2003年9月8日 月曜日

『永遠の平和を』 大城清松 その1

沖縄県が出版した冊子『悲しみをのり越えて』は、八重山の「戦時マラリア」についての体験集である。許可は得ていないが、一般の日本人がこの本に接するチャンスはほとんどないと思われるので、犠牲者への鎮魂の気持ちをこめて、そのなかの一文、大城清松さんの『永遠の平和を』を書き写したい。 

  いよいよ明日は白水(注:石垣島の山岳部の地名)の避難所に避難することに決定した日、現地召集で白保の飛行場建設の任務に従事していた父も、隊長の許可を得て帰宅し、鉄血勤皇隊の私も帰宅を許され、久し振りに家族十名がそろいました。

  弟や妹たちは、母の指図で、避難所へ持っていく衣服を各自で準備し、母は少しでも多くと、食料を袋に詰め込んでいます。父と私は、持っていけぬ大切な品を、家の東に掘った防空壕に収納しました。

  皆が片付く夜明け前、出発の時刻です。なぜなら、敵の空襲は午前9時頃から10時頃までにあるので、その時間までに白水近くまで行けば安全だとの伝達で、まだ薄暗い道を、

  弟は棒の両端に荷物をくくって、それを担ぎ、二人の妹は自分より大きな荷物を頭に載せ、母は乳飲み子の妹を背中におんぶし、頭には食料を載せ、父はまだ自由に歩けぬ子供三人と荷物をもっこに詰め込むが如く出発する姿は、見るに忍びない光景でした。

  私は避難所に着くまでの皆さまの安全を守るため、鉄血勤皇隊の一員として、家族より一歩先に家を出、皆さまを先導して川良山を出て名蔵に向かうとき、何時何処で情報を入手したのか、まだ八時j頃ですが、敵機が襲ってきたのです。

  雨の如く飛び来る機銃掃射、逃げ惑う住民、火柱を上げる日本軍隊のトラック、まるで地獄さながらでした。

  その空襲で、当時石垣町役場の方が死亡なされました。町の発展のために、まだ働いていただきたいお方でした。心から冥福をお祈りいたします。

  白水の避難所に着くと、みな唖然としました。小屋の床下には水が溜まり、上には光の入らぬ木が生い茂り、藪か(注:マラリア原虫を媒介するハマダラカ)は夜昼の区別なく、血の匂いを嗅ぎ付け襲ってくるのです。

  追い払うためにヨモギの葉をいぶすと、昼は煙が立ち、敵機に発見されるので、「昼はヨモギを焚くことを禁ず。また、夜は灯りをあまりつけるな。」との軍よりの命令。生き地獄とはこのような生活を言うのでしょうか。(続く)