2003年8月30日 土曜日

ななさんまる

 嘉数高台(かかずたかだい)公園でのラジオ体操に参加し始めて今日で三日目。

 洗濯機をしかけておいて、6時15分に家を出る。速歩で高台の頂上の広場に着くと6時半。いつも10数人の市民(大体私と同年配かちょっと先輩)が集まっている。10分間ラジオ体操をしてみんなで朝の挨拶を交わしす。当番らしい人が「今日も元気ですごしましょうね」などと声をかけみんなが拍手をして散会。また速歩で家へ帰ると7時前。洗濯が大体終わっている。洗濯物を干して、朝食の準備。

 これが昨日,今日の私の朝の動きだ。毎日こうであれば素晴らしいのだが三日坊主になるかもしれない。

 さて、嘉数高台公園にいく途中にモーテルがある。沖縄では自動車ホテルというらしい。このホテルの前は何度も通っているのだが、昨日の朝、変なことに気がついた。このホテルの出入り口はかなり広くて、入り口と出口が「中央分離帯」で隔てられている。変なことというのは、入り口が右側、出口が左側になっている、のだ。ホテルに入るシーンを想像すると、左側が入り口になっていなければ不自然だ。入り口が右側だと、そこから急に「車は右」になるので頭が混乱しそうだ。ひょっとしたら…。

 昨夜は兄弟子・友和さんと嘉手苅林次のライブを見に那覇へ出かけた。ライブの前に腹ごしらえをしようというので、国際通りにつながる竜宮通りのヤギ料理屋「さかえ屋」に入った。そこで「ヤギの刺身」と「ヤギのタマちゃん」を食いながら、兄弟子にこの「入り口問題」を持ちかけた。ひょっとして、あのホテルは7・30以前からあったホテルなのではないか、と聞いてみたのだ。7・30(ななさんまる)というのは、1978年に沖縄県が「車は右」から「車は左」に転換した日である。

  案の定、当該ホテルは7・30以前から開業していたのだった。開業当時は右側通行だったから、ホテルの入り口も当然「車は右」になっていた。それがそのままの設計で今に至っていたというわけだ。その後は、私たち二人の話を聞いていたほかのお客さんも加わって「ななさんまる」論議に花が咲いた。

  「ななさんまる」は、沖縄県民全員が心をそれこそ一つにして取り組んだ大事業であった。これだけ県民の心が一つになったことは空前にして絶後なのではないか。ヤギ料理屋「さかえ屋」の止まり木で次から次へととびだした「ななさんまる」の思い出話は楽しかった。いくつか書いておく。

  1. 58号線北谷(ちゃたん)あたりにあった釣具屋さんはみな読谷(よみたん)方面に向かって右側、つまり山側にあった。海へ向かう車が右側通行で山側を通るからだ。ところが「ななさんまる」のおかげで、海へ出かける人はみな読谷方面に向かって左側・海側を走るようになった。そのため山側の釣具屋はみなあがったりになってしまった。

  2. 国際通りの牧志あたりの安里にむかって右側には「家庭料理」の総菜屋がたくさんあった。夕方家路を急ぐ共稼ぎの女性たちが夕食の食膳のために惣菜を買ったのだ。ところが、これも「ななさんまる」のおかげで退勤者の乗るバス停が反対側に移ってしまい惣菜屋はみな店じまいに追い込まれた。

  3. 左側通行の初日、みな緊張して運転したためか交通事故はおきなかった。ただ、バスだけは70数ヶ所で片方の車輪を溝に落とす事故を起こした。大きい車両は適応が難しかったと見える。

  4. 「ななさんまる」までに使われていたバスは、みな現役バリバリのバスだった。しかし国内では全く使い道がなくなったので中国などに売り飛ばされた。いまでも中国で走っている沖縄のバスがあるとか。