2003年11月2日

沖永良部島をまわる その3 西郷隆盛

  薩摩から400キロ以上離れた小島・沖永良部は西郷隆盛の流刑地である。西郷を閉じ込めた牢屋は和泊町の中心部・奥川の川岸だった。いまその地に牢が復元されている(下の三枚の写真)。

     【西郷隆盛関連事項】

島津藩主・島津斉彬の片腕として徳川慶喜擁立運動の先頭にたち天下に名を知られる。(以下《世界大百科事典 第2版》より引用)

「1858年(安政5)大老井伊直弼の登場と斉彬の急死で窮地に陥り,同志僧月照と鹿児島湾に投身自殺を試みたが西郷のみ蘇生。そこで,菊池源吾と変名して奄美大島に潜居を余儀なくされた。

62年(文久2)島津久光の公武合体運動着手にあたり召還されたが,尊攘派対策をめぐって久光と衝突,徳之島さらに沖永良部島に流された。

しかし,64年(元治1)ふたたび召還され,軍賦役に復帰,禁門の変で醍軍を指揮して尊攘派長州軍の撃退に貢献,側役に昇進。」


  私ごとき市井人にこのような大罪が及ぶ事はありえないが、例えばもう一度(!)癌の宣告を受けることぐらいは十分ありうる。そのようなときに西郷隆盛を思い出すかもしれない。