2004年2月15日 日曜日
押し付け憲法

  『日本国憲法・検証 資料と論点 第七巻 護憲・改憲史論』(監修・前竹栄治 小学館文庫)をやっと読み上げた。400ページ足らずの文庫本なのだが時間がかかった。読み飛ばせるような内容でもない。一まとまり読み上げると咀嚼したくなる。極小活字の資料も、初老の人間の目にはちょっと苦しいが、やはり読んでおきたい。その上、サンシンが邪魔する。一息つこうとサンシンを抱くとこれが結構長くなる。本のほうはつい翌日まわしになりやすい。そんなこんなで時間がかかった。
  21世紀の最初の4,5年は、日本国憲法を生かすか、死なせるかを巡って緊迫した時期となるのだろう。しっかり勉強していきたい。この本を読めば、改憲派がどんな時期にどんな理由を挙げてどんな運動をし、どんな理由で頓挫したかよくわかる。改憲運動の各時期ごとの特徴や共通点がよく理解できる。良書だ。
 改憲勢力の有力な論点である押し付け憲法論、日本国憲法は占領軍に押し付けられた憲法だから云々、という議論についても詳細な記述がある。とくに興味深かったのは、押し付け憲法論者がどんな自主憲法を用意していたかという点であるが、それは次回書くことにして、私がまず言いたいのは「押し付け」であるかどうかが正邪の判断の基準になるのか、ということだ。
 例えば明治憲法は押し付け憲法の最たるものだと私は考える。「朕カ現在及将来ノ臣民ハ此ノ憲法ニ対シ永遠ニ従順ノ義務ヲ負フヘシ」と勝手に宣言しておいて「第3条天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラスと」と来る。私はこれは民衆にたいする権力からの押し付けだと思う。合法的に成立したものであろうけど押し付けにはちがいない。おしつけでもありがたいと思っている人もいれば、許せないと思う人もいるであろう。
  ポツダム宣言はどうなのか。ポツダム宣言は連合軍が日本政府に対して発した降伏勧告書であったが、日本の非軍事化、民主化、日清戦争以前の領土への復帰などの条件を呑んで終戦するか、あるいは最後まで戦い続けるかの選択は日本政府の自由であった。実際陸軍を中心にこの宣言を無視しようする勢力は少なくなかった。8月14日、天皇は御前会議で自ら、日本の改革を受け入れることを認め、翌日の玉音放送で終戦を宣言した。これは連合軍の押し付けではあったが、天皇の自主的な選択でもあった。連合軍の押し付けをにがにがしく思いものは多いかもしれないが、押し付けを受け入れた天皇を非難するものは見当たらない。
  警察予備隊はどうだ。この組織は1950年連合国軍最高司令官マッカーサーの指示ででつくられた。2年後には保安隊に改組され、そのまた2年後には、自衛隊となった。自衛隊は違憲組織であるだけでなくマッカ-サーの押し付けの産物なのである。そんな過去を気にしない人もいれば、ずっと忘れずにいる人もいる。
 卑近な例をあげるならば、われわれが親からもらった名前も、赤子の未来に対する親の願いを感謝するとしてもこれもまた押し付けに違いはない。妙な名前を付けられた子は感謝のよ気持ちより押し付けに対する反発のほうがつよくなるかもしれない。
  要するに、押し付けかどうかは、正邪の判断基準にはならない。それは感情問題なのである。本書『第七巻』は、この問題に関して、国会憲法調査会(2000年発足)における古関彰一獨協大学教授の発言を次のように紹介している(【資料42】)。同感である。

天皇の詔書、さらには内閣の議決、枢密院、衆議院、遺族院と、明治憲法下の法の適正手続きは明確にとられてきた。私たちの先輩は、この(憲法ー忘暮楼注)案に対して賛成の意思を表明してきた。それを国家意思との関係でどう考えるかという場合に、私はそう簡単に押しつけというふうに、つまり、感情論を公的なものにしてしまうということは、必ずしも国家意思の形成という点では適正ではないと最終的には考える。