2003年11月10日

ミーニシ 

 しばらく蒸し暑い日が続いていたが昨日の朝急に寒い風に変わった。これが例の「ミーニシ」だろうか。

 「ミー」は「にー」の訛りで「新しい」の意、「ニシ」はウチナーグチで「北」である。その年初めての北風をここでは「ミーニシ」と呼ぶ。

 琉球王朝時代、太陽神を尊ぶ王府の思いつきが東西南北の呼称を変えた。ひがし→アガリ、にし→イリ、みなみ→ハエ、フェー、そして、きた→ニシ、である。東江めがね店は「アガリーめがね」であり、西表は「イリウムティ」、南風原は「フェーバル」、そして北風は「ニシブチ←ニシ吹き」である。

 それで、「ニシ」の語源は、「往ぬ(イヌ)・往に(イニ)」との関係で説かれることが多い。沖縄人の先祖が、為朝伝説にもあるように、北からやってきたという伝承があって、北を「往ぬ」にちなむ呼称に変えたというのである。

 山口県土井が浜遺跡の弥生時代の埋葬骨はその頭蓋骨が西=中国・朝鮮の方向に向けられていた。それは埋葬された人々が中国か朝鮮から渡来したことを物語っているとされている。

 最近、名護市屋我地島で縄文時代の埋葬骨が二体発見されたが、二体とも頭を北に向けて埋葬されていた。

 すると屋我地島の縄文人もやはり「北」から渡来した人々なのであろうか。数千年後に成立した琉球尚王朝の設立者は沖縄本島の北、伊平屋島の出身だと伝えられる。伊平屋島の先祖はさらに北から渡来したのであろう。

  北風のついでにこの島の悠久の歴史に思いをはせたのであった。