2003年8月2日 土曜日

政治の中の静寂

久しぶりに沖縄から松山に帰った。こちらは緯度が高いだけに日差しはやさしい。朝は涼しい風が吹いて寝転んでいても気分がいい。沖縄を出て三日目の昨日は、豊後水道を渡り、九州を横断して長崎県大村市にやってきた。妻の父の墓参りだ。カササギの鳴き声があちこちから聞こえてくる。セミも盛んに鳴いている。ここも涼しい。 
  このような気温の違いも沖縄を離れて感じ入ることの一つだが、もっとも感動するのは四国や九州の地の静かさだ。ここ大村には大村空港がある。確かに時折飛行機の音も聞こえるのだが牧歌的とでもいうべき遠い音である。頭のなかはすっきりしている。
  そして今回気がついたことはこの静かさが政治そのものであるということであった。今日も宜野湾や嘉手納では、朝早くから米軍のヘリコプターや戦闘機や輸送機の騒音が、住宅街を繰り返し繰り返し襲っていることだろう。
  一日中響きつづける米軍機の轟音の大半を沖縄県民に引き受けさせることによって、沖縄県民以外の国民に静かな朝と静かな昼間と静かな夜を保証する、これが日米安保条約体制なのである。この静けさが政治そのものだと言ったのはこのことである。
  愛媛に住む皆さん、京都の奥山にすむみなさん、あなたを包むその静寂が安保体制なのですよ。