2003年7月11日 金曜日

テスト準備 「沖縄文化論」の予想問題と解答例

前期の最終講義とテストの予告がつぎつぎと出されている。これまで沖縄でストレス・ゼロの生活を楽しんできたがここへきて、ちょっとストレスがたまりそう。まず「沖縄文化論」(テストは再来週23日)のノートを整理しておこう。 予想問題と解答例。これでバッチリのはず。
1)予想問題 祭の発生と古謡の関係を簡単に記せ
  1. 琉球原始社会における祖先にとって、自然は手の下しようのない、荒々しい存在であった。万物の盛衰、四季の運行、作物の豊凶、狩猟のでき・ふできはすべて自然の気まぐれな意思に支配されていた。
  2. 祖先がこの自然の脅威を克服し自らの願いを実現するためにあみ出した知恵が祭であった。祭の古形は祈りではなく予祝であった。すなわち、祭とは、かって自分たちの願いが実現した過程を前もって再現しておくことであった。祭はこうして発生した。
  3. 予祝の儀礼を支える思想が言霊(ことだま)思想である。言霊思想は、美しい言葉は好ましい結果をもたらすし、悪しき言葉は悪しき結果をもたらす、とする今日まで継承されている思想である(現在でも、結婚式では「切れる」とか「別れる」等の語が忌避される)。
  4. 日常語はそのような霊力を持つ言葉ではないとされた。それは日常語の自由な表現を可能にするために必要な制限だった。
  5. 祭の場で使われた霊力の詞章とは、リズムを含みつつ、あるときは高く低く詠まれ、あるときは歌いあげられる詞章であった。これらの詞章の発生がすなわち古謡の発生であった。
2)予想問題  大交易時代(1372年察度王の進貢貿易開始から16世紀ころまで)がもたらしたものとして今日も琉球文化に残っていることがらを三つ挙げよ
(1)カラジ

琉装の髪型

長い髪をくるくると巻いてかんざし(ziihwaa)で止める。かんざしは護身用にも使われるとか。

文語では「カシラ」。敬語では「ッンチョービ」、「ヌンチョービ」。卑語では「カントゥ」
(2)色彩
 
原色が使われる。赤、黄、青。

首里城の赤はベンガラと呼ばれる色で、インドの「ベンガル」地方に由来する。

写真の「紅型(ビンガタ)」の型染め技法は15世紀ごろ南方からつたわった。
(3)踊りの手振り、指使い

手のひらや指を回したり、押しとめたりしながら踊るしぐさは東南アジアの踊りの影響が強い。
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 ↑ジャワの踊り
その他忘れてはいけないのが「三線(14世紀中国から)」「陶器・泡盛(15世紀タイから)」「さとうきび(1623年)」「芋(1605年中国から)」「」
3)予想問題 「万国津梁」について知るところを記せ
  1. 首里城にあった「万国津梁の鐘(1458年尚泰久王:県立博物館蔵)」の銘文には大交易時代全盛期の様子が刻まれている。
  2. その銘文の冒頭に

    「琉球王国は南海の勝地にして、三韓の秀(すぐれた分野)を集め、大明を以て輔車(互いに助け合い離れにくい関係)となし、日域を以て唇歯(互いに密接な関係)となす。

    此の二中間(日本と明国の中間)にありて湧出の蓬莱島(出現した霊島)なり。

    舟楫(しゅうしゅう)を以て(船によって)万国の(万国と結ぶ)津梁(しんりょう)と為し(…橋とし)、異産至宝(異国の産物や素晴らしい宝物)は十方刹(国中)に充満し、地霊人物(土地柄も人々のこころも)は遠く和夏(日本と中国)の仁風(よい影響)を扇ぐ(受けている)。」

    とある。
  3. すなわち「万国津梁」とは琉球王国が、大交易時代(14世紀…1372年察度王の進貢貿易開始…人皆にさっと伝える進貢開始…から16世紀ころまで)において、日本、韓国、中国、ベトナム・ユエ、タイ国(181年間)、タイ・バタニ-(53年間)、マラッカ(50年間)、インドネシア、ルソン島などと船を橋として結ばれ繁栄していることを誇示する語であった。
3)予想問題  日本政府が「世界遺産」としてユネスコに登録した文化遺産を挙げよ。
  1. 首里城跡(シュリジョウあと)
  2. 今帰仁城跡(ナキジンジョウあと)
  3. 座喜味城跡(ザキミジョウあと)
  4. 勝連城跡(カツレンジョウあと)
  5. 中城城跡(ナカグスクジョウあと)
  6. 園比屋武御嶽石門(ソノヒヤンウタキ)(那覇市)
  7. 玉陵(タマウドゥン:那覇市)
  8. 識名園(シキナエン:那覇市)
  9. 斎場御嶽(セーファーウタキ:知念村)

参考 
世界遺産指定についての
2000年12月1日付け「琉球新報」社説


(前略) 今回、世界遺産に登録された首里城跡などの歴史的バックグラウンドを振り返ってみると、十四世紀初頭の北山、中山、南山の三山時代を経て、やがて「琉球王国」という統一国家が形成された。中国をはじめ東南アジア、日本との交易も盛んに行われ、十六世紀末まで独自性の強い歴史的発展を遂げてきた。

 この歴史的な背景の中、建築されたのがこれらの世界遺産。曲面を多用した石積みの城壁とアーチ門の美しさに特徴があり、中国や東南アジアとの交易の中で生まれた独自の文化を表し、華やかさがある。

 また、国王や按司の居城としてだけでなく、信仰の対象として現在に至っている点も大きな特徴だ。

 城跡のほか、園比屋武御嶽は、国王が旅の安全を祈った場所で、玉陵は尚円王統の墓。識名園は国王の別邸で中国からの冊封使を接待する場でもあった。斎場御嶽は県内随一の聖地。(以下略)


4)予想問題 次のことばを説明せよ
  1. 『おもろそうし』
    →沖縄最古の歌謡集で、16世紀までの琉球(古琉球)の思想や創造力を知る貴重な遺産である。
    →文字を知らない人々はニュースを口伝えした。それをオモロ(思い)といい、16世紀に『おもろそうし』にまとめられた。鎧武者や鎌倉の賑わい、唐船や南方の船との交易も歌われている。(「琉球王国の歴史」)
    →オモロとは古代叙事詩である。…神と人との対話を内容とする古代人の想像力の世界である。…太陽のおおらかな美しさ、海を舟で漕ぎ渡る喜び、神前で踊り遊ぶ楽しさ、などということはすべて古代の共同幻想であって、それが不定形叙事詩となって歌われたのが、オモロである。楽器も素朴な木や太鼓のみであって、弦楽器はなかった。(『沖縄歴史散歩』大城立裕)

  2. 「あけもどろ」
      太陽がまさに水平線を出ようとする美しい光景。那覇市は「あけもどろのまち」と称している。
  3. 「あやご」
    宮古島に伝わる歌謡の一種。実在の英雄の事蹟を述べた叙事詩であったが、まもなく庶民の生活感情や叙情的あるいは物語的歌謡などあたらしいアヤゴが歌われるようになった。
    「みちぬ ちゅらさや かいやぬ めえ あやぐぬ ちゅらさや みゃあくぬ あやぐ」

  4. 「ゆんた」
      八重山がほこる300余編の民謡は二つのジャンルに分かれる。一つは「節歌」で「何々節」と称され、士族の役人たちの作詞作曲によるもの。「赤馬節」「鳩間節」「舟越節」などで弦楽器とともに座敷で正式に歌われる。
      もう一つが「ゆんた」で、楽器を必要とせず、野良仕事や米搗き・地搗きなどに労働の伴奏として歌われた。労働の時刻によって歌う歌が決まっている場合もある。男女のコーラスになる部分もある美しい唄である。
  5. 「うりずん」
      旧暦2,3月頃(新暦3,4月頃)。麦の穂の出る頃のこと。ここちよい「うりずん南風」(ウリジンベエ)が吹く。

  6. 「わかなち」
      初夏。旧暦4,5月ごろの稲穂の出始める頃をいう。「わかなちになったので、こころうきうきと、きれいな水辺に下りて、髪を洗おう」。

  7. 「二ライ・カナイ」
      「ギライカナイ(儀来河内)」と同じ。海のかなたにあると信じられている常世(永遠の国)。

  8. 「ミーニシ」
      秋頃吹き始める北風。「ミイサン」は「新しい」、「ニシ」は「北・北風」。

  9. 「ニヌファブシ」
      「子ぬ方星」で北極星をさす語。

  10. 「マブイ」
       魂。霊魂。生きている人の魂をいう。死者の魂は「タマシー」。「マブイヌ 向(ン)カトーテーサ」は「噂をすれば影」。