2003年11月3日

沖永良部島をまわる その4 備忘録

  1. 与論も永良部も洞窟葬(風葬)+洗骨から土葬+洗骨へと移行した(最近は火葬)ようだが、洗骨という習慣は沖縄にもある。沖縄の亀甲墓も洞窟葬の変形と理解できる。
  2. 永良部の墓地では戦没者の個人墓が多かったのが印象的だった。先の大戦で永良部が多数の戦没者を出したことと関係があるのかもしれない。与論では家族墓がほとんどだった。
  3. 和泊のフェリー港の近くに「沖縄民謡と沖縄料理」の看板を出す居酒屋がある。女将さんは沖縄本島の出身である。女将さんの話では、永良部の民謡の歌える人は少ないそうだ。この店でもお客が歌うのは沖縄民謡という。
  4. 永良部は与論よりずっと大きい島だ。しかし民謡酒場は与論に二つあるのに対して永良部はゼロである。
  5. 女将さんの話では永良部にもフーチバ(ヨモギ)はたくさんあるんだけど、山羊汁はフーチバを使わないそうだ。開店当初は沖縄風にフーチバ入りの山羊汁をだしていたが地元の人がこれを好んで呉れないので永良部風にネギを入れることにしたそうだ。それから沖縄が塩味なのにたいして、永良部は味噌仕立てだという。
  6. 永良部は百合の栽培が盛んだ。永良部にはテッポウユリが自生していた。それを商品化したらしい。他の種類のユリも栽培されているようだがテッポウユリの需要は安定しているそうだ。なぜかというとこの花が葬儀の祭壇装飾に使われるからだという。
  7. 永良部の道を走っているとススキ原が目立つ。ここのススキは本土のススキと同じ種類だと思う。小穂が綿のような白い毛を密生する。沖縄のススキ(下)は白い毛を持たずいつまでも垂れている。
  8. 永良部の道端には自生の芙蓉が咲いていた。自生のものを見るのははじめてだ。
  9. 永良部の大山展望台から北に徳之島の島影がおおきく見え、南に与論島が見える。与論島のうしろに沖縄島が重なっているところをみると、永良部、与論、沖縄は一直線上に並んでいるのだ。
  10. 一泊二日の間に二回ビーチに入ってシュノーケリングを楽しんだ。美しいビーチであるがすでに秋なのか、泳いでいるのは私だけだった。海水はまだ温かくウェットスーツなしでも快適に泳げた。
  11. 永良部まで足を伸ばすと、確かに琉球文化とヤマト文化の混交が実感されるのであった。