2003年7月3日 木曜日

拙文「小泉首相のすり替え答弁」が
 「琉球新報 論壇」に掲載された

拙文「小泉首相のすり替え答弁」が7月3日「琉球新報」の「論壇」に掲載された。
 以下拙文本文
  6月11日の党首会談で、日本共産党の志位委員長がイラクの大量破壊兵器がいまだ発見されていないことを取り上げて首相をやり込めようとしたら、小泉首相に「フセイン大統領はいまだ見つかっていない。見つかっていないから、イラクにフセイン大統領が存在しなかったとはいえない」と切りかえされたという。「琉球新報」は「志位氏が一番うろたえただろう。まさか首相がこんな幼稚な理屈をふりかざすとは」と報じていた。私もこういわれたらうろたえてしまいそうである。妙に説得力があるのだ。
  しかし、落ち着いて考えてみると、フセイン大統領の存在とイラクの大量破壊兵器の「存在」との間には決定的な違いがある。その違いは小泉首相のご先祖の「存在」と宇宙人の「存在」との違いに匹敵する。小泉首相のご先祖の「存在」やフセイン大統領の「存在」は否定しようのない歴史的事実であるが、宇宙人やイラクの大量破壊兵器の「存在」はいくつかの事実から推論された結論であって、同じ事実から全く反対の結論を得ることも可能である。
  したがってあたりまえのことだが、「アメリカがイラクに存在すると推理した大量破壊兵器はいまだ発見されていない」という事実から推論される結論も、「かつて存在したイラクの大量破壊兵器はすでに処分されてなくなっているか、巧みに隠ぺいされているためにまだ発見できていない」か「イラクに大量破壊兵器が存在するとしたアメリカの推理そのものが間違っていた。もともと存在しないものは発見されようがない」かのどちらかというっことになる。
  小泉首相は前者が真実であると主張したかったわけだが、「アメリカがそういっているのだから」ということ以外の根拠はあげることができない。そこで小泉首相は奇策に出た。間違いなく存在していたフセイン大統領はいまだ発見されていない事実をあげて、存在していたかもしれないし存在していなかったかもしれないイラクの大量破壊兵器の実在の「疫学的」証明としたのである。
  首相の答弁はいってみれば、「宇宙人が存在しているか、または存在していたことは間違いない。なぜなら私の祖先はこの世では発見できないけど彼らが存在しなかったとはいえないからだ」と言ったに等しい。つまりこれはトリックといったほうがいいようなすり替え答弁であったわけだ。
  首相の答弁に説得されそうになった私は、うまいもんだと感嘆すると同時に、このような薄っぺらな議論でその場を切り抜けようとする小泉政治に一種の怖さを感じてもいる。
  しかもその後の報道では、この「フセイン大統領」を利用した説得法は、最近来日した米国高官からの直伝の論法だというではないか。こうなるとその徹底した対米依存姿勢に薄ら寒ささえ感じてしまうのである。