2003年8月4日 月曜日

失言と失語

 政治家たちの失言(クリック→関連URL)が頻発している。
広辞苑は「失言」を「言ってはいけないことを、不注意で言ってしまうこと」と説明している。

  確かに、失言は「言ってはいけないこと」のある社会にのみ発生する事件である。早い話が部屋の中でぶつぶつひとり言を言ってるぶんには失言は発生しないわけだ。

  「言ってはいけないこと」があるということは、「言いたいことの一部」が「時代の目標」の外にあるということだ。いや待てよ、そうすると皇軍の兵士が息を引き取る直前に「天皇陛下万歳」というかわり?に「おかあさん!」と叫ぶのも失言ということになるのかな。 

  ある評論家は「政治家は聴衆の喝采を浴びるために常に失言すれすれのことを言おうとするもの」と語っていたのは面白かった。この場合の失言は、聴衆の気持ちが「失言状態」にあるときその気持ちを代弁することによって聴衆の支持を得ようとするのである。

  保守党政治家は保守的な支持者の支持で食っている。今日の日本の保守派民衆の抑圧された政治意識の中心は「父権の復権」である。「人権」の嫌悪である。日本の常識はいよいよ世界の非常識になって生きつつある。

  聴衆の心をつかみたい政治家は「反・人権/親・父権」の限界ぎりぎりの発言を試みることになる。日本の「未来」のためにではなく次の選挙の「票」のために。そして聴衆の反応しだいでは、限界は簡単に無視され、そこで発せられた「思い切った単純明快な発言」は保守派聴衆の同感の笑いと喝采を浴びる。

  しかし、そこで発せられた発言は、いくら保守的な民衆の喝采を受けたとしても、「世界の非常識」であるには違いない。これらの発言も、国際常識の座に移されると弁解の余地のない暴言ということになる。そこで「不注意で言ってしまった」とあやまった振りをして非難をかわす。

  代議士はもとの喝采の場に帰れば、「間違ったことを言ったとは思わない」と胸を張る。昨今の保守政治家たちの「失言」は、このように保守派の国民の堂々たる「発言」なのである。

  やれやれ、政治家たちが失言症を悪化させる一方で私は失語症を発症しそうである。が、あとで後悔しないように、いやいやしゃべれる時代に大いにしゃべっておきましょう。