2003年9月8日 月曜日

『永遠の平和を』 大城清松 その2

 
大城清松さんの手記「永遠の平和を」の後半である。家族の半分がマラリアの犠牲になる。 

  地獄の生活避難小屋暮らしも、沖縄本島の玉砕とともに、軍はあまりやかましく干渉しなくなり、一組、二組と各自、我が家に帰り始めました。

  避難小屋から、家族全員無事に帰りましたが、その後が大変です。張り詰めた気持ちが緩んだと申しますか、一家全員がマラリアのために、マクラを並べて病床に臥してしまったのです。

  マラリアという病は、発熱前の悪寒がすさまじく、ふとんを幾枚重ねてかけても寒さは止みません。悪寒が始まると発熱です。それは説明できぬほどの高熱で、うわごとを言うのは普通事なのです。

  食糧事情は悪く、薬や医者の診察もできず、当時の八重山群島の人々は飢えと悪寒に体をさいなまれ,一粒の薬も呑まずこの世を去った人々が多数いらっしゃいました。

  我が家でも
7月26日 三女 大城勝子 (4才) 
7月28日 長女    弘子(13才) 
8月 3日 次女   八重子(12才)
8月 7日 四男   清範 (6才)
8月13日 次男   清吉(10才)
と、五名の弟や妹が、僅か一ヶ月足らずの間に死亡したのです。

  沖縄の風習では、四九日の法事が済まぬ限り、位牌を仏壇に安置することは許されません。白い位牌が五体も並んだ我が家。当時、父・松次郎39才、母・文37才。

  あの日の状況で、気丈にも両親は気も狂わず、残った子供たちを育ててくださったことを思うとき、今は亡き両親に、本当にご苦労さまと感謝の気持ちで一杯です。

  戦争のない世界を築くことが、残された私たちの努めだと思います。次の世代、否、永久の世代に平和な世が続くことを願い、ペンを置きます。