2003年10月30日

与論の旅 その7  帰路     

  三日目の朝はビーチで40分歩いて、朝飯をいただき、しばし『かじゃでぃふう節』の練習。この歌がなんとか歌えそうになったのも与論旅行の成果である。そのあと図書館へ行って『与論町史』を紐解く。図書館訪問は二度目。「葬礼」に関する部分をコピーしてもらった。一枚50円で300円。

  与論島のお酒は『有泉』という黒糖焼酎。永徳民謡研究所で呑もうと酒屋に入った。20度しか売ってないという。まあいいか。
 20分ほど遅れて港に船が入ってきた。沖縄ー鹿児島間の定期便である。
見送りの人々。今日は与論高校の修学旅行団の出発とあってにぎやかな見送りだ。修学旅行団は那覇で一泊したあと飛行機で韓国へわたる。経費は11万円くらいだそうだ。手前の八人は『ターニョオシプシオ(いってらっしゃい)』とハングルで書いたカードをもっている。

  沖縄からは大阪もソウルもほぼ同じ距離(約1200キロ)だ。釜山だと大阪よりうんと近い(1000キロ)。
 与論港の全体。背景の岩山はなんの説明板もないが舗装道路が通っており岩場も東シナ海も素晴らしい眺望である。
与論島の全体である。かすんでいて見にくいがまもなくもやの彼方に姿を消した。
↓ 甲板からすごいものを見た。陸上の光が海岸線をいろどっているのだが、よくみるとオレンジ色の光がつながっている部分が5.6箇所ある。

  これがみな米軍基地なのだ。嘉手納、北谷、普天間、浦添、米軍が沖縄の海岸線を占拠している現状を改めて見せ付けられる。

 写真は嘉手納の米軍基地だ。