現であったことは、私自身大変反省をいたしております。私の真意は、天皇が神であるということではありません。そのことは、私自身の個人的信条とも全く異なっております。 <BR>
H:\0 boboro 50HP\bd0528.htm(34):&lt;P&gt; 私は8歳の時に終戦を迎えておりますので、自分の人生のほとんどは戦後の日本国憲法の下で教育を受けて育った私にとりましては、天皇とは、正に日本国及び日本国民統合の象徴としての天皇であります。 <BR>
H:\0 boboro 50HP\bd0528.htm(36):&lt;P&gt; 天皇の地位はいうまでもなく、主権者である日本国民の総意に基づくものでありまして、日本国民統合の象徴であるという意味で申し上げたのであります。 <BR>
H:\0 boboro 50HP\bd0528.htm(39):&lt;P&gt; 日本には、食べ物などの自然の恵みに感謝をしたり、自然に対する畏敬の念を抱いたりといった生活文化があると思います。私はこのことを申し上げたかったのであります。決して天皇を神と結び付けようという、そういう趣旨で発言したものではありません。 <BR>
H:\0 boboro 50HP\bd0528.htm(65): まず1問目ですが、総理は今、「天皇中心」と、「神の国」というものを分けて説明されましたけれども、懇談会では明らかに「日本は天皇を中心とする神の国」というふうに発言しています。これはやはり憲法が定める国民主権や、政教分離の原則に抵触する重大な発言と考えます。誤解を招いたとおっしゃるならば、発言を撤回するお考えはございませんか。 <BR>
H:\0 boboro 50HP\bd0528.htm(67):&lt;p&gt;【森総理】私は先ほど申し上げましたように、天皇につきましては、当然、憲法が定める、つまり新憲法が定めるいわゆる象徴天皇、国民統合の象徴であるということは、これはもう改めて説明する必要はございませんし、私自身も、恐らく今の日本の国民も、天皇といえば、これは象徴天皇だということはだれもが認めているんじゃないでしょうか。 <BR>
H:\0 boboro 50HP\bd0528.htm(68): そういう象徴天皇であるから、日本の中心にあるというふうに、私はそういう理解をいたしておりますし、そして、親しまれる皇室であってほしいという、そういう思いが私にありますから、言葉足りずのところはございましたけれども、そういう思いで申し上げたわけでございます。 <BR>
H:\0 boboro 50HP\bd0528.htm(99):&lt;p&gt;【質問】総理の発言というのはですね、その場でのリップサービス的な要素があったと思うんですが、しかし、結果としてはですね、天皇御訪欧中のオランダでデモ行進につながったりという大変な反応が出ています。総理の発言というのは、目の前にいる人に向かってしゃべっているのではなくて、常に全世界に向けた、開かれたメッセージであるといった辺りの認識がちょっと足りなかったんじゃないかと、その辺りについてお伺いします。 <BR>
H:\0 boboro 50HP\bd0528.htm(101):&lt;p&gt;【森総理】天皇は今つつがなく御旅行なさっておられますので、いろんな報道は世界に伝わっておりますが、このことと、私は関連付けた報道は無かったというふうに承知をいたしております。是非、御無事で全日程を御無事で御旅行を進めていただければということを国民の一人としても願っているところでございます。 <BR>
H:\0 boboro 50HP\bd0528.htm(108):&lt;p&gt;【質問】ただ、やはり先ほどの冒頭で質問がありましたけれども、「天皇中心」という言葉と「神の国」という言葉をある意味で意識的に分けてというのはなかなか我々は納得し難いものがあるんですね。で、その誤解を招いたというところではなかなか済まされない問題ではないか。むしろなぜ撤回できないのでしょうか。撤回された方がその真意は伝わるのではないでしょうか。 <BR>
H:\0 boboro 50HP\bd0528.htm(110):&lt;p&gt;【森総理】私の思いは先ほどから度々申し上げておりますけれども、天皇というのは正に私自身の自分の人生から見てもこれは象徴天皇であり、国民統合の象徴であるという大前提で申し上げているわけです。 <BR>
H:\0 boboro 50HP\bd0528.htm(111):&lt;Br&gt; そういう意味の中で、天皇と神と結び付けるというような、そんな私の思いはございません。神というのは先ほど申し上げておりますけれども、人々の心に宿る私は文化だということもその場所で申し上げております。あのスピーチをお読みいただければ分かると思います。で、その時は神様のことも言っていますし、仏のことも言っていますし、そのすべての人間の心の中に宿るもので、ある種の文化だとも言っています。そのことは決して侵してはならないことだ。だから、同時にそのことを大事にすべきことだと、そういう趣旨で私は申し上げているわけでございますから。 <BR>
H:\0 boboro 50HP\bd0528.htm(117):&lt;p&gt;【質問】総理は命の大切さを説きたかったとそういうことであればですね、あの「日本は天皇を中心とする神の国だ」というスローガンの下でですね、かつてそういう思想の下でたくさんの命がむしろ失われた歴史が日本にはあるわけでして、全く不適切な引用だと思います。そこの部分だけでもなぜ撤回なさらないんでしょうか。 <BR>
H:\0 boboro 50HP\bd0528.htm(119):&lt;p&gt;【森総理】私も今あなたのおっしゃったとおりのことを思っています。かつては天皇については様々ないろいろなやはり当時の歴史的な見方もあったんだろうと思いますが、先ほども冒頭に申し上げましたように、そういう時代時代の歴史、反省、そういうものを乗り越えて、我々日本国民は今の憲法を定めたわけですね。 <BR>
H:\0 boboro 50HP\bd0528.htm(125):&lt;p&gt;【質問】ではですね、総理、なぜ「日本は天皇を中心とする」と、「中心」という表現を使って、なぜ天皇を象徴とすると。その「中心」と「象徴」という言葉はですね、私は意味が大分違うと思うんです。 <BR>
H:\0 boboro 50HP\bd0528.htm(126):&lt;Br&gt; で、あの歴代の内閣総理大臣のですね演説集を見てもですね、そのもちろん、吉田茂さん以降はですね、象徴という言葉を使うわけですね。天皇を象徴とするという、その象徴という言葉を使うんです。だけど、その前のそのあの明治憲法下における総理の演説の中にはですね、あの天皇の大権の下でその一切を捨てて御奉公申し上げてこそ日本国民でありますというようなことをですね、これはあの鈴木貫太郎内閣総理大臣の演説なんですけれどもね、そういうそのあの私が解釈するには天皇を中心とするという言葉に近いようなあの演説をされているんです。 <BR>
H:\0 boboro 50HP\bd0528.htm(127):&lt;Br&gt; つまり、そういうその象徴という言葉と中心という言葉は、つまり意味がかなり違うと思うんです。そこを踏まえてあの内閣総理大臣の、つまり今までの積み重ね、歴史があるわけですから、そこを踏まえていけばやはりあの場では総理は天皇をその象徴とするうんぬんという言葉をですねお使いになるべきだったんじゃないんでしょうか。 <BR>
H:\0 boboro 50HP\bd0528.htm(129):&lt;p&gt;【森総理】そういう御指摘を頂ければそうかもしれません。でも、私はさっきから度々申し上げておりますように、私の年齢からいえば、もうそういう教育を受けた時には新しい憲法の下で教育を受けているわけですから、天皇を私は象徴だということは当然のことと承知の上でものを申し上げているわけであって、歴代の・・・。 <BR>
H:\0 boboro 50HP\bd0528.htm(133):&lt;p&gt;【森総理】歴史は分かりますよ。だから、その言葉遣いに、もし御批判があれば私は先ほど申し上げた、そういう面では不本意といいましょうか、行き届かなかった面はあるけれども、しかし今おっしゃったような歴代の総理というのはある意味では戦前、戦中の体験をしていらっしゃる、そういう皆さんですから、意識的にやはり象徴天皇ということをおっしゃったのかもしれません。しかし、私は天皇というのはもう今の憲法における象徴、国民統合の象徴だということはもう頭の中にも心の中にももう入っていますから、改めて象徴天皇ということを私は申し上げなくても、私はそういう自分なりの理解をいたしておるわけです。 <BR>
H:\0 boboro 50HP\bd0528.htm(134):&lt;Br&gt; ですから、そういう憲法で定めた象徴天皇であるということだから、私はそれは中心だという言葉であっても、私はかつての昔の神格化された、そういう天皇だという思いは全く私の頭の中にも心の中にもございません。 <BR>
H:\0 boboro 50HP\bd0528.htm(137):&lt;Br&gt; つまり、総理のお気持ちの中では象徴天皇かもしれないけれども、内閣総理大臣としてはですね、やはりその天皇を中心とするという言葉を使うとですね、その今までの歴史があるわけですから、当然そこにはその誤解を生じるということは、あの当然その判断としてあってしかるべきだと思うんです。 <BR>
H:\0 boboro 50HP\bd0528.htm(143):&lt;p&gt;【質問】ただ、総理の御発言はもう記録として残っておりますし、全世界にも伝わっております。で総理がお認めになるように、あの、誤解が生じていることは間違いない事実だと思いますから、この天皇を中心とした神の国であるという、その、日本国総理大臣としての認識として、この言葉が残ってしまうことはですね、総理の本意でもないだろうと私は理解するんですが、とすれば訂正なり撤回されるのが最も理解される、その、対応だと思うんですが、もう一度伺いたいと思います。 <BR>
H:\0 boboro 50HP\bd0528.htm(147):&lt;p&gt;【質問】ということはその、言葉としてですね、その、総理大臣が日本の国の在り方について天皇を中心とする神の国であるという認識を述べられたという事実、その言葉が残っても、これはまあ構わないと。 <BR>
H:\0 boboro 50HP\bd0614.htm(26):&lt;P&gt; うーーむ。&lt;Br&gt;○あなたが故郷の川を忘れても、故郷の川はあなたを忘れないでしょう&lt;Br&gt;○あなたが死んだ父を忘れても、死んだ父はあなたを忘れないでしょう&lt;Br&gt;○日本人が旧植民地を忘れても、旧植民地は日本人を忘れないでしょう&lt;Br&gt;○旧臣民のあなたが天皇を忘れても、天皇は旧臣民のあなたを忘れないでしょう<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd0617b.htm(50): &lt;TD width=&quot;48%&quot;&gt;一時は昭和天皇の皇太子時代に妃候補にあげられたこともある。&lt;/TD&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd0617b.htm(97): &lt;p&gt;昭和天皇第1皇女子 成子(しげこ)内親王(照宮)殿下  &lt;/p&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd0617b.htm(106): &lt;p&gt;昭和天皇第2皇女子 子(さちこ)内親王(久宮)殿下  &lt;/p&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd0617b.htm(114): &lt;TD width=&quot;50%&quot;&gt;昭和天皇第3皇女子 和子(かずこ)内親王(孝宮)殿下  昭和4年9月30日ご誕生  昭和25年5月20日ご結婚(故鷹司平通夫人) <BR>
H:\0 boboro 50HP\bd0617b.htm(121): &lt;TD width=&quot;50%&quot;&gt;昭和天皇第4皇女子 厚子(あつこ)内親王(順宮)殿下  昭和6年3月7日ご誕生     昭和27年10月10日ご結婚(池田政氏夫人) <BR>
H:\0 boboro 50HP\bd0617b.htm(128): &lt;TD width=&quot;50%&quot;&gt;昭和天皇第1皇男子 明仁(あきひと)親王(継宮)殿下  昭和8年12月23日ご誕生  昭和34年4月10日ご結婚 <BR>
H:\0 boboro 50HP\bd0617b.htm(135): &lt;TD width=&quot;50%&quot;&gt;昭和天皇第2皇男子 正仁(まさひと)親王(義宮)殿下  昭和10年11月28日ご誕生       昭和39年9月30日ご結婚(常陸宮) <BR>
H:\0 boboro 50HP\bd0617b.htm(143): &lt;p&gt;昭和天皇第5皇女子 貴子(たかこ)内親王(清宮)殿下 &lt;/p&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd0803.htm(34):&lt;P&gt; 「終戦50周年」の方は、無条件降伏という歴史的事実を軽く扱い、「終戦」が「開戦」と同様に天皇の決断(ご聖断ってやつだ)によるものである点を強調していた。「敗戦50周年」の方は戦後の悲惨な生活に焦点を合わせている感じがあった。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd0803.htm(37):&lt;P&gt; 1945年を境にして日本は台湾・朝鮮という植民地を失った。満州での権益を失った。絶対権力者としての天皇を失った。皇軍を失い、教育勅語を失い、徴兵制をうしない、治安維持法を失った。つまり日本帝国が崩壊した。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd0803.htm(39):&lt;P&gt; でも、大日本帝国は戦後の日本にしっかりと「保存」されている。今日に至っても日本の政治・文化の不動の大黒柱は「天皇護持」である。8月2日付朝日新聞に一橋大学教授鵜飼哲さんが「保存のための忘却」という表現でこのあたりの事情を分析しておられる。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd0804.htm(40):&lt;P&gt; それで、日本帝国と今の日本は断絶しているんだ、と思いたいわけです。断絶しているのだから、戦没者の遺族の年金は当時の主権者である天皇が支払うべきだ。われわれが支払うのは筋違いだ、そう思うのです。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd0810.htm(19):&lt;TR&gt;&lt;td width=&quot;50%&quot;&gt;&lt;FONT color=&quot;darkblue&quot;&gt;&lt;p&gt; &lt;B&gt; さようなら昭和天皇&lt;!-- タイトル --&gt;&lt;/B&gt;&lt;/FONT&gt; <BR>
H:\0 boboro 50HP\bd0810.htm(40): さてなぜ昭和3年11月かと言うとこの月に昭和天皇の即位礼が執り行われたのである。この体操を企画した人々が昭和天皇即位記念の大事業ということで取り組んだのである。それ以後ラジオ体操は昭和天皇とともに全国津々浦々を席捲したのである。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd0810.htm(42): 団地の夏の朝はやっと昭和天皇とお別れした。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd0818.htm(36):&lt;P&gt; 「天皇陛下と国家と家族のために、東亜の諸民族の独立と共栄のために、何百万人の日本人が皇軍将兵として聖なる戦争を戦った。米国の物量作戦によって日本は二百数十万人の犠牲者をだしついに敗戦の憂き目を見ることになったが、これらの犠牲者はけっして犬死ではない。戦時中と同じく戦後においてもこれらの犠牲者の魂は国家のためにいのちを捨てた英霊、英魂であり、英霊の尊い死が今日の平和の礎であることを語り継がなければならない。--完--」<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd0818.htm(38):&lt;P&gt; 「天皇は常に臣民の幸せを願われる人徳者であった。常に平和を希求するやさしいお方であった。1945年8月のご聖断がそれを余すところなく物語っている。戦争によってもたらされた災禍はすべて君側の軍人たちの無思慮な判断、無謀な行動によって引き起こされたものである。--完--」<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd0906.htm(60):&lt;p&gt; そもそも、子供たちが生きているこの時代は「いのちの尊さ」を自明のものとしにくい時代だ。天皇のために命を投げ出したという理由で、処刑された戦犯や特攻隊をはじめとする戦没者が称揚される時代である。特攻隊の青年たちの死を無駄な死だったというものは世間から白い目で見られるのである。靖国神社への参拝を責務とする現代の政治は「いのちを捨てること」のほうを意義深く語っている。子供たちはそれを敏感に感じ取っている。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd0915.htm(53): この状況は今日もそのままだと思う。日本の民主主義は川をさかのぼる船のようなもので、棹を休めると直ちに「天皇の国」「神の国」という名の大海へ引き寄せられ始めるのである。棹さすことのないものにとっては、すなわちそこは「神の国」である。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd0915.htm(54):&lt;P&gt; 日本国憲法は「天皇国家」である海と「共和国家」である山との途中に新設された河岸の港であったのであろうか。 &lt;!-- --------本文終わり---------------- --&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd1011.htm(39): &lt;P&gt; ここで思い出すのは明治維新である。当時、せっかく《文明開化》の路線が打ち出されたのに、一方、それとは全く水と油の《王政復古》が唱えられて、妙な二本立の路線になってしまった。だから、わが国は確かに,技術的・物質的には近代化されたが、社会的・思想的にはむしろ古代化され、ついに分裂症に陥ってしまった。藩閥明治体制のこの矛盾の破綻がまさに四〇年前のあの敗戦だったのである。《尊王開国》により、それまで歴史の片隅に逼塞(ひっそく)していた原始的・古代的存在の天皇をわざわざ引っ張り出してきて果たしてよかったかというと、顧みてはなはだ疑問ということになろう。かりに《佐幕開国》により将軍徳川慶喜を大統領にでもしていたら、もともと彼には神がかったところはないから妙に絶対化されず、当然かなりの波瀾曲折はあったにしても、文明開化はすべての分野に着実に広く深く進行したであろう。&lt;P&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd1017.htm(41):&lt;p&gt;  私ども、松山・日本コリア協会は縁あってこの美術展を主催さていただくことになりましたが、朝鮮半島の平和的統一を支持し東北アジアの平和を希求する国際交流団体として、このような役割を与えられたことを光栄にも思い誇りにも思っております。さらに朝鮮分断の直接の原因が昭和天皇の「遅すぎた聖断」にあることを思えば、南北統一にいささかでも寄与すべく努力することは私たち日本国民の責務でもあると考えています。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd1104.htm(19):&lt;TR&gt;&lt;td width=&quot;50%&quot;&gt;&lt;FONT color=&quot;darkblue&quot;&gt;&lt;p&gt; &lt;B&gt; 天皇のボディガードに&lt;br&gt; 肋骨を折られた&lt;br&gt; 朝日新聞社長&lt;!-- タイトル --&gt;&lt;/B&gt;&lt;/FONT&gt; <BR>
H:\0 boboro 50HP\bd1104.htm(34):「『天声人語』の天皇と戦争」(松浦総三著・蝸牛新社・2000年8月15日初版・2000円)があるおそろしい事件に言及している。新聞報道の偏向の実態を知る上で重要な事件と思われるので、すこし長くなるが紹介しておこう。知っていて当然の話だが知らない人が多いのではなかろうか。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd1104.htm(36):&lt;p&gt; 1963年3月、朝日新聞が「エジプト美術展」を東京国立博物館と共催した。天皇と皇后が会場にやってきて鑑賞した。さて、 <BR>
H:\0 boboro 50HP\bd1104.htm(40):  会場へ天皇,皇后が出席した。天皇が美術を鑑賞中、主催者の朝日新聞社長村山藤子が,天皇に美術の由緒について説明するために、天皇の近くへ歩いた。すると、天皇のボディーガードで空手三段という屈強な男が、村山藤子を激しく空手チョップで殴打した。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd1104.htm(42):&lt;p&gt;  すぐ入院すると肋骨数本骨折という重傷である。よほど激しく殴打したのであろう。村山藤子は六十歳を超えた女性である。天皇のボディーガードの宮内庁職員にとって、相手が老女であろうと、朝日新聞社主であろうと天皇に近づくものは打てという規則があったに違いない。屈強のボディーガードはその規則を守ったにすぎない。戦後20年近くたつというのに,絶対主義天皇制健在を感じさせる一幕であった。天皇身辺護衛のすさまじさを感じさせた。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd1104.htm(43):&lt;p&gt;  この事件には、続編がある。この村山藤子殴打事件は村山の&amp;quot;殴られ損&amp;quot;に終わった。ということは、朝日新聞はタッタ1行もこれを報道しなかった。朝日新聞幹部は,宮内庁や天皇をコワがっていたからだ。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd1105.htm(51):&lt;p&gt;  日本における「関係」のねつ造、「関係についての物語」のおしつけといえば、大和朝廷による「日本書紀」「古事記」の右に出るものはない。この物語は今日においても、天皇の物語として日本の政治を厚く覆っている。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd1111.htm(34):&lt;p&gt;  次の会話はサンケイ新聞が当時報じた第3回会見のものである。(「『天声人語』の天皇と戦争」144p 松浦総三著:より孫引き、「裕」はHIROHITO氏、「マ」はマッカーサー氏)<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd1111.htm(55):&lt;p&gt;  今日、政府与党と復古諸勢力、ひっくるめて言えば「天皇勢力」が憲法と教育基本法への攻撃を強めているが、この会見からみれば、彼らの攻撃はここで紹介するマッカーサーの予言を阻止するための突撃戦といえる。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd1111.htm(56):&lt;p&gt;  一方忘暮楼は、「天皇の作った憲法」が「マッカーサーの予言」どおりに実現されることを祈念しているわけである。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd1112.htm(33): 「『天声人語』の天皇と戦争」(松浦総三著・蝸牛新社)からもう一つ。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd1112.htm(34):&lt;P&gt; 1947年5月6日(三日前の5月3日に日本国憲法が施行されている)に、天皇とマッカーサーの第4回目の会見があったという。そのときの話である。&lt;BLOCKQUOTE&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd1112.htm(38): &lt;P&gt;通訳は第一回のときと同じ奥村勝蔵。このとき象徴天皇が「もしアメリカが日本より撤退したら、だれが日本を保護するのか」と&lt;FONT color=&quot;red&quot;&gt;新憲法違反&lt;/FONT&gt;の声のでそうな安全保障問題まで踏み込んで、問うている。マッカーサーがこれに対して&lt;BLOCKQUOTE&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd1114.htm(39):&lt;p&gt;  1869年に藩主たちそれぞれの版(土地)と籍(人民)の支配権を天皇に渡した。日本の土地と人民は天皇の所有物となった。藩主は天皇の土地となった藩と藩内の人民を治める「知藩事」となった。1871年には天皇政府は藩を廃して県を置いた。藩主は世襲であったが、新たに設置された「県知事」は天皇の任命によって、ある期間、ある土地とその人民(臣民)を治める。こうして天皇政府は「県郡制度」を完成し「戸籍制度」や「徴兵制度」を確立して中央集権体制を固めていった。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd1114.htm(40):&lt;p&gt;  つまり、「県」だの「郡」だのというものは、天皇政府の用語であり、いまもって日本の土地と人民が天皇の所有物だと言っているに等しいのだ。このごろは天皇勢力が昔の威力と利権を回復しようとのさばり始めているが、それでも、日本の土地と国民が天皇の所有物とまでは言わないだろう。天皇の臣下を意味する「大臣」と同様、苦々しい言いまわしである。苦々しいので今日の日付はは2000年をやめて明治133年としておいた。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd1126.htm(35):&lt;P&gt; ときの太政大臣三条実美は「薩長均衡の原則」から、1人総理大臣制に難色を示したそうだが、二転三転の後、結局言い出しっぺの伊藤博文が初代の内閣総理大臣になる。ここに出てくる「大臣」はすべていうまでもなく天皇の上席の臣下をいう。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd1126.htm(36):&lt;P&gt; 国民主権である日本国政府の要職は依然として天皇の臣=大臣のままである。しかして問題になることもなし。大臣という呼称は「神の国」以上に、「国体の連続」の観念を国民に押し付ける道具になっている。天皇は、事あるごとに足下におびえかしこまる大臣たちを見て「国民主権」の実態を笑っているのではないだろうか。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd1127.htm(39): &lt;P&gt; 憲法発布の日は、東洋で初めて立憲主義の憲法が生まれたという興奮もあって、奉祝ムードに包まれた。政府百官が列席するなか、天皇から首相黒田清隆に憲法典が下付された後、天皇・皇后がはじめて馬車に同座して民衆のなかに姿をあらわすと、&lt;FONT color=&quot;red&quot;&gt;このときから使用しはじめた「万歳」の歓呼&lt;/FONT&gt;の声が群集の間から沸き起こった。(同書363p)&lt;P&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd1128.htm(37):&lt;LI&gt;天皇が法律や条約を公布している<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd1128.htm(38):&lt;LI&gt;天皇が国会を召集している<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd1128.htm(39):&lt;LI&gt;天皇が衆議院を解散している<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd1128.htm(40):&lt;LI&gt;天皇が大赦特赦を認証している<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd1128.htm(41):&lt;LI&gt;天皇が栄典を授与している<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd1128.htm(48):&lt;LI&gt;天皇が国会の使命に基づいて総理大臣を任命する<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd1128.htm(50):&lt;P&gt; といった「国民主権」の意味を考えると、それは&lt;FONT color=&quot;red&quot;&gt;議会が長い歴史を経てついに天皇に最も近い距離に位置することになったあらわれと見ることができるのではないか。&lt;/FONT&gt; <BR>
H:\0 boboro 50HP\bd1128.htm(54):&lt;P&gt; 日本のさまざまな分野の権力者たちは、つねに、&lt;FONT color=&quot;red&quot;&gt;天皇との最短距離を確保する&lt;/FONT&gt;ことでその権力を正当化してきた。その政治手法は今日の日本国憲法においてすら変わっていない、というのである。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd1204.htm(33): スキャナーが作動し始めたのでいろいろスキャンしてます。この「酔客のごとく」は1988年11月に書いたもので、裕仁天皇の死去を取り上げました。長いので2回に分けました。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd1204.htm(53):&lt;p&gt;  そんなに好きな憲法だけれども、象徴天皇の規定だけは正直言ってていまだにしっくりきません。私にはそもそも、日本人が、天皇などという象徴がないとやっていけない国民であるとは思えないので<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd1204.htm(63):&lt;p&gt;  裕仁さんのおじいさん・睦仁さん(明治天皇)も、お父さん・嘉仁さん(大正天皇)も病死されました。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd1204.htm(78):&lt;p&gt;  鴎外が「聖上御不予(病気)」の報に接したのも宮内省の公式発表によってのようです。この後、連日、後に「大正政変」の主人公となる上原大臣から天皇の病状を伝えられます。興味深いのは24日の記事です。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd1205.htm(40):&lt;p&gt;  漱石さんは、天皇重患の報の出る10日前の7月10日、皇后と皇太子が臨席する行啓能を見ました。山県有朋・松方正義の両元老、後に天皇に殉死することになる乃木希典も参席しています。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd1205.htm(60):&lt;p&gt;  さて、7月20日、明治天皇重態が発表きれましたが、さっそく始まった「自粛」の風潮を漱石さんは次のように批判しています。この部分は、共同通信が流し、朝日新開の 「天声人語」もとりあげていますが、やはりここでも紹介しておきたい。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd1206.htm(43):&lt;p&gt;  病気の快癒を心底願う人であるなら、病気の快癒につながることをなすべきです。一昨日、愛媛県議会は天皇の回復を祈念する決議を、社会党の退場、共産党の反対を押し切って強行採決したそうですが、これなども「没常識」の典型でしょう。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd1206.htm(44):&lt;p&gt;  天皇の病気を政争の種にすることが、病人である裕仁さんにとってどんな励ましになるというのでしょうか。生老病死は人間にとって、生き物にとって、逃れることのできない絶対条件です。老いて病に倒れ、死に直面している裕仁さんへの励ましが、多数決による決議であるはずがありません。もっと個人的で、もっと密室的な祈念であるはずです。そして、どの老人にも、どの病人にも相違ずる哀れみがなによりも大切と考えます。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd1206.htm(60):&lt;p&gt;  さて、裕仁さんの父上(大正天皇)が逝去なきった時の民衆の様子はどうだったのでしょう。この時の「自粛」ブームも大変なものだったのですが、永井荷風さんは「断腸亭日乗」の中で、次のょうな記録を残してくれています。日付は裕仁さんの父上ご逝去の翌日です。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd1206.htm(63):「十二月二十六日…吾妻橋を渡り自動車を下るに雷門外の灯火沸くが如く、絡繹たり(人ノ往来ガヒッキリナシダ)。上野広小路を過ぎ万世稀にて諸子と別れ独り銀座に至る。歳暮雑踏の光景、毫も諒闇(天皇死去後の服喪期間)の気味なし。銀座通りの夜肆(ヨミセ)もまた例年の如し。大訝に登るに酔客楼に満つ。」<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd1227.html(43):&lt;P&gt; 1890年前後から1945年の敗戦にいたるまでの日本では、国家や軍の機密、あるいは皇室に関することは、たとえ事実であっても自由に話したり、記録して公表したりすることができませんでした。歴史教育の目的は、天皇に忠義を尽くす「臣民」をつくることであり、歴史教科書は子どもを「臣民」の鋳型にはめるためのものとされました。これに合致しない事実は退けられ、架空の物語が日本の歴史教育の根幹を占めました。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd1227.html(46):&lt;P&gt; 第一は、&lt;FONT COLOR=&quot;red&quot;&gt;記紀神話をあたかも歴史的な事実であるかのように記述している&lt;/FONT&gt;ことです。たとえば「神武天皇の進んだとされるルート」を地図入りで示すなどして、「神武東征」をあたかも歴史的な事実であるかのように描いています。また、学問的な研究をいっさい無視して、「神武天皇即位の日」を太陽暦になおしたのが2月11日の建国記念日の日」とまで書いているのです。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd20113.htm(35):&lt;P&gt; 民主社会党の基本政策には「君主」とか「天皇」とかについての記述がない。ということは共和制への移行は念頭にないということだろうから「共和党」への党名変更はもとめられそうもない。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd20113.htm(44):&lt;P&gt;第一次大隈重信(おおくましげのぶ)内閣(隈板(わいはん)内閣)の&lt;FONT color=&quot;red&quot;&gt;文相尾崎行雄の演説&lt;/FONT&gt;が問題化し、内閣瓦解(がかい)の発端となった事件。尾崎文相が1898年(明治31)8月21日帝国教育会での演説で、当時の金権万能主義の風潮を批判し、&lt;FONT color=&quot;red&quot;&gt;もし日本に共和政治が実現するとすれば三井、三菱(みつびし)が大統領候補となるであろう&lt;/FONT&gt;との発言が問題化した。まず、宮中方面から批判の声があがり、政党内閣に批判的な枢密院、貴族院に非難の声は広がり、さらに与党憲政党内の旧自由党派の実力者星亨(ほしとおる)が駐米公使を辞任して帰国していたが、陸相桂(かつら)太郎らとひそかに連携して尾崎排除をもくろみ、新聞論調も尾崎攻撃を開始した。尾崎は10月24日天皇の信任も失い辞任を余儀なくされた。しかし、その後任をめぐって旧進歩・自由党両派の対立は深刻化し、妥協点をみいだすことができないため、大隈首相は独断で進歩派から犬養毅(いぬかいつよし)を推した。これに対し就任式当日の10月27日、内相板垣退助(たいすけ)が反対意見を上奏、翌日板垣ら自由派三大臣が辞任、さらに与党憲政党も分裂し、内閣は31日崩壊した。〈宇野俊一・日本大百科全書〉&lt;P&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd20116.htm(20):&lt;TR&gt;&lt;td width=&quot;50%&quot;&gt;&lt;FONT color=&quot;darkblue&quot;&gt;&lt;p&gt;&lt;B&gt;大臣は天皇の大臣&lt;!-- タイトル --&gt;&lt;/B&gt;&lt;/FONT&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd20116.htm(34):&lt;P&gt; 大臣というのはもともと太政官の長官の意で、太政大臣、左大臣、右大臣、内大臣をさす。大臣が天皇の臣下の最高位である点は、伊藤博文が初めて就いた総理大臣の職においても同様であった。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd20116.htm(35):&lt;p&gt; そして実は新憲法下の現在も同じである。同じであるから「大臣」という天皇への臣従を象徴する職名を継承しているのである。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd20131.htm(42):&lt;P&gt; 戦争好きの男の天皇や男の軍人や男の政治家たちが日本の若者たちをどんどんと戦場に送りこんでいた頃、その若者のために、女である母や祖母や姉妹たちはどれだけ涙を流したことか。そのとき、その涙で、男である天皇や軍人や政治家は好きな戦争を諦めたのか。なにが「最大の武器」だ、あきらめるはずがない。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd20205.htm(36):&lt;p&gt; 私の名前「守」は「立派な兵隊さんになって日本を守れ」という父親の願いで付けられたものだろう。実は私が生まれた1942年4月18日は、アメリカの機動部隊(B29の前のB25)が初めて東京を爆撃した日である。この米軍による帝都爆撃によって天皇身辺の安全確保が緊急の課題となり、日本の防衛線の拡張を期して海軍によるミッドウエィ島攻撃が決定されることになる。主上をいかにして「守」るか、日本本土をいかにして「守」るか、が当時の「キーワード」だったのである。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd20213.htm(35):&lt;p&gt; 15歳人口の減少は今の天皇の即位の年から始まり今年で13年目です。あと7年は引き続いて減少、その後横ばい、というのが今の予想です。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd20216.htm(19):&lt;P&gt; よくあることだが、別の席でもたまたま鳥取が話題に上って、倉吉市の近くにある「私都」はどう読むか、ということになった。全く見当もつかなかったが、正解は「きさいち」だった。「私都」には安徳天皇の墓がある。安徳天皇は本当は壇ノ浦から生き延びてこの地で没したという伝説がある。&lt;/P&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd20219.htm(63):Column 神武天皇の東征伝承<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd20219.htm(93):&lt;p&gt; 大和朝廷の頂点に立つ人は大王とよばれ、まだ天皇の呼び名はなかった。地方の豪族は同じ血縁を中心にした氏という集団をつくり、大王から臣や連といった姓を与えられ、氏ごとに決まった仕事を受けもった。これを氏姓制度という。有力な帰化人は、こうした制度の中に組み込まれていった。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd20220.htm(45):&lt;p&gt; 太子は593年、女帝である推古天皇の摂政となり、それまでの&lt;FONT color=&quot;red&quot;&gt;朝鮮&lt;/FONT&gt;外交から、大陸外交への方針転換を試みた。&lt;FONT color=&quot;red&quot;&gt;朝鮮&lt;/FONT&gt;を経由せずに大陸の文明を取り入れることも大切で、太子は、607年、小野妹子を代表とする遣随使を派遣した。しかし、日本が大陸の文明に吸収されて、固有の文化を失うような道はさけたかった。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd20402.htm(51): 「明治天皇も昭和天皇も、国民の命は鳥のはねよりも軽いと仰せられました。実際、神風特攻隊の作戦をあげるまでもなく先の戦争で日本臣民はみなそのような扱いを受けたのでございます。また皇軍が、それぞれにやさしい親を持つ2000万人のアジアの人々を死に至らしめたのも事実でございます。&lt;p&gt; しかしながら、私が子どもを生んだ実感から申しますと、生まれたての子供の生きる力というのを目の当たりにいたしまして,子供っていうのは,変な言い方ですけれども,本当に生きるために,そして,親に愛されるべくして生まれてくるんだということを強く感じました。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd20421.htm(37): 春・秋の例大祭では、天皇が靖国神社に勅使を派遣する。靖国神社の&amp;lt;奉祝行事案内&amp;gt;によれば春季例大祭初日の4月22日午前10時半に&amp;lt;勅使参向&amp;gt;とある。今回の首相参拝によって、4月21日には首相参拝、22日には勅使参向(実質としては天皇参拝)と揃い踏みすることになるわけだ。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd20529.htm(37):&lt;B&gt;「日本の軍隊の建軍の本義とは、『天皇を中心とする日本の歴史・文化・伝統を守る』ことにしか存在しないのである」&lt;/B&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd20529.htm(46):&lt;P&gt; 四年前、私はひとり志を抱いて自衛隊に人り、その翌年には楯の会を結成した。楯の会の根本理念は、ひとヘに自衛隊が目ざめる時、自衛隊を国軍、名誉ある国軍とするために、命を捨てようといふ決心にあつた。憲法改正がもはや議会制度下ではむづかしければ、治安出動こそその唯一の好機であり、われわれは治安出動の前衛となつて命を捨て、国軍の礎石たらんとした。国体を守るのは軍隊であり、政体を守るのは警察である。政体を警察力を以て守りきれない段陪に来て、はじめて軍隊の出動によつて国体が明らかになり、軍は建軍の本義を回復するであらう。日本の軍隊の建軍の本義とは、「天皇を中心とする日本の歴史・文化・伝統を守る」ことにしか存在しないのである。国のねじ曲つた大本を正すといふ使命のため、われわれは少数乍ら訓練を受け、挺身しようとしてゐたのである。&lt;/P&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd20530.htm(36):&lt;p&gt;  西原証人はさらに、被告小泉首相が自分が主催する「全国戦没者追悼式」だけで満足せず、なんとしても靖国神社に参拝したがる理由は、天皇が臨席する「全国戦没者追悼式」にはA級戦犯が追悼の対象となっておらず、靖国神社にはA級戦犯が祭られているからだ、と述べ、被告小泉が哀悼のまことを捧げる相手はA級戦犯なのだ、とその参拝の不当を訴えた。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd20609.htm(20):&lt;TR&gt;&lt;td width=&quot;50%&quot;&gt;&lt;FONT color=&quot;darkblue&quot;&gt;&lt;p&gt;&lt;B&gt;天皇と握手&lt;!-- タイトル --&gt;&lt;/B&gt;&lt;/FONT&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd20609.htm(34):&lt;P&gt; 日記が書けないときというのはたいてい未解決の問題があるときなのだが、実は、この数日、天皇の握手の問題を追いかけていた。&lt;p&gt; というのが、数日前、職場の同僚がこう教えてくれたのである。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd20609.htm(39):あのね、先生に言わんといけんことがあるんよ 先生は天皇は国民と握手せんと言いよったやろ。ところがヨ、今朝のテレビでな、サッカーの中山ゴン選手が天皇と握手しとったで。これはオノエ先生に言ワンといけんと思てな。&lt;/DIV&gt; <BR>
H:\0 boboro 50HP\bd20609.htm(43): にわかには信じがたい話しである。天皇は外国人とは握手するが、国民とは握手をしない。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd20609.htm(45):&lt;p&gt; これが天皇制には許容できない。天皇は国際的には一人の人間だが、国内的には伝統的に人間以上のものであろうとする。そこで国民とは握手をしないという伝統が生まれていた。握手すると天皇が穢れるのである。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd20609.htm(47):&lt;p&gt; ワールドカップ開会直前、4月25日の対スウェーデン戦のおり、天皇が選手たちに直接会って激励したのだが、この握手はそのときの出来事であった。仄聞で書くのも気が引けるのでこの数日インターネットで事実の確認を続けていたのだが、不思議なことにこの出来事に触れた記事がないのである。マスコミがこの出来事の報道を意識的に規制しているのではないか、疑いたいほどである。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd20609.htm(55):&lt;br&gt;はい、確かに天皇陛下と握手している映像がありました。 &lt;/DIV&gt; <BR>
H:\0 boboro 50HP\bd20609.htm(60):&lt;p&gt; 天皇制の歴史の中でも特筆すべき重大性を持つ出来事だと思うのだが、想像以上の「無関心」ぶりである。変だ。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd20611.htm(36):&lt;p&gt; 若者たちは「君が代」と「日の丸」を引っさげてアジアに君臨しようとしている。天皇や自民党は喜んでいるだろう。未来は若者のものであるから。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd20707.htm(35):&lt;p&gt; マルクスやエンゲルスの学説解釈がどう変わろうとも、今日共産党が天皇や天皇制に対して「大人(80歳の…)」の妥協を演じていたとしても、この党が根っからの共和主義であることは間違いない。「天皇制よさようなら、共和制よこんにちは」、という歴史的な日を迎えるためには共産党に成長してもらうよりほかにないのである。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd20707.htm(36):&lt;p&gt; 共産党が80年間活躍し続けてきたということは、この80年間、日本人のなかの一部に、天皇制を廃止して共和国を作りたい、と真剣に願う人々が絶えなかったということだと勝手に解釈している。そして今後もそういう人々は絶えることがないだろうし、あるとき日本は天皇に名誉ある退陣を強い、国民が元首を選出する、平等な個人によって構成される共和制に移行することになるかもしれない。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd20728.htm(34):&lt;P&gt; 松山地区の県立高校は、&lt;A href=&quot;bd9/bd91005.htm&quot;&gt;10年間(平成天皇の最初の10年間、と覚えておこう)の間に収容定員を830人削減することによって40人学級を実現&lt;/A&gt;した。県立高校から締め出した生徒は私立高校に面倒を見させたのだった。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd20812.htm(46):憲法が「押しつけられた」最大の原因、責任が誰にあるかといえば、それはポツダム宣言を受諾した天皇および大日本帝国にある。&lt;/DIV&gt; <BR>
H:\0 boboro 50HP\bd20812.htm(54):&lt;LI&gt;天皇が、米、英、華三国が1945年7月26日ポツダムで日本に対する宣言に署名する以前に降伏していれば、同じ敗戦という結果であっても、戦後の憲法は今のものとは違っていたかもしれないし、憲法改正そのものがなかったかもしれない。&lt;P&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd20812.htm(56):&lt;LI&gt;しかし、天皇は「国体護持」の保障をえられるまでは戦争を継続しようとした。&lt;P&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd20812.htm(93):&lt;LI&gt;しかし、8月14日の御前会議で、天皇は、ポツダム宣言受諾を決定をした。この決定は「天皇の聖断」と称された。「聖断」の内容は、単なる無条件降伏・終戦の決定として扱われることが多いが、ポツダム宣言の実現のために、憲法改正を含めた戦後改革を実行することを米英中連合国に契約したことを意味する。&lt;P&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd20812.htm(101):&lt;LI&gt;したがって、押し付け憲法をもたらした最大野責任者は天皇及び大日本帝国であった。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd20814.htm(20):&lt;TR&gt;&lt;td width=&quot;50%&quot;&gt;&lt;FONT color=&quot;darkblue&quot;&gt;&lt;p&gt;&lt;B&gt;&lt;!-- タイトル --&gt;天皇の聖断と私たちの毎日&lt;/B&gt;&lt;/FONT&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd20814.htm(35):&lt;p&gt; これをうけて開かれた、 8月9日から10日未明にかけての御前会議では、出席者の半数はポツダム宣言受諾による終戦に賛成したが、陸軍を中心とする残りの半数がポツダム宣言拒否、本土決戦による天皇制護持を主張し、賛否同数の膠着状態だった。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd20814.htm(36):&lt;P&gt; 57年前の今日8月14日、天皇は&lt;A href=&quot;bd20812p.htm&quot;&gt;ポツダム宣言&lt;/A&gt;が天皇と大日本帝国に提示した戦争終結条件の履行契約による事態収拾を決心したのである。ポツダム宣言が提示した戦争終結の条件は大略次のようなものだった。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd20814.htm(54):天皇はこれらの条件を丸呑みすることによって、大日本帝国の全面的壊滅を避ける道を選んだのである。実際、ドイツは連合軍の総攻撃によって完全な廃墟と化していた。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd20814.htm(55):&lt;p&gt;  天皇は、ポツダム宣言が天皇制の存続・廃止について言及していない点に天皇制存続の現実性を見た。これが宣言受諾の根拠である。「終戦の詔勅」のなかには「朕茲に国体を護持し得て…」とその安堵を正直に述べている。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd20814.htm(56):&lt;p&gt; 天皇は翌8月15日、ラジオを通じて&lt;A href=&quot;http://www3.plala.or.jp/seon/desk/syu.htm&quot;&gt;「終戦の詔勅」&lt;/A&gt;を読み上げた(忘暮楼の現代語訳で示す)。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd20814.htm(61):&lt;p&gt; 交戦を続けるならば、最後にはわが日本民族の滅亡を招くことになる。」「そのようなことになっては天照大神をはじめ神武天皇以来のご先祖に申し訳がたたない。」「これがポツダム宣言受諾の理由である。」<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd20814.htm(67):&lt;p&gt; 「私は天皇制を守りぬくことができたので、おまえたち臣民のまごころを信じて、常に御前たちとともにあるのだから、軽挙妄動は厳に慎まなければならない。」<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd20814.htm(71):&lt;p&gt;  読んでみれば分かるように、天皇はこのラジオ放送で、「ポツダム宣言」によって日本がどう変わるのかについてなにも述べていない。ただ「国体は護持できた」「太平の世を開く」というばかりである。 「軍国主義の除去」についても、「日本国領土の占領」についても、「カイロ宣言の条項の履行」についても、「本州、北海道、九州、四国および連合国が決定する諸小島への日本の主権の制限」についても、「日本国軍隊の完全な武装解除」についても、くどいようだが、「戦争犯罪人に対する厳重な処罰」についても、「民主主義の確立」についても、「賠償の実施と平和産業の確保」についても、一切触れていない。。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd20814.htm(73):&lt;p&gt; しかし、天皇がラジオ放送でそれに触れようが触れまいが、天皇の「ポツダム宣言」受諾への決心=「聖断」は、日本の大変革の扉を開く国際的な契約であったのである。その契約があったからこそ、戦争終結が実現したのである。この契約を結ばなかったならば、連合軍の圧倒的な攻撃による本土全体の壊滅は確実だった。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd20814.htm(75):&lt;p&gt;  「日本民族の滅亡」を選ぶか、今日の政治制度を選ぶか、当時の視点でみるならば二つに一つであったのである。大日本帝国憲法のままで、日本民族の滅亡を回避する道は残されていなかったのである。天皇と大日本帝国の無謀な戦争政策が日本をそこまで追い込んでしまっていたのである。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd20815.htm(30): ご覧になればすぐ気がつかれると思うが、この文書では天皇の「聖断」が見事に無視されている。「日本帝国主義は敗北し、日本政府はポツダム宣言を受諾した」とあるが、天皇個人の承諾がなければ政府が受諾できないわけだから、それを記さないということは私には一種の情報操作のような印象を受ける。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd20815.htm(31):&lt;P&gt; JPCは「ポツダム宣言の完全実施」をめざしたとある。この「ポツダム宣言の完全実施」こそは天皇の契約であり義務である。ということはJPCは天皇に自分で結んだ契約を完全に履行せよ、と迫っていたことになる。「人民共和国憲法草案」もその完全履行の道筋を示したのである。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd20815.htm(33): JPC綱領が、日本共産党の戦争責任批判については反論しているのに「押し付け憲法」攻撃には触れていない理由を私は知らないが、「反ファッショ連合国」の圧力を重視し、天皇の「聖断」を無視する文脈からは「押し付け憲法」論批判は展開しにくいのかも知れない。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd20815.htm(44):&lt;p&gt;  第2次世界大戦における日独伊侵略ブロックの敗北、反ファッショ連合国と世界民主勢力の勝利は、日本人民の解放のための内外の諸条件を大きくかえ、天皇制の支配のもとに苦しんでいたわが国人民が立ちあがる道を開いた。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd20815.htm(45):&lt;p&gt;  戦後公然と活動を開始した日本共産党は、ポツダム宣言の完全実施と民主主義的変革と徹底してなしとげることを主張し、天皇制の廃止、軍国主義の一掃、国民の立場にたった国の復興のために、民主勢力の先頭にたってたたかった。党が、「人民共和国憲法草案」を発表したのは、こと立場からであった。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd20815.htm(46):&lt;p&gt; わが国を占領した連合軍の主力が、原爆を武器として対ソ戦争の計画を持ち新しい世界支配をねらうアメリカであったことは、日本の運命を外国帝国主義への従属というかつてない状態に導く第一歩となった。世界の民主勢力と日本人民の圧力のもとに一連の「民主化」措置がとられたが、アメリカは、これをかれらの対日支配に必要な範囲に限り、民主主義革命を流産させようとした。現行憲法は、このような状況のもとでつくられたものであり、主権在民の立場にたった民主主義的平和的な条項を持つと同時に、天皇条項などの反動的なものを残している。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd20816.htm(35):  8月15日付け日記で、日本共産党(JPC)綱領の戦争終結過程の分析をみた。そこでは、ポツダム宣言は言及されているが、「聖断」はまったく無視されていた。これは、戦後の「民主主義革命」を天皇の「聖断」とは無関係なものとして描こうとしているのである。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd20816.htm(36):&lt;p&gt; ここで興味深いのは、例の侵略戦争美化の扶桑社版中学歴史教科書では、逆に、「聖断」は「これは異例なことだった」と感動を込めて記述しているのだが、天皇が受け入れたポツダム宣言の内容にはまったく触れていないことである。ここには、「聖断」を「日本の降伏の決断」に矮小化し、戦後の大きな政治・文化の改革を天皇の「聖断」と無関係なものとして描こうとする意図があるのであろう。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd20831.htm(59): &lt;LI&gt; 天皇は「聖断」によって降服による戦争終結を決意した。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd20831.htm(63): &lt;p&gt;  扶桑社版中学歴史教科書はこうした記述によって、子供たちに「心優しい天皇」、「自分勝手な占領軍」という印象を与えようとしているのである。そのことによって、現在の日本の状況が占領軍の押し付けによって生まれたと教えたいのである。&lt;/p&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd20831.htm(66): &lt;p&gt; ただし、私は天皇の「聖断」の意味をもうすこし強く押し出すべきではないかと思っている。天皇の「聖断」というのは、ポツダム宣言の誠実な履行によって、日本を民主化し、日本を二度と戦争を引き起こさない国に変革するという国際的な契約によって日本の全面的な壊滅を避けようという決意であった。&lt;/p&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd20831.htm(67): &lt;p&gt;  ところがたとえば、天皇が承服した「軍隊の解体」ひとつ見ても大日本帝国憲法を徹底的に改正しない限り実現は不可能だ。つまり戦争放棄の新憲法は天皇の「聖断」の実現に過ぎないのである。占領軍による戦後改革の推進も、天皇の「聖断」の実現に他ならない。&lt;/p&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd20919.htm(40):&lt;p&gt; というのが、今日はたまたま9月18日、柳条湖事件(1931年)勃発の日であるが、このとき関東軍は独断で軍事行動を起こした。9月21日には朝鮮に駐留する日本軍(朝鮮軍)が天皇や政府の知らない間に独断越境し、戦火は南満州全体に拡大したのであった。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd20919.htm(41):&lt;p&gt; この事件は確かに天皇に指導力がないことの証左となるのかもしれないが、しかし、だからといってこの一事をもって、天皇政府は外交交渉の相手にはなり得ない、と結論することは乱暴ではないかと思うのである。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd21012.htm(47):&lt;p&gt; そのほか、流し読みしたため再確認できなかったが「菊の花の飾られた祭壇」も天皇の忠霊であることから始まったとの指摘もあったと思う。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd21123.htm(28): &lt;P&gt; それはそうとしてこれで皇族は24名となった。皇位継承候補は一人減って6人。現在の天皇が仮に20年後、88歳で死去したとして、かつそれまで皇室に男子が誕生しなかったとすると、そのときの皇位継承候補者の年齢は<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd21123.htm(38):&lt;P&gt; もともと一夫多妻によって維持されてきた世襲制度を、一夫一婦制(大正天皇以来)によって引き継ごうとすることは、それ自体、砂上に楼閣を築くようなものである。一夫一婦制を選ぶか、一夫多妻制による世襲制を選ぶか、二つに一つなのだ。こんにちの事態は、世襲制である天皇制を廃止せよ、という天の声なのかもしれない。&lt;P&gt; 下は本日現在の皇室構成図。赤い数字は皇位継承順位である。&lt;P&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd21123.htm(40): ┏━故・昭和天皇<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd21123.htm(41): ┃    │━━━━┳━━&lt;B&gt;天皇さん&lt;/B&gt;(68)<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd21230.htm(29):&lt;P&gt; 突飛な表現であるが、実際はアメリカがアフガニスタンで展開した大破壊戦争も似たようなものであるし、現在進めているイラク侵攻も同じことである。大日本帝国が天皇のいない日本などありえないといって、一億玉砕を呼びかけたのもそう昔のことではなかった。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd30108.htm(26): &lt;p&gt;&lt;IMG src=&quot;linehead.gif&quot; width=&quot;100&quot; height=&quot;40&quot;&gt; 昨日の「しんぶん赤旗」が小泉首相の伊勢神宮公式参拝を報道していた。1月6日、小泉純一郎首相は、国土交通相、環境相、防災担当相を伴って、「天皇家の祖先神天照大神を祭る」伊勢神宮を参拝したそうだ。靖国神社参拝と同様に憲法違反の宗教行為である。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd30108.htm(37):&lt;P&gt; ▼緑したたる神域に足を踏み入れれば、何事のおわしますかは知らねども、身の引き締まる思いになって自然と頭が下がる。そうであるなら国のために殉じた死者たちにも頭を下げて当然ではないか。どうか天皇、皇后両陛下靖国ご参拝実現の日の早からんことを願う。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd30122.htm(27): &lt;P&gt; 一つは、憲法前文に宣言されている「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにする」という「決意」、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しよう」する「決意」との関係である。これらの決意は、1945年8月15日までに追求された植民地獲得とアジア支配のための軍事行動に対する天皇と日本国民の痛切な反省から生まれたもので、日本の国民の平和な生活にとってのみならず、アジア諸国民の平和にとっても不可欠の要件となっている。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd30122.htm(28): &lt;P&gt; 靖国神社は、明治以来の日本の軍事行動に参加したものの死を「天皇のための名誉の死」と信じ込ませることを唯一の目的として創建された。だからこそ帝国陸軍はこの神社を護持しつづけてきた。したがって、この特殊な神社は、帝国陸軍の崩壊とともに廃絶せしめられるべきであり、戦没者の御霊はそれぞれの家族のもとに返されるべきであったのに、一部の旧体制勢力によって守られつづけてきた。今日ではそこにA級戦犯さえ祭られている。にもかかわらず、戦争を知らない小泉首相がただ政治的信念でもって靖国神社を尊重しつづけ、アジア諸国の反感と警戒を知り尽くした上で参拝を強行しつづけているのである。この行為は憲法前文の「決意」の否定であり、アジア諸国民の「期待」への挑戦である。これが第一の問題点だ。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd30209.htm(36):  天皇はポツダム宣言によって日本皇軍の無条件降伏と武装解除、日本社会の民主化、を要求され、それを拒否した場合は日本全土の破壊しかないと宣言された。天皇は自分の意志で、いわゆる「ご聖断」として、これらの要求を受け入れ皇軍は無条件降伏した。大日本帝国憲法はただちに天皇の「ご聖断」が受け入れた改革方針にそって改正された。&lt;/P&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd30209.htm(37): &lt;P&gt; 我々の社会のあるレベルの民主主義と、あるレベルの平和はこの天皇の意思によって実現されたのである。それを思えば、小沢昭一さんには悪いけど、政権打倒を目的とする戦争(正義の戦争)も捨て去ることはできないのではないかという気もしてくる。&lt;/P&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd30209.htm(39): &lt;P&gt; アメリカは、対日戦において、自ら日本を占領し、かつ、「ご聖断」を下した張本人である天皇を前面に出しつつ日本の改造を進めた。しかし、今回はアメリカが、イラク改革のために元首フセインを利用することは不可能だろう。また、&lt;FONT color=&quot;#ff0000&quot;&gt;アメリカ軍がイラクを直接占領することは、アラブ世界の反発を招くだけでなく、米兵をテロの標的にするにひとしく&lt;/FONT&gt;、これまた不可能だろう。イラクでは、女が米兵に腕にすがり、こどもが「ギミーギミー」と米兵のジープを追っかける光景は再現されるまい。&lt;/P&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd30410.htm(4):&lt;TITLE&gt;原爆と天皇&lt;/TITLE&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd30410.htm(16): &lt;td width=&quot;50%&quot;&gt;&lt;FONT color=&quot;darkblue&quot;&gt; &lt;font color=&quot;darkblue&quot;&gt;&lt;font color=&quot;darkblue&quot;&gt;&lt;b&gt;原爆と天皇&lt;!-- タイトル --&gt;&lt;/b&gt;&lt;/font&gt;&lt;/font&gt;&lt;b&gt;&lt;FONT color=&quot;darkblue&quot;&gt; <BR>
H:\0 boboro 50HP\bd30410.htm(30): &lt;P&gt; このなかに巣鴨拘禁所での木戸幸一の陳述があった。木戸幸一は天皇と自分がいかに切実に系統的に終戦を志向していたかを証言しようとしているのであるが、GHQ側はGHQ側で、原爆攻撃が終戦を早めたという証言をほしがっていたようだ。そこでGHQが質問する。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd30410.htm(32):原爆の出現が皇族方を非常におびえさせ、それが天皇を刺戟した為、天皇があれから終戦の即時実現に特に熱心に動かされたのだと言う説があるが、之にたいして貴下は如何に思いますか?<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd30410.htm(34): 天皇の終戦意志の一貫性を強調したい木戸幸一は、言下に「それは全くの憶測です」と切り捨て、原爆の問題で天皇や自分のところへ何かを話にきた皇族は1人もいなかった、と述べた上で、次のような陳述をするのである。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd30410.htm(38): 当時天皇はポツダム宣言を受け入れることで、継戦派が叛乱を起こしかねないと危惧していた。国内の動乱が起きれば終戦は不可能になると考えていたらしい。奇異なことだがこれを軍隊による左翼革命と考えていたのである。それは将兵の消耗を補うために最大限の徴集を進めていたために軍隊内に左翼不純分子が入り込んでいるという妄想を抱いていたからだった。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd30410.htm(41): そこへ原子爆弾が出現し国民も軍隊もこんな恐ろしいものが出て来たからには早く終戦しなければならないと思うであろうし、軍部首脳も我々は精神力や作戦で敗けたのではなく科学で負けたのだと云うことになれば降伏の面子も多少は立つようになるだろう。すなわち(天皇の)終戦指導が容れ易くなったのである。これが私どもの考えであった。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd30410.htm(44):&lt;P&gt; そのころ、天皇や木戸幸一のように、原爆攻撃を「待ちに待った好機」と喜んだ人々が日本国内にもいたのであった。これらの人々にも広島の犠牲者への同情はなかった。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd30414.htm(34): &lt;P&gt; 沖縄軍はこの後も天皇を守るための時間稼ぎの戦いを続け、一般県民9万4000人(推定)が犠牲となった。こんな日本軍の無意味な戦い振りと比較すると、イラクの兵士たちの失踪に叡智のようなものさえ感じてしまうのだ。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd30415.htm(16): &lt;td width=&quot;50%&quot;&gt;&lt;FONT color=&quot;darkblue&quot;&gt; &lt;font color=&quot;darkblue&quot;&gt;&lt;font color=&quot;darkblue&quot;&gt;&lt;b&gt;横浜事件と天皇&lt;!-- タイトル --&gt;&lt;/b&gt;&lt;/font&gt;&lt;/font&gt;&lt;b&gt;&lt;FONT color=&quot;darkblue&quot;&gt; <BR>
H:\0 boboro 50HP\bd30415.htm(30): &lt;P&gt; 元被告側は「治安維持法は天皇のポツダム宣言受諾で効力を失っているのだから、ポツダム宣言受諾以後の治安維持法に基づく判決は無効だ」と主張し、検察側は「治安維持法は10月公布の勅令で廃止されるまでは有効だった」と反論してきた。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd30415.htm(34):「---前略---裁判所は、ポツダム宣言に国内法を変える効力があったのではなく、宣言の受諾で天皇が国内法を変えるように国民に&amp;quot;命じた&amp;quot;という独自の見解を展開している」<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd30415.htm(37): &lt;P&gt;ポツダム宣言の提起とそれにたいする天皇の意志との関係については「押し付け憲法」論に対する&lt;A href=&quot;bd20812.htm&quot;&gt;伊藤悟氏の見解&lt;/A&gt;から学び、&lt;A href=&quot;bd20814.htm&quot;&gt;「私たちの生活と聖断」&lt;/A&gt;、 &lt;A href=&quot;bd20815.htm&quot;&gt;日本共産党と聖断&lt;/A&gt;を書いてきたが、今回の横浜地裁の判断はこれらと同じ捉え方になっている。この点今後も注目していきたい。横浜地検は即時抗告する意向らしい。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd30422asimizi.htm(33): 汗水節は、1927年(昭和3年)に昭和天皇即位記念事業の一環として、沖縄県学務部社会課が貯蓄奨励の民謡(歌詞)を募集したところ仲本稔(当時22歳)の歌詞が入選し、「えんどうの花」などで知られる宮良長包によって作曲された曲である。当時の沖縄では、蓄音機さえ普及していなかった時代だったが、口伝えで広がり、当時の流行歌になったという。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd30608.htm(7):&lt;TITLE&gt;天皇報道&lt;/TITLE&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd30608.htm(16):&lt;BLOCKQUOTE&gt;&lt;!-- 本文 --&gt; いまさらという話にはなるが、新聞やテレビの皇室報道での敬語表現は異常だ。いや、天皇陛下は日本国の象徴なのだから、皇室は丁重に扱うのが当然だ、という考えが多数派のようであるが、そんな議論は内間での話。外国の元首との交流となると、途端にその異常さを露呈してしまうのである。&lt;BR&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd30608.htm(30): &lt;TD&gt; &lt;B&gt;天皇陛下&lt;/B&gt;は植民地支配や戦争などに言及せず、「…………」と歴史を基点に未来を見据える考えを&lt;FONT color=&quot;#000000&quot;&gt;&lt;B&gt;表明された。&lt;/B&gt;答辞に立った&lt;B&gt;盧大統領&lt;/B&gt;は「………」と&lt;B&gt;呼び掛けた&lt;/B&gt;。&lt;BR&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd30608.htm(43):&lt;BLOCKQUOTE&gt; 自国の象徴(元首ではない)には「表明された」と敬語を使用し、外国の元首については「呼び掛けた」と非敬語表現である。また天皇には「陛下」という尊称が用いられているが、盧大統領には「閣下」という尊称が使われていない。天皇のスピーチだけを「お言葉」という表現で差別するのもマスコミの悪弊である。&lt;/BLOCKQUOTE&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd30608.htm(62): &lt;TD&gt; &lt;B&gt;天皇&lt;/B&gt;は植民地支配や戦争などに言及せず、「…………」と歴史を基点に未来を見据える考えを&lt;FONT color=&quot;#000000&quot;&gt;&lt;B&gt;表明した。&lt;/B&gt;答辞に立った&lt;B&gt;盧大統領&lt;/B&gt;は「………」と&lt;B&gt;呼び掛けた&lt;/B&gt;。&lt;BR&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd30610.htm(24):○沖縄は東京とマニラを結ぶ線の中間にある。それで、天皇が無条件降伏を決心したあと「降伏受理の打ち合わせのため東京・マニラを往復した河辺虎四郎中将と随員は、伊江島飛行場を経由した」。&lt;BR&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd30625.htm(32): &lt;LI&gt;筆坂事件はJCPの最高幹部といっても、その人権意識というのはいいかげんなものだ、ということを物語っているのだが、JCPがそれを認めているかどうか。性欲は&lt;A href=&quot;bd20313.htm&quot;&gt;思惑&lt;/A&gt;(しわく)であるからその「退治」は困難だ。それに比べて人権意識は&lt;A href=&quot;bd20313.htm&quot;&gt;見惑&lt;/A&gt;(けんわく)を思想的に転回したものであるから、その気になると身につけやすい。戦争中天皇のために死ね、と教えていた教師が、日本軍が無条件降伏すると、民主主義をふりかざして顰蹙をかったのも、民主主義が見惑の否定であったからだ。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd3068.htm(7):&lt;TITLE&gt;天皇報道&lt;/TITLE&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd3068.htm(18):&lt;BLOCKQUOTE&gt;&lt;!-- 本文 --&gt; いまさらという話にはなるが、新聞やテレビの皇室報道での敬語表現は異常だ。いや、天皇陛下は日本国の象徴なのだから、皇室は丁重に扱うのが当然だ、という考えが多数派のようであるが、そんな議論は内間での話。外国の元首との交流となると、途端にその異常さを露呈してしまうのである。&lt;BR&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd3068.htm(36): &lt;TD&gt; &lt;B&gt;天皇陛下&lt;/B&gt;は植民地支配や戦争などに言及せず、「…………」と歴史を基点に未来を見据える考えを&lt;FONT color=&quot;#000000&quot;&gt;&lt;B&gt;表明された。&lt;/B&gt;答辞に立った&lt;B&gt;盧大統領&lt;/B&gt;は「………」と&lt;B&gt;呼び掛けた&lt;/B&gt;。&lt;BR&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd3068.htm(53):&lt;BLOCKQUOTE&gt; 自国の象徴(元首ではない)には「表明された」と敬語を使用し、外国の元首については「呼び掛けた」と非敬語表現である。また天皇には「陛下」という尊称が用いられているが、盧大統領には「閣下」という尊称が使われていない。天皇のスピーチだけを「お言葉」という表現で差別するのもマスコミの悪弊である。&lt;/BLOCKQUOTE&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd3068.htm(80): &lt;TD&gt; &lt;B&gt;天皇&lt;/B&gt;は植民地支配や戦争などに言及せず、「…………」と歴史を基点に未来を見据える考えを&lt;FONT color=&quot;#000000&quot;&gt;&lt;B&gt;表明した。&lt;/B&gt;答辞に立った&lt;B&gt;盧大統領&lt;/B&gt;は「………」と&lt;B&gt;呼び掛けた&lt;/B&gt;。&lt;BR&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd30701.htm(25):国会で天皇がスピーチするとき、議場にはきまって空席があった。天皇はそれをいつも見ていたと思う。その空席はいうまでもなくJCPの議席であるが、あるときはその空席は広がったし。あるときは狭くなった。いずれにしろ天皇制に対する国民の意識がこの空白にもっとも鋭く反映されていた。天皇の地位は「主権の存する日本国民の総意に基く」とされるが、この空席は、天皇に、あなたの今日の地位は100%の国民に支持されているのではないんだよ、ということを直接伝えるほとんど唯一の機会であった。&lt;BR&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd30701.htm(27):新聞は、JCPは今度の新綱領案で「天皇制の廃止要求を削除し、自衛隊とともに存在を事実上容認するなど、従来の『革命』色を薄める現実路線が最大の特徴」(「朝日」)と伝えている。だとするとあの「空席」は今後どうなるのだろうか。新綱領案に目を通してみよう。&lt;/BLOCKQUOTE&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd30701.htm(58):  当時の日本は、世界の主要な独占資本主義国の一つになってはいたが、国を統治する全権限を天皇が握る専制政治(絶対主義的天皇制)がしかれ、国民から権利と自由を奪うとともに、農村では半封建的な地主制度が支配し、独占資本主義も労働者の無権利と過酷な搾取を特徴としていた。この体制のもと、日本は、アジアで唯一の帝国主義国として、アジア諸国にたいする侵略と戦争の道を進んでいた。&lt;BR&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd30701.htm(73):  (二)党は、日本国民を無権利状態においてきた天皇制の専制支配を倒し、主権在民、国民の自由と人権をかちとるためにたたかった。&lt;BR&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd30701.htm(91): ○ときに「天皇制の先制支配を倒し」というのは「天皇制を倒し」とはちがうことなのだろうか。違うとしたらちょっと小細工かなあ。&lt;/TD&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd30701.htm(99): ○ここの「日本帝国主義」も「天皇と政府・軍部」くらいのほうが分かりやすい。&lt;BR&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd30701.htm(100): ○将来のことを思えば、日本の未来を語るためには、教育の力が戦争に協力する国民がを生み出したことも触れてほしいところだ。国民の多くが天皇制政府の好戦的政策に賛同したことに何らかの形で触れる必要があると思うのである。&lt;/TD&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd30701.htm(105):  帝国主義戦争と天皇制権力の暴圧によって、国民は苦難を強いられた。党の活動には重大な困難があり、つまずきも起こったが、多くの日本共産党員は、迫害や投獄に屈することなく、さまざまな裏切りともたたかい、党の旗を守って活動した。このたたかいで少なからぬ党員が弾圧のため生命を奪われた。&lt;BR&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd30701.htm(120): ○主語をはっきりして能動態で書いてほしい。「大日本帝国は…生命を奪った。」とか「天皇制政府は沖縄に時間稼ぎのための地上戦を強いた。軍隊は沖縄県民の命を守らなかった。」とか、「アメリカ軍は核兵器の実験をかねて広島、長崎に原爆を投下した。」とか言った風に。&lt;/TD&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd30701.htm(128): ○ここもポツダム宣言受諾を最終的に決定したのは天皇であったことを明記してほしい。天皇が「平和で民主的な日本」に自らの活路を見出したのだ。&lt;BR&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd30701.htm(151):  第二は、日本の政治制度における、天皇絶対の専制政治から、主権在民を原則とする民主政治への変化である。この変化を代表したのは、1947年に制定された現行憲法である。この憲法は、主権在民、戦争の放棄、国民の基本的人権、国権の最高機関としての国会の地位、地方自治など、民主政治の柱となる一連の民主的平和的な条項を定めた。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd30701.htm(153): 形を変えて天皇制の存続を認めた天皇条項は、民主主義の徹底に逆行する弱点を残したものだったが、そこでも、天皇は「国政に関する権能を有しない」ことなどの制限条項が明記された。&lt;BR&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd30701.htm(158): ○「1947年に制定された現行憲法である。」の次に「この憲法は天皇のポツダム宣言受諾によって可能となったが、日本の進歩勢力がめざした目標と一致しでいた。」とありたい。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd30701.htm(160): ○「…残したものだった」のあとを「…残したものだった。天皇は、内閣総理大臣、最高裁判所の長たる裁判官の任命、憲法改正、法律、政令及び条約を公布、国会の召集、衆議院の解散、国会議員の総選挙の施行の公示をはじめとして戦前に匹敵する権限を有している。しかし、天皇は軍事上の権限、勅令を発する権限を喪失した。」として「この変化によって…」と続けるべきではないか。&lt;/TD&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd30701.htm(165): 第三は、戦前、天皇制の専制政治とともに、日本社会の半封建的な性格の根深い根源となっていた半封建的な地主制度が、農地改革によって、基本的に解体されたことである。このことは、日本独占資本主義に、その発展のより近代的な条件を与え、戦後の急成長を促進する要因の一つとなった。&lt;BR&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd30729.htm(188):  親密な関係にあるもの同士でも、ある改まった話題にうつると急に「です・ます」体による会話に換わることがある。すると一種シラケタ会話になる。逆に遠い関係を保つべき対象を近い物として扱えば、それまで表されていた敬意は捨て去られ、待遇はニュートラルを超えて軽蔑となるわけである。「天皇」を「天ちゃん」など呼ぶときの意味の転移などがこの例である。&lt;/BLOCKQUOTE&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd307xx.htm(162):  10 天皇条項については、「国政に関する権能を有しない」などの制限規定の完全実施を重視し、天皇の政治利用をはじめ、憲法の条項と精神からの逸脱を是正する。&lt;BR&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd30804.htm(21):  「言ってはいけないこと」があるということは、「言いたいことの一部」が「時代の目標」の外にあるということだ。いや待てよ、そうすると皇軍の兵士が息を引き取る直前に「天皇陛下万歳」というかわり?に「おかあさん!」と叫ぶのも失言ということになるのかな。 &lt;BR&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd31010.htm(46):&lt;FONT color=&quot;#ff0000&quot;&gt;天皇&lt;/FONT&gt;又は&lt;FONT color=&quot;#ff0000&quot;&gt;摂政&lt;/FONT&gt;及び&lt;FONT color=&quot;#ff0000&quot;&gt;国務大臣&lt;/FONT&gt;、&lt;FONT color=&quot;#ff0000&quot;&gt;国会議員&lt;/FONT&gt;、&lt;FONT color=&quot;#ff0000&quot;&gt;裁判官その他の公務員&lt;/FONT&gt;は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。&lt;/BLOCKQUOTE&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd40215.htm(43):&lt;BLOCKQUOTE&gt; 例えば明治憲法は押し付け憲法の最たるものだと私は考える。「朕カ現在及将来ノ臣民ハ此ノ憲法ニ対シ永遠ニ従順ノ義務ヲ負フヘシ」と勝手に宣言しておいて「第3条天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラスと」と来る。私はこれは民衆にたいする権力からの押し付けだと思う。合法的に成立したものであろうけど押し付けにはちがいない。おしつけでもありがたいと思っている人もいれば、許せないと思う人もいるであろう。&lt;/BLOCKQUOTE&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd40215.htm(50):&lt;BLOCKQUOTE&gt;  ポツダム宣言はどうなのか。ポツダム宣言は連合軍が日本政府に対して発した降伏勧告書であったが、日本の非軍事化、民主化、日清戦争以前の領土への復帰などの条件を呑んで終戦するか、あるいは最後まで戦い続けるかの選択は日本政府の自由であった。実際陸軍を中心にこの宣言を無視しようする勢力は少なくなかった。8月14日、天皇は御前会議で自ら、日本の改革を受け入れることを認め、翌日の玉音放送で終戦を宣言した。これは連合軍の押し付けではあったが、天皇の自主的な選択でもあった。連合軍の押し付けをにがにがしく思いものは多いかもしれないが、押し付けを受け入れた天皇を非難するものは見当たらない。&lt;/BLOCKQUOTE&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd40215.htm(80):天皇の詔書、さらには内閣の議決、枢密院、衆議院、遺族院と、明治憲法下の法の適正手続きは明確にとられてきた。私たちの先輩は、この(憲法ー忘暮楼注)案に対して賛成の意思を表明してきた。それを国家意思との関係でどう考えるかという場合に、私はそう簡単に押しつけというふうに、つまり、感情論を公的なものにしてしまうということは、必ずしも国家意思の形成という点では適正ではないと最終的には考える。<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd40308.htm(88):&lt;BLOCKQUOTE&gt;   つまり、平沢代議士は、現行憲法改正という方法では、基本的人権の制限や集団的自衛権の確立や天皇の元首化はできないと見抜いたのである。この記事の執筆者・藤子のように「ウルトラ右翼の議論にゆきついた感じ」ということも出来るかもしれないが、それよりも改憲論者として真摯に現行憲法に対峙した結果、この憲法のもつ「不可逆性」に気づき、新たな展開を模索している、と見るべきではないか。&lt;BR&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd40411.htm(154):&lt;FONT size=&quot;4&quot;&gt;_____(イ) 被告靖國神社は,東京都千代田区九段北3丁目1番1号に社務所をおき,「&lt;/FONT&gt;&lt;FONT size=&quot;4&quot; color=&quot;#00ff00&quot;&gt;明治天皇の宣らせ給うた『安國』の聖旨に基き,國事に殉ぜられた人々を奉斎し,神道の祭祀を行ひ,その神徳をひろめ,本神社を信奉する祭神の遺族その他の崇敬者(〔中略〕)を教化育成し,社会の福祉に寄与しその他本神社の目的を達成するための業務及び事業を行ふこ&lt;/FONT&gt;&lt;FONT size=&quot;4&quot;&gt;と」を目的としている(靖國神社規則3条)。&lt;/FONT&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd40411.htm(157):&lt;FONT size=&quot;4&quot;&gt;_____(ウ) 靖國神社は,明治2年6月,明治維新の&lt;/FONT&gt;&lt;FONT size=&quot;4&quot; color=&quot;#00ff00&quot;&gt;内戦(戊辰戦争)において,国のために一命を捧げた人たちの霊を慰めようとして,明治天皇によって「東京招魂社」として創建されたのが起源&lt;/FONT&gt;&lt;FONT size=&quot;4&quot;&gt;で,明治12年には,「靖國神社」と改称された。明治天皇が命名した「やすくに」という社号には「国を平安にし,平和な国を作り上げる。」という思いが込められている。&lt;/FONT&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd40411.htm(247):&lt;FONT size=&quot;4&quot;&gt;  靖國神社は,国家機関として,明治初期から太平洋戦争の敗戦に至るまでの七十数年にわたって,国家神道体制の中核に位置した。「神聖不可侵」,「現人神」天皇制のもと,「天皇のために」戦没死,戦病死した人を「英霊」として祭祀・顕彰し,軍国主義の精神的支柱としての役割を果たしてきた。&lt;/FONT&gt;&lt;FONT size=&quot;4&quot;&gt; 戦前の日本の軍国主義は,軍部の専横のみで独り成立し得たのではなく,独善と覇権の思想,天皇制国家神道のもとで培われた忠臣愛国,滅私奉公等,近代の「自我」を排する当時の国民の道徳観,世界観がその生成に大きな力を与えている。&lt;/FONT&gt;&lt;BR&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd40411.htm(249):&lt;FONT size=&quot;4&quot;&gt; しかし,このような国民の道徳観,世界観は,決して国民の側から自発的に生まれたものではなく,学校を布教所とし,教育勅語を教典とする徹底した皇民化教育,すなわち国家神道の宗教教育によって国家が国民に強制したものである。これら皇民化政策は,日本の植民地支配によって「帝国臣民」とされた植民地人民に対しては,異民族性を徹底的に解体するなど熾烈を極めたものであった。これを&lt;/FONT&gt;&lt;FONT size=&quot;4&quot; color=&quot;#ffffff&quot;&gt;明確な死生観,宗教観念によって支えたのが&lt;/FONT&gt;&lt;FONT size=&quot;4&quot; color=&quot;#00ffff&quot;&gt;「天皇のために」戦死すれば神として祀る靖國神社であった&lt;/FONT&gt;&lt;FONT size=&quot;4&quot;&gt;。&lt;/FONT&gt;&lt;BR&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd40411.htm(261):&lt;FONT size=&quot;4&quot;&gt; また,被告&lt;/FONT&gt;&lt;FONT size=&quot;4&quot; color=&quot;#00ffff&quot;&gt;靖國神社は,内閣総理大臣の公式参拝を求めているだけでなく,天皇の「御親拝」の復活をも悲願としている&lt;/FONT&gt;&lt;FONT size=&quot;4&quot;&gt;。被告靖國神社が国家機関による参拝を求めるのは,まさに憲法20条1項後段が定める「いかなる宗教団体も国家から特権を受けてはならない」との規定に明らかに反する。この姿勢は,被告靖國神社の時代錯誤と憲法感覚の欠如を示すものである。&lt;/FONT&gt;&lt;BR&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd40411.htm(293):&lt;FONT size=&quot;4&quot; color=&quot;#ffffff&quot;&gt;  被告小泉は,本件参拝に際して,上記2(2)ア及びイのとおり,秘書官を同行させ,公用車を用いて靖國神社に向かい,「内閣総理大臣小泉純一郎」と記帳し,「献花内閣総理大臣小泉純一郎」との名札を付けて献花した。また,被告小泉は,本件参拝の際,私人や一般参拝者では通行できず,過去に天皇が通行した通路を通って本殿に入った。これらの参拝の態様からして,被告小泉が内閣総理大臣としての立場で本件参拝をしたというほかない。&lt;/FONT&gt;&lt;FONT color=&quot;#000000&quot;&gt;&lt;BR&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd40411.htm(327):&lt;FONT size=&quot;4&quot;&gt; 死はいかなる意味でも賛美されてはならない。これは憲法が定める「個人の尊厳」の当然の帰結である。「国家のために」死ぬこと,まして「天皇のために」死ぬことを賛美するのは,憲法が定立する近代の「個」を自覚し,自立し,自律する市民に対する冒涜であり,まことに恥ずべきことである。&lt;/FONT&gt;&lt;BR&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd40411.htm(472):&lt;FONT size=&quot;4&quot;&gt;在韓遺族原告らの親族は,植民地宗主国であった日本の戦争に駆り出され,日本のために命を落とすことを余儀なくされた被害者であり,決して日本の天皇のために忠誠を誓って志願したのではない。在韓遺族原告らは,「日本の国家のために戦死した者」を祀ることを趣旨として存続している靖國神社において,肉親戦没者が加害者である戦犯と同列に英霊として合祀されていることに対し,筆舌に尽くし難い精神的苦痛を感じている。&lt;/FONT&gt;&lt;BR&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd40411.htm(594):&lt;FONT size=&quot;4&quot;&gt; 憲法20条1項後段の規定の主語が「宗教団体」とされていること,同規定は神社神道が事実上国教化され,神権天皇制のもとで国民に神道崇拝を強制した国家神道体制との完全な訣別を企図して設けられたという歴史に照らしても,同規定が国家に対して宗教団体に特権を与えることを禁じるとともに,私人たる宗教団体に対しても特権の受入れを禁じる趣旨のものであることは明らかである。&lt;/FONT&gt;&lt;BR&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd40411.htm(1040):&lt;FONT face=&quot;MS ゴシック&quot; size=&quot;4&quot;&gt;_____(イ) 宗教法人靖國神社は,東京都千代田区九段北3丁目1番1号に社務所をおき,「明治天皇の宣らせ給うた『安國』の聖旨に基き,國事に殉ぜられた人々を奉斎し,神道の祭祀を行ひ,その神徳をひろめ,本神社を信奉する祭神の遺族その他の崇敬者(〔中略〕)を教化育成し,社会の福祉に寄与しその他本神社の目的を達成するための業務及び事業を行ふこと」を目的としている(靖國神社規則3条)。&lt;/FONT&gt;&lt;BR&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd40411.htm(1042):&lt;FONT face=&quot;MS ゴシック&quot; size=&quot;4&quot;&gt;_____(ウ) 靖國神社は,明治2年6月,明治維新の内戦(戊辰戦争)において,国のために一命を捧げた人たちの霊を慰めようとして,明治天皇によって「東京招魂社」として創建されたのが起源で,明治12年には,「靖國神社」と改称された。明治天皇が命名した「やすくに」という社号には「国を平安にし,平和な国を作り上げる。」という思いが込められている。&lt;/FONT&gt;&lt;BR&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd40411.htm(1309):&lt;FONT face=&quot;MS ゴシック&quot; size=&quot;4&quot;&gt; 原告c及び原告dの親族は,植民地宗主国であった日本の戦争に駆り出され,日本のために命を落とすことを余儀なくされた被害者であり,決して日本の天皇のために忠誠を誓って志願したのではない。原告c及び原告dは,「日本の国家のために戦死した者」を祀ることを趣旨として存続している靖國神社において,肉親戦没者が加害者である戦犯と同列に英霊として合祀されていることに対し,筆舌に尽くし難い精神的苦痛を感じている。&lt;/FONT&gt;&lt;BR&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd40411.htm(1391):&lt;FONT face=&quot;MS ゴシック&quot; size=&quot;4&quot;&gt;  靖國神社は,国家機関として,明治初期から太平洋戦争の敗戦に至るまでの七十数年にわたって,国家神道体制の中核に位置した。「神聖不可侵」,「現人神」天皇制のもと,「天皇のために」戦没死,戦病死した人を「英霊」として祭祀・顕彰し,軍国主義の精神的支柱としての役割を果たしてきた。&lt;/FONT&gt;&lt;BR&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd40411.htm(1392):&lt;FONT face=&quot;MS ゴシック&quot; size=&quot;4&quot;&gt; 戦前の日本の軍国主義は,軍部の専横のみで独り成立し得たのではなく,独善と覇権の思想,天皇制国家神道のもとで培われた忠臣愛国,滅私奉公等,近代の「自我」を排する当時の国民の道徳観,世界観がその生成に大きな力を与えている。&lt;/FONT&gt;&lt;BR&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd40411.htm(1394):&lt;FONT face=&quot;MS ゴシック&quot; size=&quot;4&quot;&gt; しかし,このような国民の道徳観,世界観は,決して国民の側から自発的に生まれたものではなく,学校を布教所とし,教育勅語を教典とする徹底した皇民化教育,すなわち国家神道の宗教教育によって国家が国民に強制したものである。これら皇民化政策は,日本の植民地支配によって「帝国臣民」とされた植民地人民に対しては,異民族性を徹底的に解体するなど熾烈を極めたものであった。これを明確な死生観,宗教観念によって支えたのが「天皇のために」戦死すれば神として祀る靖國神社であった。&lt;/FONT&gt;&lt;BR&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd40411.htm(1408):&lt;FONT face=&quot;MS ゴシック&quot; size=&quot;4&quot;&gt; また,宗教法人靖國神社は,内閣総理大臣の公式参拝を求めているだけでなく,天皇の「御親拝」の復活をも悲願としている。宗教法人靖國神社が国家機関による参拝を求めるのは,まさに憲法20条1項後段が定める「いかなる宗教団体も国家から特権を受けてはならない」との規定に明らかに反する。この姿勢は,宗教法人靖國神社の時代錯誤と憲法感覚の欠如を示すものである。&lt;/FONT&gt;&lt;BR&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd40411.htm(1421):&lt;FONT face=&quot;MS ゴシック&quot; size=&quot;4&quot;&gt;  小泉は,本件参拝に際して,上記2(2)ア及びイのとおり,秘書官を同行させ,公用車を用いて靖國神社に向かい,「内閣総理大臣小泉純一郎」と記帳し,「献花内閣総理大臣小泉純一郎」との名札を付けて献花した。また,小泉は,本件参拝の際,私人や一般参拝者では通行できず,過去に天皇が通行した通路を通って本殿に入った。これらの参拝の態様からして,小泉が内閣総理大臣としての立場で本件参拝をしたというほかない。&lt;/FONT&gt;&lt;BR&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd40411.htm(1469):&lt;FONT face=&quot;MS ゴシック&quot; size=&quot;4&quot;&gt; 死はいかなる意味でも賛美されてはならない。これは憲法が定める「個人の尊厳」の当然の帰結である。「国家のために」死ぬこと,まして「天皇のために」死ぬことを賛美するのは,憲法が定立する近代の「個」を自覚し,自立し,自律する市民に対する冒涜であり,まことに恥ずべきことである。&lt;/FONT&gt;&lt;BR&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd40411.htm(1516):&lt;FONT face=&quot;MS ゴシック&quot; size=&quot;4&quot;&gt;  原告eは,戦没者の遺族ではないが,朝鮮が日本の植民地であった時代に,その両親が日本の京都府に働きに来ていたため,その地で生まれ育った。原告eは,終戦後も日本に留まったが,戦前戦後を通じて,民族差別を受け続けたと感じており,また,民族差別の原因の根本は,戦前の日本の天皇制国家,すなわち,天皇を頂点として社会の底辺の隅々に至るまで人間に上下関係を作り上げてきた社会や民族間にも日本人と朝鮮人や他のアジア諸民族に上下関係をつける思想にあると考え,日本が戦前の植民地支配から今日に至るまでの過ちを認め,謝罪しなければ,人間として対等な関係を築きあげて行くことができないとの考えをもつ者であるが,本件参拝により,国家が民族差別を謝罪するどころか,これと反対の行動をとり,民族差別をなくし,&lt;/FONT&gt;&lt;BR&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd40418.htm(51): ここの護国寺の前身は函館戦争での天皇政府側の戦没者の慰霊のために設置された招魂場でした。だから、土方歳三など幕府軍の死者は祀られていないはずですね。&lt;BR&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\bd40418.htm(73): 1935年○美濃部達吉の天皇機関説が不敬罪として批判を浴び、著書発禁。<BR>
H:\0 boboro 50HP\dai5syo.htm(33):&lt;Br&gt;法に規定する天皇大権に基づく命令で議会の審議を経ることなく発する<BR>
H:\0 boboro 50HP\fh1_2_567.htm(53):Column 神武天皇の東征伝承<BR>
H:\0 boboro 50HP\fh1_2_567.htm(83):&lt;p&gt; 大和朝廷の頂点に立つ人は大王とよばれ、まだ天皇の呼び名はなかった。地方の豪族は同じ血縁を中心にした氏という集団をつくり、大王から臣や連といった姓を与えられ、氏ごとに決まった仕事を受けもった。これを氏姓制度という。有力な帰化人は、こうした制度の中に組み込まれていった。<BR>
H:\0 boboro 50HP\fh1_3_8.htm(36):&lt;p&gt; 太子は593年、女帝である推古天皇の摂政となり、それまでの&lt;FONT color=&quot;red&quot;&gt;朝鮮&lt;/FONT&gt;外交から、大陸外交への方針転換を試みた。&lt;FONT color=&quot;red&quot;&gt;朝鮮&lt;/FONT&gt;を経由せずに大陸の文明を取り入れることも大切で、太子は、607年、小野妹子を代表とする遣随使を派遣した。しかし、日本が大陸の文明に吸収されて、固有の文化を失うような道はさけたかった。<BR>
H:\0 boboro 50HP\fh1_3_9.htm(45):…曽我蝦夷と入鹿は天皇家きどりで、とりでのような屋敷を構え、大勢の兵士に身辺を守らせていた。謀議以来1年5か月を経た645年6月、&lt;FONT color=&quot;red&quot;&gt;朝鮮&lt;/FONT&gt;からの<BR>
H:\0 boboro 50HP\fh1_3_9.htm(46):使者を迎えた朝廷で、皇極天皇(中大兄皇子の母)の御前に入鹿も姿を現すことになっていた。中大兄皇子は宮城の門を全部しめされ、みずから長槍を取って身を隠した。…&lt;/BLOCKQUOTE&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\fh2_2_21222324.htm(65):&lt;p&gt;  Column 源頼朝と足利義満 天皇と武家の関係<BR>
H:\0 boboro 50HP\fh4_2_474849.htm(34):&lt;p&gt; むかしから中華秩序の影響のうすかった日本は、このとき、自由に行動できた。1868(明治元)年、日本は&lt;FONT color=&quot;blue&quot;&gt;朝鮮&lt;/FONT&gt;に使節を送り、新政府の樹立を告げて、新たな国交を通商を求めた。しかし、&lt;FONT color=&quot;blue&quot;&gt;朝鮮&lt;/FONT&gt;は、文面に天皇の「皇」という中国皇帝と同列の称号が使われているのは許せないとして、国書の受け取りを拒絶した。<BR>
H:\0 boboro 50HP\fh5_2_62_71.htm(41):&lt;br&gt;二・二六事件と天皇の決意<BR>
H:\0 boboro 50HP\fh5_3_72_76.htm(67):昭和天皇--国民とともに歩まれた生涯<BR>
H:\0 boboro 50HP\fhkorea.htm(24):&lt;br&gt;   ◆神武天皇の東征伝承<BR>
H:\0 boboro 50HP\fh_3_1_25262728.htm(48): 1世紀ぶりに全国の統一を果たして、秀吉の意気は盛んであった。秀吉は、さらに中国の明を征服し、天皇も自分もそこに住んで、東アジアからインドまでも支配しようという巨大な夢にとりつかれ、1592(文禄元)年、15万の大群を&lt;FONT color=&quot;blue&quot;&gt;朝鮮&lt;/FONT&gt;送った。加藤清正や小西行長などの武将らに率いられた日本軍はたちまち首都の漢城(現在のソウル)をおとし、さらに&lt;FONT color=&quot;blue&quot;&gt;朝鮮北部&lt;/FONT&gt;にまで進んだ。しかし、&lt;FONT color=&quot;blue&quot;&gt;朝鮮&lt;/FONT&gt;側の李舜臣が率いる水軍の活躍や民衆の抵抗があり、明の援軍もあって、戦いは日本に不利になり、明との和平交渉のために撤兵した(文禄の役)。<BR>
H:\0 boboro 50HP\franchisex.htm(76): &lt;P ALIGN=LEFT&gt;&lt;!-- coment --&gt;「天皇制」を守るために…&lt;/P&gt;&lt;/TD&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\guide.htm(265):&lt;Br&gt;▼&lt;A Href=&quot;koukai6.htm#0813&quot;&gt;「天皇の長寿は日本の繁栄だ」って ? (8/)&lt;/A&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\guide.htm(400):&lt;Br&gt;▼&lt;A Href=&quot;koukai10.htm#1203&quot;&gt;前天皇が父親業を拒否した理由(12/03)&lt;/A&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\hayamag.htm(41):&lt;P&gt; 「天の叢雲の剣(あめのむらくものつるぎ)」は後に「草薙の剣」と呼ばれることになる剣。天皇家の宝物の一つに数えられているが、天武天皇はこの剣のたたりで病気になった。そんなこともあって、本来は天皇家とは縁のなかったものではないかと言われている。漢の宝剣、斬蛇剣(ざんだけん)に比定されたものらしい。<BR>
H:\0 boboro 50HP\hearing-n.html(371):  日本帝国崩壊まで軍隊でも職場でも暴力が横行した。それを許す背景があったからである。日本帝国と天皇の遂行する戦争という巨大な暴力のためにすべてを犠牲にせよというのが国家総動員法である。国家が国民を思うままに動員し、抵抗するものは懲役や罰金で抑圧する。こうした体制が「殴る」という暴力を支えたのである。韓国人労働者の場合、更に植民地韓国への差別意識が加わった。<BR>
H:\0 boboro 50HP\jinja-su.htm(249): 官幣大社朝鮮神宮(京城南山御鎮座)は朝鮮の總鎮守として天照大神、明治天皇の二柱を奉祀し、大正十四年十月十五日鎮座祭が執り行はせられ、爾来例祭を十月十七日と定め、勅使を差遣せらるることに御治定になった。また昭和十一年八月一日京城神社(京城倭城台鎮座)並びに龍頭山神社(釜山府弁天町鎮座)の両社をば国幣小社に列格仰出され、ついで昭和十二年五月十五日大邱神社(大邱府達城町鎮座)竝に平壌神社(平壌府慶上里鎮座)をも国幣小社に列格仰出され、尚昭和十四年六月十五日には官幣大社扶余神宮の御創立を仰出された。<BR>
H:\0 boboro 50HP\jka1.html(23):&lt;H4&gt;&lt;Font Color=&quot;#80ffff&quot;&gt;1. 絶対天皇制と侵略戦争に使われてきた「日の丸・君が代」は、日本国憲法の平和主義と国民主権の原則に反します。&lt;/font&gt;&lt;/H4&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\jka1.html(25):&lt;B&gt;君が代について&lt;/B&gt;……大日本帝国憲法下では、天皇は「現人神」(あらひとがみ)であり、陸海軍を統帥する大元帥でした。君が代はその天皇の統治が永遠に続くことを願う歌でした。このような歴史を持つ君が代は日本国憲法の国民主権の原則にふさわしくありません。<BR>
H:\0 boboro 50HP\kawasima01.htm(29):&lt;P&gt; 確かに日本の場合,特定人種の抹殺を国家政策に掲げたり、それを天皇が命令したりしたという事例はない。個々の部隊で捕虜の処分について命令があったことが確認されてはいるものの、むしろ、その種の命令は捜しても稀にしか見つからないのが実情である。むしろ、日本の戦争の大義名分は欧米支配からのアジアの解放だったのである。<BR>
H:\0 boboro 50HP\koukai1.htm(199):&lt;p&gt;600年昔のことだ。JAPAN IMPERIALISMが中国東北部を征服して、そこに住むMANCHU人に天皇教を押し付けた。MANCHU族人は天皇教を嫌い、儒教を守るために続々と中国河北地域へ移動した。こうして中国東北部内でのMANCHU人口が希薄になった。そこへすでに日本治下におかれていたKOREA人が移住して定住した。<BR>
H:\0 boboro 50HP\koukai1.htm(324):&lt;Br&gt; 「『君』はこの歌を贈る相手。この巻頭の4首を初め、賀の歌ではしばしば用いられ、天皇を指すとは限らない。」との注がある。たとえば次ぎの歌。<BR>
H:\0 boboro 50HP\koukai1.htm(328):&lt;P&gt; この歌などは、光孝天皇が70歳になった僧正遍照のために贈った歌だそうだから、「君」は臣下にたいしても使われたらしい。<BR>
H:\0 boboro 50HP\koukai1.htm(330):&lt;P&gt; ところが「&lt;B&gt;我が天皇陛下のお治めになる此の御代は、千年も万年も、いや、いつまで続いてお栄えになるやうに&lt;/B&gt;」とは、1937(昭和12)年の小学校4年生の修身の教科書の解釈。<BR>
H:\0 boboro 50HP\koukai1.htm(331):&lt;Br&gt; こんな底抜けにめでたい祝い歌が、天皇崇拝の式典には無くてはならぬ「天皇歌」にしたてあげられたのは、「&lt;B&gt;めでためでたの若松様よ、枝も栄えて葉も繁る&lt;/B&gt;」(花笠音頭)が「天皇歌」にされたようなものである。   <BR>
H:\0 boboro 50HP\koukai10.htm(25):&lt;Br&gt;▼&lt;A Href=&quot;#1203&quot;&gt;前天皇が父親業を拒否した理由(12/03)&lt;/A&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\koukai10.htm(105):&lt;p&gt; ここまでは「世間」の話。雅子さんが足を踏み入れた場所は「世間」ではなかった。雅子さんはいまどき珍しく子を産むために嫁いだのだが、単に子を産むために、ではなく、「男児」を産むために皇室に入った。旦那が皇太子さんあるいは天皇さんである限り、いっちゃあ悪いけど、皇室典範が替わらない限り、「女児」を産んだのでは産まないに等しい。<BR>
H:\0 boboro 50HP\koukai10.htm(476):&lt;BR&gt;&lt;font color=&quot;#8000ff&quot;&gt;前天皇が父親業を拒否した理由&lt;/font&gt;&lt;/STRONG&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\koukai10.htm(481):&lt;P&gt; バイニングさんは、天皇家が子供を親元から離して養育しているのを見て、前天皇に子どもと一緒に生活してくれるように申し入れたそうだ。すると前天皇は、バイニングさんに、<BR>
H:\0 boboro 50HP\koukai10.htm(487):&lt;P&gt; 前天皇はちょうどこの頃、「戦争で疲弊した国民を直接慰問し、激励する」(注1)ためにしばしば全国ツアーを組んでいた。<BR>
H:\0 boboro 50HP\koukai10.htm(488):&lt;P&gt; 彼は「あっ、そう」を連発しながら、精力的に、すべての都道府県(ただし、自分の身の安全のためにいけにえにした沖縄(注2)は行かなかった)を回って天皇が国民と一体であるという印象を内外に与えることに成功した。<BR>
H:\0 boboro 50HP\koukai10.htm(489):&lt;P&gt; この時期の前天皇の言動をみると、バイニングさんに語った「戦争が始まるのを止められなかった云々」の台詞は、美談でも何でもなく、天皇家の「伝統」を擁護するするための理由として思いついた、その場限りの戦勝国へのヘツライ的言辞に過ぎないと思う。<BR>
H:\0 boboro 50HP\koukai10.htm(493):&lt;P&gt;(注1)『天皇をどう教えるか』教育資料出版会<BR>
H:\0 boboro 50HP\koukai10.htm(494):&lt;Br&gt;(注2)合衆国対日政治顧問W.J.シーボルトの1947年9月合衆国国務長官宛て書簡には、天皇からの「合衆国による沖縄占領継続」要請が「疑いもなく私利に大きくもとづいている希望」だと明確に報告されている。<BR>
H:\0 boboro 50HP\koukai10.htm(747):&lt;P&gt; 例えば天皇だけど、個人的に言えば天皇や皇族については忘暮楼は相当の親密感を持っている。この10年間、最も間違いが少なかったグループは、天皇一族と日本共産党だと思っているくらいである。<BR>
H:\0 boboro 50HP\koukai10.htm(748):&lt;P&gt; しかし、天皇が外国人とは握手するのに日本人とはしようとしない、ということについては、全身全霊でもって糾弾したくなる。天皇本人か取り巻きが、国民と肌が触れるとケガレル、と考えているに違いないからだ。この政治思想は確かに差別の源泉である。<BR>
H:\0 boboro 50HP\koukai11.htm(553):&lt;p&gt; ここまでは「世間」の話。雅子さんが足を踏み入れた場所は「世間」ではなかった。雅子さんはいまどき珍しく子を産むために嫁いだのだが、単に子を産むために、ではなく、「男児」を産むために皇室に入った。旦那が皇太子さんあるいは天皇さんである限り、いっちゃあ悪いけど、皇室典範が替わらない限り、「女児」を産んだのでは産まないに等しい。<BR>
H:\0 boboro 50HP\koukai3.htm(271):&lt;P&gt; ほんの五十数年前まで、韓国では、「日の丸」の旗は、圧制と屈従のシンボルでした。中国や東南アジア諸国で「日の丸」の旗が掲げられているということは、天皇の軍隊が絶対者として君臨していることの証明でした。<BR>
H:\0 boboro 50HP\koukai4.htm(946):&lt;P&gt; 自民党がはじめて(?)、「君が代」の「君」は天皇のことと言いきって、今国会に「苔のむすまで」と「赤丸」を国歌・国旗とする法案を提出することにしたという。<BR>
H:\0 boboro 50HP\koukai4.htm(947):&lt;P&gt; これまで、「君」は「天皇」のことじゃないですよ、「あなた」のこと・「国民のこと」です、恥を忍んで(だれがそんなこと信じますかいな)言い張ってでも、一生懸命「苔のむすまで」を弁護していたサポーターたちは、えらい赤っ恥をかかされましたなあ。<BR>
H:\0 boboro 50HP\koukai4.htm(993):&lt;P&gt; 日本帝国の天皇主権政治が敗戦まで崩壊しなかったのも、北朝鮮の金王朝が崩壊しないのも、その体制でこそ生きていける取り巻きがいた/いるからでしょうね。<BR>
H:\0 boboro 50HP\koukai6.htm(369):&lt;P&gt; 今更ら申上げるまでもなく其許の体は、天皇陛下に捧げ奉りしものなれば、断じて女々しき振舞ひあるべからず、唯々滅私奉公、以て祖先の名誉を大いに発揚される様、御奮闘下され度く候。これのみ父を始め一同の希望にて候。家の事はなにも案ずる必要無之、只管君国の為め十分の御奮闘を一同に代わり幾重にも願上候。<BR>
H:\0 boboro 50HP\koukai6.htm(375): &lt;Ruby&gt;今更&lt;RP&gt;(&lt;/RP&gt;&lt;RT&gt;いまさら&lt;/RT&gt;&lt;RP&gt;)&lt;/RP&gt;&lt;/RUBY&gt;ら&lt;Ruby&gt;申上&lt;RP&gt;(&lt;/RP&gt;&lt;RT&gt;もうしあ&lt;/RT&gt;&lt;RP&gt;)&lt;/RP&gt;&lt;/RUBY&gt;げるまでもなく&lt;Ruby&gt;其許&lt;RP&gt;(&lt;/RP&gt;&lt;RT&gt;そこもと&lt;/RT&gt;&lt;RP&gt;)&lt;/RP&gt;&lt;/RUBY&gt;の&lt;Ruby&gt;体&lt;RP&gt;(&lt;/RP&gt;&lt;RT&gt;からだ&lt;/RT&gt;&lt;RP&gt;)&lt;/RP&gt;&lt;/RUBY&gt;は、&lt;Ruby&gt;天皇陛下&lt;RP&gt;(&lt;/RP&gt;&lt;RT&gt;てんのうへいか&lt;/RT&gt;&lt;RP&gt;)&lt;/RP&gt;&lt;/RUBY&gt;に&lt;Ruby&gt;捧&lt;RP&gt;(&lt;/RP&gt;&lt;RT&gt;ささ&lt;/RT&gt;&lt;RP&gt;)&lt;/RP&gt;&lt;/RUBY&gt;げ&lt;Ruby&gt;奉&lt;RP&gt;(&lt;/RP&gt;&lt;RT&gt;たてまつ&lt;/RT&gt;&lt;RP&gt;)&lt;/RP&gt;&lt;/RUBY&gt;りしものなれば、&lt;Ruby&gt;断&lt;RP&gt;(&lt;/RP&gt;&lt;RT&gt;だん&lt;/RT&gt;&lt;RP&gt;)&lt;/RP&gt;&lt;/RUBY&gt;じて&lt;Ruby&gt;女々&lt;RP&gt;(&lt;/RP&gt;&lt;RT&gt;めめ&lt;/RT&gt;&lt;RP&gt;)&lt;/RP&gt;&lt;/RUBY&gt;しき&lt;Ruby&gt;振舞&lt;RP&gt;(&lt;/RP&gt;&lt;RT&gt;ふるまい&lt;/RT&gt;&lt;RP&gt;)&lt;/RP&gt;&lt;/RUBY&gt;ひあるべからず、&lt;Ruby&gt;唯々&lt;RP&gt;(&lt;/RP&gt;&lt;RT&gt;ただただ&lt;/RT&gt;&lt;RP&gt;)&lt;/RP&gt;&lt;/RUBY&gt;&lt;Ruby&gt;滅私奉公&lt;RP&gt;(&lt;/RP&gt;&lt;RT&gt;めっしほうこう&lt;/RT&gt;&lt;RP&gt;)&lt;/RP&gt;&lt;/RUBY&gt;、&lt;Ruby&gt;以&lt;RP&gt;(&lt;/RP&gt;&lt;RT&gt;もっ&lt;/RT&gt;&lt;RP&gt;)&lt;/RP&gt;&lt;/RUBY&gt;て&lt;Ruby&gt;祖先&lt;RP&gt;(&lt;/RP&gt;&lt;RT&gt;そせん&lt;/RT&gt;&lt;RP&gt;)&lt;/RP&gt;&lt;/RUBY&gt;の&lt;Ruby&gt;名誉&lt;RP&gt;(&lt;/RP&gt;&lt;RT&gt;めいよ&lt;/RT&gt;&lt;RP&gt;)&lt;/RP&gt;&lt;/RUBY&gt;を&lt;Ruby&gt;大&lt;RP&gt;(&lt;/RP&gt;&lt;RT&gt;おお&lt;/RT&gt;&lt;RP&gt;)&lt;/RP&gt;&lt;/RUBY&gt;いに&lt;Ruby&gt;発揚&lt;RP&gt;(&lt;/RP&gt;&lt;RT&gt;はつよう&lt;/RT&gt;&lt;RP&gt;)&lt;/RP&gt;&lt;/RUBY&gt;される&lt;Ruby&gt;様&lt;RP&gt;(&lt;/RP&gt;&lt;RT&gt;よう&lt;/RT&gt;&lt;RP&gt;)&lt;/RP&gt;&lt;/RUBY&gt;、&lt;Ruby&gt;御奮闘下&lt;RP&gt;(&lt;/RP&gt;&lt;RT&gt;ごふんとうくだ&lt;/RT&gt;&lt;RP&gt;)&lt;/RP&gt;&lt;/RUBY&gt;され&lt;Ruby&gt;度&lt;RP&gt;(&lt;/RP&gt;&lt;RT&gt;た&lt;/RT&gt;&lt;RP&gt;)&lt;/RP&gt;&lt;/RUBY&gt;く&lt;Ruby&gt;候&lt;RP&gt;(&lt;/RP&gt;&lt;RT&gt;そうろう&lt;/RT&gt;&lt;RP&gt;)&lt;/RP&gt;&lt;/RUBY&gt;。これのみ&lt;Ruby&gt;父&lt;RP&gt;(&lt;/RP&gt;&lt;RT&gt;ちち&lt;/RT&gt;&lt;RP&gt;)&lt;/RP&gt;&lt;/RUBY&gt;を&lt;Ruby&gt;始&lt;RP&gt;(&lt;/RP&gt;&lt;RT&gt;はじ&lt;/RT&gt;&lt;RP&gt;)&lt;/RP&gt;&lt;/RUBY&gt;め&lt;Ruby&gt;一同&lt;RP&gt;(&lt;/RP&gt;&lt;RT&gt;いちどう&lt;/RT&gt;&lt;RP&gt;)&lt;/RP&gt;&lt;/RUBY&gt;の&lt;Ruby&gt;希望&lt;RP&gt;(&lt;/RP&gt;&lt;RT&gt;きぼう&lt;/RT&gt;&lt;RP&gt;)&lt;/RP&gt;&lt;/RUBY&gt;にて&lt;Ruby&gt;候&lt;RP&gt;(&lt;/RP&gt;&lt;RT&gt;そうろう&lt;/RT&gt;&lt;RP&gt;)&lt;/RP&gt;&lt;/RUBY&gt;。&lt;Ruby&gt;家&lt;RP&gt;(&lt;/RP&gt;&lt;RT&gt;いえ&lt;/RT&gt;&lt;RP&gt;)&lt;/RP&gt;&lt;/RUBY&gt;の&lt;Ruby&gt;事&lt;RP&gt;(&lt;/RP&gt;&lt;RT&gt;こと&lt;/RT&gt;&lt;RP&gt;)&lt;/RP&gt;&lt;/RUBY&gt;はなにも&lt;Ruby&gt;案&lt;RP&gt;(&lt;/RP&gt;&lt;RT&gt;あん&lt;/RT&gt;&lt;RP&gt;)&lt;/RP&gt;&lt;/RUBY&gt;ずる&lt;Ruby&gt;必要無之&lt;RP&gt;(&lt;/RP&gt;&lt;RT&gt;ひつようこれなく&lt;/RT&gt;&lt;RP&gt;)&lt;/RP&gt;&lt;/RUBY&gt;、&lt;Ruby&gt;只管君国&lt;RP&gt;(&lt;/RP&gt;&lt;RT&gt;ひたすらくんこく&lt;/RT&gt;&lt;RP&gt;)&lt;/RP&gt;&lt;/RUBY&gt;の&lt;Ruby&gt;為&lt;RP&gt;(&lt;/RP&gt;&lt;RT&gt;ため&lt;/RT&gt;&lt;RP&gt;)&lt;/RP&gt;&lt;/RUBY&gt;め&lt;Ruby&gt;十分&lt;RP&gt;(&lt;/RP&gt;&lt;RT&gt;じゅうぶん&lt;/RT&gt;&lt;RP&gt;)&lt;/RP&gt;&lt;/RUBY&gt;の&lt;Ruby&gt;御奮闘&lt;RP&gt;(&lt;/RP&gt;&lt;RT&gt;ごふんとう&lt;/RT&gt;&lt;RP&gt;)&lt;/RP&gt;&lt;/RUBY&gt;を&lt;Ruby&gt;一同&lt;RP&gt;(&lt;/RP&gt;&lt;RT&gt;いちどう&lt;/RT&gt;&lt;RP&gt;)&lt;/RP&gt;&lt;/RUBY&gt;に&lt;Ruby&gt;代&lt;RP&gt;(&lt;/RP&gt;&lt;RT&gt;か&lt;/RT&gt;&lt;RP&gt;)&lt;/RP&gt;&lt;/RUBY&gt;わり&lt;Ruby&gt;幾重&lt;RP&gt;(&lt;/RP&gt;&lt;RT&gt;いくえ&lt;/RT&gt;&lt;RP&gt;)&lt;/RP&gt;&lt;/RUBY&gt;にも&lt;Ruby&gt;願上候&lt;RP&gt;(&lt;/RP&gt;&lt;RT&gt;ねがいあげそうろう&lt;/RT&gt;&lt;RP&gt;)&lt;/RP&gt;&lt;/RUBY&gt;。 <BR>
H:\0 boboro 50HP\koukai6.htm(381):&lt;P&gt; 今年の全国戦没者追悼式。両陛下を迎えた後、君が代斉唱。「壇上の天皇陛下と向き合う形で七千人近い参列者らが歌う君が代が会場に重く響き渡」ったそうだ(愛媛新聞)。<BR>
H:\0 boboro 50HP\koukai6.htm(406):&lt;BR&gt;&lt;STRONG&gt;&lt;font color=&quot;#008000&quot;&gt;「天皇の長寿は日本の繁栄だ」って ?&lt;/font&gt;&lt;/STRONG&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\koukai6.htm(412):@「君が代」を歌って天皇の長寿あるいは天皇の御代の永遠を願うことは、主権在民の日本国、主権者である日本国民のとこしえの繁栄を願うことだ。<BR>
H:\0 boboro 50HP\koukai6.htm(416):&lt;P&gt; 最初の批判は、日本国憲法第一条をを論拠にしているわけですが、誰でも知っているように、そもそも「君が代」は、日本の主権者たる天皇の長寿を寿ぎ天皇の治世のいやさかを願うために作られた歌であって、将来における主権在民の日本の出現や現憲法第一条の制定は全く予想していませんでした。<BR>
H:\0 boboro 50HP\koukai6.htm(433):&lt;P&gt; 実際、新憲法下の今日も、明治憲法、あるいは明治憲法的なものへの復帰を切望し続け、しかるが故に、天皇主権の御代を善しとして君が代を歌っている人々がいると思いますよ。こちらが君が代については正統派でしょう。<BR>
H:\0 boboro 50HP\koukai6.htm(434):&lt;Br&gt; 一方、教授に従えば、国民主権の日本のために君が代を歌うのだそうですから、ある行事では天皇主権復活のために君が代が歌われ、別の行事では国民主権のために君が代が歌われるということになります。<BR>
H:\0 boboro 50HP\koukai6.htm(483):&lt;p&gt; 電通大の西尾幹二教授は、「君が代の『君』が天皇であるというのも、&lt;FONT COLOR=&quot;#FF0000&quot;&gt;憲法で天皇を象徴と定めている以上、当然のことだ&lt;/FONT&gt;」と例の調子の新聞談話。<BR>
H:\0 boboro 50HP\koukai8.htm(472):&lt;p&gt; 祖母山には、「海彦山彦」伝説の山彦のほうの細君、豊玉姫(サメの化身)が祭られているそうだ。この人が神武天皇の祖母なので祖母山と呼ばれるようになったのだとか。これはちょっと眉唾な話である。本当は『&lt;B&gt;そば&lt;/B&gt;だつ(=高く聳え立つ)』あたりから来た命名ではないかと拝察する。ソバダツ山とカタムク山が相対しているのだろう。<BR>
H:\0 boboro 50HP\koukai8.htm(473):&lt;p&gt; しかしながら、それにしても、なるほどこの山は並のスケールではない。天皇家の権威を正当化する神話のスタート地点としての風格を十分備えている。<BR>
H:\0 boboro 50HP\koukai8.htm(693):&lt;Br&gt; 民家に隣接する住友金属鉱山(株)の100%出資子会社「ジェー・シー・オー」で、「臨界(核分裂連鎖反応)」事故が発生のだ。この前は天皇が死んで水を差され、今回もまたして大事件である。<BR>
H:\0 boboro 50HP\koukai9.htm(433):&lt;p&gt; 朝日新聞が天皇在位10年記念の特集を組んでいた。<BR>
H:\0 boboro 50HP\koukai9.htm(434):&lt;P&gt; 1989年の天皇位即位のとき、天皇が「皆さんとともに憲法を守り」と発言したところ、一部から「護憲派にくみするのか」というイチャモンがつけられたそうだ。「憲法をまもり」と言ったら批判が出るというのだからすごい事態だ。<BR>
H:\0 boboro 50HP\koukai9.htm(443): &lt;TH BGCOLOR=&quot;#008000&quot;&gt;&lt;Font Color=&quot;#ffffff&quot;&gt;天皇が国民と握手をすることがあるのかないのか&lt;/Font&gt;&lt;/TH&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\kp99.htm(10):&lt;p&gt;第九十九条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。<BR>
H:\0 boboro 50HP\overseatemples.htm(13): &lt;Td&gt; &lt;Img Src=&quot;chosenjingu.jpg&quot; Alt=&quot;朝鮮神宮&quot; Align=&quot;left&quot; HSpace=3 VSpace=3 Width=370 Height=300&gt;  朝鮮神宮(官幣大社:ソウル市(京城府)南山 祭神:天照大神・明治天皇)&lt;p&gt;ソウル南大門からの旧朝鮮神宮表参道・素月ギルです。朝鮮神宮の石段が素月ギルから大鳥居を通ってまっすぐに南山頂上に達しています。<BR>
H:\0 boboro 50HP\t-reibo.html(84):&lt;P&gt; 今回の私たちの調査目的は、戦時動員期間(昭和13年から昭和20年8月まで)における東平での死亡者の実態をつかむことである。『住友別子銅山で&lt;朴順童&gt;が死んだ』を書き上げて痛感していることは、韓国人を調べるだけでは「大東亞戦争」の加害性がつかみきれないのではないか、と言うことであった。天皇政府のもつ自国臣民に対する加害性をもっと明らかにしたいのである。<BR>
H:\0 boboro 50HP\tsukishiro.html(52):&lt;P&gt;  当時朝鮮総督府は「普通学校」という学校を作って、韓国人を日本の天皇の民(皇民)に変心させる事業を進めていました。普通学校は、朝鮮総督府が韓国人を対象にして建てた学校でです。<BR>
H:\0 boboro 50HP\webnicci.htm(561):&lt;P&gt; 時間を天皇に支配されるのは、やりきれない。<BR>
H:\0 boboro 50HP\webnicci.htm(576):&lt;P&gt; あらあ、宮家はなくなるんだって。ということは、いまのままで推移すれば将来天皇がいなくなるかも、ってことだよね。天皇制に賛成の人も反対の人も、案外このこと、知らなかったんじゃない? 忘暮楼は知らなかった。<BR>
H:\0 boboro 50HP\webnicci.htm(580): 現在、内廷に天皇と皇太子以下の皇族が6名(1999年度は宮内庁の経理しないお手元金として年間3億2400万円が支給された。一人平均で月450万円)。<BR>
H:\0 boboro 50HP\webnicci.htm(612): 今回の世論調査、どうやら天皇家の断絶を避けるための世論作りの始まりのようです。<BR>
H:\0 boboro 50HP\webnicci.htm(616):&lt;LI&gt;31.9%---いまのままでよい(ということは天皇家がなくなればそれでよい、ということかな)<BR>
H:\0 boboro 50HP\webnicci.htm(627):問15 あなたは、二十一世紀の天皇制のあり方についてどのように考えますか。&lt;/FONT&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\webnicci.htm(631):&lt;FONT color=&quot;green&quot;&gt;11.0%---天皇制は廃止する&lt;/FONT&gt;<BR>
H:\0 boboro 50HP\webnicci.htm(636):&lt;FONT color=&quot;green&quot;&gt;天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。<BR>
H:\0 boboro 50HP\webnicci.htm(638):と規定していますが、天皇の地位が、国民の「総意」にもとづいているとはいえない状況になっているようですね。<BR>
H:\0 boboro 50HP\ys02.htm(10):&lt;p&gt; 靖国神社は、国家機関として、明治初期から太平洋戦争の敗戦に至るまで70数年にわたって、国家神道体制の中核に位置した。「神聖不可侵」「現人神」天皇制のもと、「天皇のために」戦没死・戦病死(以下、単に戦死という)した人(戦没者)を「英霊」として祭祀・顕彰し、軍国主義の精神的支柱としての役割を果してきた。<BR>
H:\0 boboro 50HP\ys02.htm(11):&lt;p&gt; 戦前日本の軍国主義は、天皇の統帥権を嵩にきた軍部の専横のみで独り成立し得たのではない。「八紘一宇」に代表されるような独善と覇権の思想、「現人神」天皇制と国家神道のもとで培われた忠君愛国、滅私奉公等、近代の「自我」を排する当時の国民の道徳観・世界観が,その生成に大きな力を与えている。<BR>
H:\0 boboro 50HP\ys02.htm(12):&lt;p&gt; だが、このような国民の道徳観・世界観は、決して国民の側から自発的に生まれたものではない。学校を布教所とし、「教育勅語」を経典とする徹底した皇民化政策=国家神道の宗教教育によって国家が強制したものである。これら皇民化政策は、日本の植民地支配によって「帝国臣民」とさせられた植民地人民に対しては、「創氏改名」を始めとして、異民族性を徹底的に解体するなど、熾烈を極めたものであった。此れを明確な死生観・宗教観念によって支えたのが、「天皇のために」戦死すれば神として祀る靖国神社であった。<BR>
H:\0 boboro 50HP\ys02.htm(16):&lt;p&gt; 靖国神社は、政治と宗教が結合したときの恐ろしさを如実に示している。「政治と宗教が国家権力のもとで一体化したときの恐ろしさを、戦前の治安維持法の歴史がよく教えてくれてくれる。治安維持法に問われた者は、その全員が政治宗教としての国家神道」=近代天皇制イデオロギーの異端者として、いわば国家の祭壇に供された犠牲=『いけにえ』であったと言ってよい。その国家神道の中核的存在のひとつである靖国神社は、単に戦場で流された血だけでなく、戦争に反対した犠牲者が牢獄で流した血のうえに築きあげられた、二重の意味での血塗られた天皇の祭殿であった」のである(大江志乃夫「靖国神社」岩波新書58頁)<BR>
H:\0 boboro 50HP\ys03.htm(12):&lt;p&gt; また、被告靖国神社は、内閣総理大臣の公式参拝を求めているだけじゃない。天皇の「御親拝」の復活をも悲願としている。同神社のホームページ(&lt;A href=&quot;http://www.yasukuni.or.jp&quot;&gt;http://www.yasukuni.or.jp&lt;/A&gt;)には、靖国神社関係者と思われる者と「靖国神社と日本人」(PHP新書)の著者・東大名誉教授小堀桂一郎氏との対談が掲載されていた(2001年10月25日現在)。同対談で、「まずは総理大臣の公式参拝の実現を」とのサブタイトルのもとで、同氏は「この機会(靖国神社創立130年=1999年。代理人注)に内閣総理大臣の公式参拝がぜひ実現できるようにしたいですね。それが実現できれば、総理大臣の参拝を露払いとして、天皇陛下の御親拝も復活可能なのではないかと思います」と述べている。対談相手もそれに賛意を示していることは、文脈からあきらかである。<BR>
H:\0 boboro 50HP\ys03.htm(13):&lt;p&gt; この小堀氏の発言は恐らく被告靖国神社の考えに沿うものであろう。そうであるならば、被告靖国神社は内閣総理大臣の参拝のみならず、天皇(それはいうまでもなく、国家機関の一つである)の公式参拝まで望んでいることになる。<BR>
H:\0 boboro 50HP\ys04.htm(10):&lt;p&gt; 戦前日本は,1895年4月17日、日清講和条約によって台湾を割譲させた。次いで、1910年8月22日、「韓国併合」条約によって朝鮮を植民地支配し、これら植民地人民を「帝国臣民」とした。そして、植民地人民を「外地人」であるとして、「内地人」とは異なる戸籍令の登録対象とした。異法地域法制(民族譜)を基本として、分断統治の植民地政策を強いた。同時に、天皇を中心とする日本国家は、植民地人民に対して、「天皇のために死ぬ」「天皇のために人を殺す」という徹底的な皇民化教育を行った。<BR>
H:\0 boboro 50HP\ys05.htm(10):&lt;p&gt; 死は、いかなる意味でも讃美されてはならない。これは日本国憲法の定める「個人の尊厳」の当然の帰結である。「国のために」死ぬこと、まして「天皇のために」死ぬことを賛美するのは、日本国憲法が定立する、近代の「個」を自覚し、自立し、自律する市民に対する冒涜であり、まことに恥ずべきことと言わなければならない。<BR>
H:\0 boboro 50HP\ys2nd_tojisha.htm(17):&lt;br&gt; 同被告は、その社務所を東京都千代田区九段北3丁目1番1号に置き、その目的を「明治天皇の宣らせ給うた「安国」の聖旨に基づき、国事に準ぜられた人々を奉斎し、神道の祭祀を行ひ、その神徳をひろめ、本神社を信奉する祭神の遺族その他の崇敬者を教化育成し、社会の福祉に気よしその他本神社の目的を達成するための業務及び事業を行ふこと」としている神社である(同規則第3条)。<BR>
</P>
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