2003年9月7日 月曜日

戦争マラリア

 1945年の夏、おびただしい数の老若男女が「水、水、冷たい水を」とうめきながら死んでいた。広島でも長崎でもない。八重山の島々の話である。 
  6月1日、石垣島の島民たちは軍命によって、マラリア原虫を媒介するハマダラカが飛び回る山岳地帯へ退去させられた。7月にはいると、白水をはじめとする退去地域で、予想通りマラリア患者が発生し始め、見る見るうちに蔓延した。
  八重山のほかの島々も同じだった。波照間島の学童は軍命によってマラリア地域であった西表島の山地に退去させられて66名がマラリアで死亡した。「浮島丸事件」と同じく「未必の故意」による殺人である。

  皇軍は大量のマラリア患者に救いの手をのべることはなかった。島民が出来ることは高熱に苦しむ家族たちに水をかけてやることだけだった。子供や大人が「水、水、冷たい水をくれ」とうめきながら死んでいった。10数名の家族のなかで生き残ったのは1人だけといった例もあった。
  マラリア患者数16,884人(島民の53.82%)、死亡者は3,647人を数えた。
  1989年「沖縄戦強制疎開マラリア犠牲者援護会」が結成され、国家補償を求める活動をはじめた。政府は石垣島、波照間島での軍命による住民の強制避難の事実を認めたが被害者への補償はしなかった。

  1995年、国庫予算においてマラリア慰謝事業経費として総額3億円が認められた。事業内容は
1 慰霊建立 
2 マラリア記念館(仮称)建設 
3 マラリア死没者資料収集・編集事業 
4 死没者追悼事業 
の四つであった。

 この措置によって1999年、石垣市新川(あらかわ)に八重山平和記念館が開館した。