2003年6月30日 月曜日

日本共産党(JCP)の新綱領案

2003年7月1日 火曜日

日本共産党(JCP)が大きく変わろうとしているらしい。

国会で天皇がスピーチするとき、議場にはきまって空席があった。天皇はそれをいつも見ていたと思う。その空席はいうまでもなくJCPの議席であるが、あるときはその空席は広がったし。あるときは狭くなった。いずれにしろ天皇制に対する国民の意識がこの空白にもっとも鋭く反映されていた。天皇の地位は「主権の存する日本国民の総意に基く」とされるが、この空席は、天皇に、あなたの今日の地位は100%の国民に支持されているのではないんだよ、ということを直接伝えるほとんど唯一の機会であった。

新聞は、JCPは今度の新綱領案で「天皇制の廃止要求を削除し、自衛隊とともに存在を事実上容認するなど、従来の『革命』色を薄める現実路線が最大の特徴」(「朝日」)と伝えている。だとするとあの「空席」は今後どうなるのだろうか。新綱領案に目を通してみよう。
2003年6月22日(日)「しんぶん赤旗」

第七回中央委員会総会議案
日本共産党綱領(案)


 一、戦前の日本社会と日本共産党

 (一)日本共産党は、わが国の進歩と変革の伝統を受けつぎ、日本と世界の人民の解放闘争の高まりのなかで、1922年7月15日、科学的社会主義を理論的な基礎とする党として、創立された。



○戦前の日本社会と戦後の日本社会との関係については、大きく分けて「連続説」と「断絶説」がある。

○私は学生時代以後すっと「断絶説」に立っていた。しかし、最近、軍人墓や戦没者遺族年金や靖国神社の問題を考えるようになってどうも「連続説」で見たほうが合理的なのではないかと考えるようになりつつある。そんなことも考えながら読んでみよう。

 当時の日本は、世界の主要な独占資本主義国の一つになってはいたが、国を統治する全権限を天皇が握る専制政治(絶対主義的天皇制)がしかれ、国民から権利と自由を奪うとともに、農村では半封建的な地主制度が支配し、独占資本主義も労働者の無権利と過酷な搾取を特徴としていた。この体制のもと、日本は、アジアで唯一の帝国主義国として、アジア諸国にたいする侵略と戦争の道を進んでいた。

党は、この現状を打破して、まず平和で民主的な日本をつくりあげる民主主義革命を実現することを当面の任務とし、ついで社会主義革命に進むという方針のもとに活動した。

○台湾が日本の植民地とされたのが1895年、朝鮮が日本の植民地とされたのが1910年。 JCPが創立される3年前の1919年には朝鮮全土でいわゆる3・1独立運動が空前の規模で繰り広げられた。「当時の日本」の規定要因として「植民地支配」に触れてもらいたい。

○同様の趣旨だが、「国民の権利と自由」とともに「植民地の民衆の権利と自由」にも言及してほしいと思う。戦前の戦いをまとめる(二)の「党は、日本帝国主義の植民地であった朝鮮、台湾の解放と、アジアの植民地・半植民地諸民族の完全独立を支持してたたかった。」との記述との整合性から言ってもそういえると思う。


 (二)党は、日本国民を無権利状態においてきた天皇制の専制支配を倒し、主権在民、国民の自由と人権をかちとるためにたたかった。

 党は、半封建的な地主制度をなくし、土地を農民に解放するためにたたかった。

 党は、とりわけ過酷な搾取によって苦しめられていた労働者階級の生活を根本的に改善し、すべての勤労者、知識人、女性、青年の権利と生活の向上のためにたたかった。

 党は、進歩的、民主的、革命的な文化の創造と普及のためにたたかった。

 党は、ロシア革命と中国革命にたいする日本帝国主義の干渉戦争、中国にたいする侵略戦争に反対し、世界とアジアの平和のためにたたかった。

 党は、日本帝国主義の植民地であった朝鮮、台湾の解放と、アジアの植民地・半植民地諸民族の完全独立を支持してたたかった。

○私などが民主運動ないし労働運動として私学でやってきたことは、確立された法的権利の行使に過ぎなかった。しかし、先達たちは法的な保障のない状況下で、人間としての尊厳をかけて闘ってきた。私のような小心者には出来そうもない事業である。先達たちには頭が下がる思いがする。
 幸い、これらの戦いは「敵」の「敵」の勝利によって実を結ぶことになった。そういう結実にはそれなりの脆弱さがあり、それは今日の政治状況にストレートにつながっているように思われる。

○本文中の「日本帝国主義」とは何のことなのか。定義がないし、定義すると煩雑になりすぎそう。どうせ分かり易くするのなら、普通の言葉で書いてほしい。ここは普通は「大日本帝国」となるところではないか。
○ときに「天皇制の先制支配を倒し」というのは「天皇制を倒し」とはちがうことなのだろうか。違うとしたらちょっと小細工かなあ。

 (三)日本帝国主義は、1931年、中国の東北部への侵略戦争を、1937年には中国への全面侵略戦争を開始して、第二次世界大戦に道を開く最初の侵略国家となった。1940年、ヨーロッパにおけるドイツ、イタリアのファシズム国家と軍事同盟を結成し、1941年には、中国侵略の戦争をアジア・太平洋全域に拡大して、第二次世界大戦の推進者となった。

○ここの「日本帝国主義」も「天皇と政府・軍部」くらいのほうが分かりやすい。
○将来のことを思えば、日本の未来を語るためには、教育の力が戦争に協力する国民がを生み出したことも触れてほしいところだ。国民の多くが天皇制政府の好戦的政策に賛同したことに何らかの形で触れる必要があると思うのである。

 帝国主義戦争と天皇制権力の暴圧によって、国民は苦難を強いられた。党の活動には重大な困難があり、つまずきも起こったが、多くの日本共産党員は、迫害や投獄に屈することなく、さまざまな裏切りともたたかい、党の旗を守って活動した。このたたかいで少なからぬ党員が弾圧のため生命を奪われた。

 他のすべての政党が侵略と戦争、反動の流れに合流するなかで、日本共産党が平和と民主主義の旗を掲げて不屈にたたかい続けたことは、日本の平和と民主主義の事業にとって不滅の意義をもった。

○「さまざまな裏切りともたたかい」は要らないのではないか。JCPは権力からの働きかけにさらされているから「敵に内通して味方に背を向ける」党員が生じやすいとは思うが、こう書かれたものみると「JCPって裏切り者がよくでるのかなあ」などとかんぐる人もあるかもしれない。

 侵略戦争は、2千万人をこえるアジア諸国民と3百万人をこえる日本国民の生命を奪った。この戦争のなかで、沖縄は地上戦の戦場となり、日本本土も全土にわたる空爆で多くの地方が焦土となった。1945年8月には、アメリカ軍によって広島、長崎に世界最初の原爆が投下され、その犠牲者は30万人にのぼり、日本国民は、核兵器の惨害をその歴史に刻み込んだ被爆国民となった。

○それがどうした、と聞き返したくなってくるのはなぜだろうか。
○主語をはっきりして能動態で書いてほしい。「大日本帝国は…生命を奪った。」とか「天皇制政府は沖縄に時間稼ぎのための地上戦を強いた。軍隊は沖縄県民の命を守らなかった。」とか、「アメリカ軍は核兵器の実験をかねて広島、長崎に原爆を投下した。」とか言った風に。

 ファシズムと軍国主義の日独伊三国同盟の世界的な敗北のなかで、一九四五年八月、日本帝国主義は敗北し、日本政府はポツダム宣言を受諾した。反ファッショ連合国によるこの宣言は、軍国主義の除去と民主主義の確立を基本的な内容としたもので、日本の国民が進むべき活路は、平和で民主的な日本の実現にこそあることを示した。これは、党が不屈に掲げてきた方針が基本的に正しかったことを、証明したものだった。

○ここもポツダム宣言受諾を最終的に決定したのは天皇であったことを明記してほしい。天皇が「平和で民主的な日本」に自らの活路を見出したのだ。

それにしても、ポツダム宣言がJCPの方針の正しさを証明した、ってのはいかがなものか。証明してもらったのでどうだ、というのかな。要らないと思う。

二、現在の日本社会の特質

 (四)第二次世界大戦後の日本では、いくつかの大きな変化が起こった。

 第一は、日本が、独立国としての地位を失い、アメリカへの事実上の従属国の立場に落ち込んだことである。

 敗戦後の日本は、反ファッショ連合国を代表するという名目で、アメリカ軍の占領下におかれた。アメリカは、その占領支配をやがて自分の単独支配に変え、さらに一九五一年に締結されたサンフランシスコ平和条約と日米安保条約では、沖縄の占領支配を継続するとともに、日本本土においても、占領下に各地につくった米軍基地の主要部分を存続させ、半永久的なアメリカの世界戦略の前線基地という役割を日本に押しつけた。日米安保条約は、1960年に改定されたが、それは、日本の従属的な地位を改善するどころか、基地貸与条約という性格にくわえ、有事のさいに米軍と共同して戦う日米共同作戦条項や日米経済協力の条項などを新しい柱として盛り込み、日本をアメリカの戦争にまきこむ対米従属的な軍事同盟条約に改悪・強化したものだった。

○「第一は、日本が…」の「日本」はなにをさしているのだろうか。簡単に、「第1に戦後の政権党が、一貫してアメリカへの事実上の従属国としての立場を選んできたことである。」くらいで分かりやすく書いてもいいのではないか。

○「日本が、独立国としての地位を失い、…」では大日本帝国も独立国であった点では今よりましだ、という印象を与える。

 第二は、日本の政治制度における、天皇絶対の専制政治から、主権在民を原則とする民主政治への変化である。この変化を代表したのは、1947年に制定された現行憲法である。この憲法は、主権在民、戦争の放棄、国民の基本的人権、国権の最高機関としての国会の地位、地方自治など、民主政治の柱となる一連の民主的平和的な条項を定めた。
形を変えて天皇制の存続を認めた天皇条項は、民主主義の徹底に逆行する弱点を残したものだったが、そこでも、天皇は「国政に関する権能を有しない」ことなどの制限条項が明記された。

 この変化によって、日本の政治史上はじめて、国民の多数の意思にもとづき、国会を通じて、社会の進歩と変革の道を進むという道すじが、制度面で準備されることになった。

○「1947年に制定された現行憲法である。」の次に「この憲法は天皇のポツダム宣言受諾によって可能となったが、日本の進歩勢力がめざした目標と一致しでいた。」とありたい。
○「…残したものだった」のあとを「…残したものだった。天皇は、内閣総理大臣、最高裁判所の長たる裁判官の任命、憲法改正、法律、政令及び条約を公布、国会の召集、衆議院の解散、国会議員の総選挙の施行の公示をはじめとして戦前に匹敵する権限を有している。しかし、天皇は軍事上の権限、勅令を発する権限を喪失した。」として「この変化によって…」と続けるべきではないか。

第三は、戦前、天皇制の専制政治とともに、日本社会の半封建的な性格の根深い根源となっていた半封建的な地主制度が、農地改革によって、基本的に解体されたことである。このことは、日本独占資本主義に、その発展のより近代的な条件を与え、戦後の急成長を促進する要因の一つとなった。

 日本は、これらの条件のもとで、世界の独占資本主義国の一つとして、大きな経済的発展へと進んだ。しかし、経済的な高成長にもかかわらず、アメリカにたいする従属的な同盟という対米関係の基本は変わらなかった。

○植民地を持たない国になったことも重要な変化である。この変化によって、日本政府と日本国民は平和と人権のためにアジアの諸国民と連帯することができるようになったわけである。


 (五)わが国は、高度に発達した資本主義国でありながら、国土や軍事などの重要な部分をアメリカに握られた事実上の従属国となっている。

 わが国には、戦争直後の全面占領の時期につくられたアメリカ軍事基地の大きな部分が、半世紀を経ていまだに全国に配備され続けている。なかでも、敗戦直後に日本本土から切り離されて米軍の占領下におかれ、サンフランシスコ平和条約でも占領支配の継続が規定された沖縄は、アジア最大の軍事基地とされている。沖縄県民を先頭にした国民的なたたかいのなかで、一九七二年、施政権返還がかちとられたが、米軍基地の実態は基本的に変わらず、沖縄県民は、米軍基地のただなかでの生活を余儀なくされている。アメリカ軍は、わが国の領空、領海をほしいままに踏みにじっており、広島、長崎、ビキニと、国民が三たび核兵器の犠牲とされた日本に、国民に隠して核兵器持ち込みの「核密約」さえ押しつけている。

○沖縄県民の犠牲のもとでの「経済的発展(=繁栄)」であったことに触れてもらいたい。

日本の自衛隊は、事実上アメリカ軍の掌握と指揮のもとにおかれており、アメリカの世界戦略の一翼を担わされ、海外派兵とその拡大がたくらまれている。

 アメリカは、日本の軍事や外交に、依然として重要な支配力をもち、経済面でもつねに大きな発言権を行使している。日本の政府代表は、国連その他国際政治の舞台で、しばしばアメリカ政府の代弁者の役割を果たしている。

 日本とアメリカとの関係は、対等・平等の同盟関係では決してない。日本の現状は、発達した資本主義諸国のあいだではもちろん、植民地支配が過去のものとなった今日の世界の国際関係のなかで、きわめて異常な国家的な対米従属の状態であって、アメリカの対日支配は、明らかに、アメリカの世界戦略とアメリカ独占資本主義の利益のために、日本の主権と独立を踏みにじる帝国主義的な性格のものである。
そのとおりだ。
 (六)日本独占資本主義は、戦後の情勢のもとで、対米従属的な国家独占資本主義として発展し、国民総生産では、早い時期にすべてのヨーロッパ諸国を抜き、アメリカに次ぐ地位に到達するまでにいたった。その中心をなす少数の大企業は、大きな富をその手に集中して、巨大化と多国籍企業化の道を進むとともに、日本政府をその強い影響のもとに置き、国家機構の全体を自分たちの階級的利益の実現のために最大限に活用してきた。国内的には、大企業・財界が、アメリカの対日支配と結びついて、日本と国民を支配する中心勢力の地位を占めている。

 大企業・財界の横暴な支配のもと、国民の生活と権利を守る多くの分野で、ヨーロッパなどで常識となっているルールがいまだに確立していないことは、日本社会の重大な弱点となっている。労働者は、長時間・過密労働に苦しみ、多くの企業で「サービス残業」という違法の搾取方式までが常態化している。雇用を保障する解雇規制の立法も存在しない。
そのとおりだ。

 女性差別の面でも、国際条約に反するおくれた実態が、社会生活の各分野に残って、国際的な批判を受けている。公権力による人権の侵害をはじめ、さまざまな分野での国民の基本的人権の抑圧も、重大な状態を残している。(中略)

○ここは筆坂事件があっただけにシラケるというか、なまなましすぎる、とういうか・
(-_-;)どう書いてもらうところかなあ。

(六)のこのあとの部分は大体「そのとおり」と思った。

三、世界情勢――二〇世紀から二一世紀へ

 (七)二〇世紀は、独占資本主義、帝国主義の世界支配をもって始まった。この世紀のあいだに、人類社会は、二回の世界大戦、ファシズムと軍国主義、一連の侵略戦争など、世界的な惨禍を経験したが、諸国民の努力と苦闘を通じて、それらを乗り越え、人類史の上でも画期をなす巨大な変化が進行した。(中略)

アメリカの一国主義の動きをみると「巨大な変化が進行した」なんて祝福する気にはなれないなあ。

あとは大体「そのとおり」だ。

(八)資本主義が世界を支配する唯一の体制とされた時代は、一九一七年にロシアに起こった十月社会主義革命とともに過去のものとなった。第二次世界大戦後には、アジア、東ヨーロッパ、ラテンアメリカの一連の国ぐにが、資本主義からの離脱の道に踏み出した。

 最初に社会主義への道に踏み出したソ連では、レーニンが指導した最初の段階では、おくれた社会経済状態からの出発という制約にもかかわらず、また、少なくない試行錯誤をともないながら、真剣に社会主義をめざす一連の積極的努力が記録された。しかし、レーニン死後、スターリンをはじめとする歴代指導部は、社会主義の原則を投げ捨てて、対外的には、他民族への侵略と抑圧という覇権主義の道、国内的には、国民から自由と民主主義を奪い、勤労人民を抑圧する官僚主義・専制主義の道を進んだ。「社会主義」の看板を掲げておこなわれただけに、これらの誤りが世界の平和と社会進歩の運動に与えた否定的影響は、とりわけ重大だった。

 日本共産党は、科学的社会主義を擁護する自主独立の党として、日本の平和と社会進歩の運動にたいするソ連覇権主義の干渉にたいしても、チェコスロバキアやアフガニスタンにたいするソ連の武力侵略にたいしても、断固としてたたかいぬいた。(中略)

JCPが「ソ連覇権主義」に追従していた時代もあったのではないか。そうそう新日本出版社が「金日成全集」を出版していた時代もあった。

 別の幹部がやったことに「知らん顔」しているようでは国民の信用は得られないと思う。

 (九)(略)
 (一〇)(略)世界は、情勢のこのような発展のなかで、二一世紀を迎えた。世界史の発展には、多くの波乱や曲折、ときには一時的な、あるいはかなり長期にわたる逆行もあるが、帝国主義・資本主義を乗り越え、社会主義に前進することは、大局的には歴史の不可避的な発展方向である。

○21世紀を予言してみることなんてなにか意味があるんだろうか。次の100年間がどんな歴史をたどるかは宗教団体以外は言っちゃいけないことなのではないだろうか。

以下は後日また