2003年7月5日 土曜日

小波津良徳翁からの聞き取り

 大学の前期講義も今月で終了。レポートの期限が迫ってきた。前々からお願いしていた与那原の小波津良徳翁からの聞き取りに着手した。与那原町大見武部落のすべての「屋号」を調べ上げるつもりだったが、実際聞き取りを初めて見ると、息子さんの良光さんのサポートを受けながらの作業でも相当に時間がかかる。そこで、三区域にわかれている大見武部落の中の、良徳翁の居住地である三区について調べることにした。

  三区は19戸からなり、そのうち古波津姓が11戸、渡慶次姓と高良姓が2戸ずつ、大城姓、照屋姓、大村姓、喜屋武姓が1戸ずつという構成である。

  2回の聞き取りで小波津姓11戸のうち6戸の屋号が分かった。この6個はいずれももともと運玉森の中腹に屋敷を構えていた「上之小波津小(ウィヌクフヮチグヮ)」の一族であった。残りの5戸はまた違う家系となる。まだ数回の聞き取りが必要である。

満92歳になられたばかりの小波津良徳翁である。良徳翁の記憶力はすばらしいものだ。翁のお話をまとめたのが下の系図である。まだ作成途中である。
2回の聞き取りで「上之小波津小」一族「5代30数人」の親族関係が明らかになり、「上之小波津小」家が6つの屋号に分岐した過程が明らかになった。次回は一番上の方の兄弟筋の家系をたどることになる。
良徳翁のお宅の仏壇である。新築のお家だが、一番座、二番座、裏座など典型的な沖縄風間取りになっている。仏壇の置かれているここは沖縄のしきたりどおり二番座である。
良徳翁は「イリヌクフヮチグヮ」家の二男であるから、本来位牌はないはずであるが、男性(上段)3名、女性(下段)5名の名前(沖縄では実名)が書かれている。
 このうちの5名、奥さんのウシさんと二男二女は1945年6月、米軍の運玉森・与那原地域への猛烈な艦砲射撃によって死亡した。良徳翁だけは防衛隊に出ていたため無事だった。無事といっても九死に一生を得たといったほうがいいほどの生き残りであったという。
聞き取りの後には三線を聞かせてもらえる。良徳翁は若い頃から「もうあしび」や「にいびち(結婚式)」で三線の名手として活躍していた。結婚式などで一晩弾いても同じ曲を二回弾くことはなかったそうだ。

 しかし、1945年に一瞬のうちに家族を失って以来喪に服され三線を手にしなかった。そのとき34歳だったはずだが、85歳になって再び三線を手にした。50年のブランクのあともう7年「古典」一筋、腕前はすっかりよみがえり、周に2回の研究所での練習を欠かさない。

  この日は「かぎやで風節」と「秘伝仲風」の二曲を弾いてもらった。とくに「秘伝仲風」は楽譜をみるだけでも気が遠くなりそうな長く複雑な曲であるが、今年に入って練習をはじめられたそうだが、楽譜もみないで唄っていただいた。恐れ入りました。