2003年5月25日 日曜日
 三番座(一部訂正 5/27)

以前から行こう行こうと思っていた中頭郡与那城町伊計島へ行ってきた。松山の沖縄家庭料理の「めんそーれ」の女将・宮尾ひさえさんの出身地である。今回はそのひさえさんの幼馴染みで多忙の企業家・島田純子さんのお供、久しぶりのご両親訪問のアッシー君を兼ねている。

 太平洋岸与勝半島からのびる四車線の堂々たる海中道路が、本島と平安座(へんざ)島を結んでいる。この海中道路は勝連町屋慶名から平安座島にかけて広がる干潟の西端に設置されており、離島と本島をつなげようとする島民の悲願の歴史に彩られているのだが、その辺はまた後日機会があれば書いてみたいと思っている。

 与勝半島から北東に向かって、平安座島、宮城島、伊計島の順で並んでいるのだが、平安座島と宮城島の間には、埋め立てて造成された新しい「島」ががあり、石油タンクがずらりとならぶ石油基地となっている。宮城島の荒涼とした海岸道路を走り、伊計島に渡る最後の橋にかかる。

 この橋に差し掛かると、突然眼下に、夢のように美しいエメラルドグリーンの海が広がる。感動する。
 ここからがサトウキビ畑とタバコ畑、そして美しいビーチのある伊計島(古名は「イチハナリ」)である。

  本日の伊計訪問のひそかな目的は島田さんのお家を見せてもらうことだった。沖縄の伝統的な建物の内部を見たのは中城の国の重要文化財「中村家」の屋敷だけで、生きた建物の内部は見たことがなかった。

  島田さんのお父さんにいろいろお尋ねしたのであるが、沖縄の住居には沖縄の生活の知恵が凝集されていることを痛感した。いくつか気がついたことを書きとどめておきたい。
 
  1. 通例、沖縄の家屋は、南側に二つの座敷=一番座・二番座があって、北側の小さな二部屋とあわせて、四部屋となっているものと聞いていたが、島田純子さんのお父さんの屋敷は三番座まであり計六室のなっていた。「中村家」を同じである。
  2. 島田さんのお父さんは末っ子。二十代に分家を作ったそうだ。確か「島袋小(しまぶくぐぁ)」という屋号ではなかったか。そうなると「島袋小」家には先祖はいないわけで、実際二番座の部屋に、沖縄の慣習どおり、仏壇が備え付けてあるのだが、先祖の位牌は置いてない。今のところ、仏壇全体が布団入れとして善用されていた。
  3. とすると、三番座まで作ったのも、分家の一代目の意気込みをみせたものであろうか。
  4. 南向きの三つの座敷には縁側が設けられていた。座敷に日差しが入らないようにする工夫である。こういう建て方は少ないそうで、これも島田さんのお父さんの自慢(写真は島田さんの父上)のようである。縁側をアマハジ、座敷をホンハジ、縁側の庇を支える柱をアマハジバシラを言うそうだ。
  5. その縁側が首里城と同じ、ベンガラ(暗紅色)に縫ってある。粋なものである。
  6. に細かいバラスを敷き詰めてあった。伊計島も島尻マージという土のようで雨が降るとぬかるみになる。それでその土の上にバラスを敷いたのだそうだ。これも島田さんのお父さんの工夫のようだ。この白いバラスが縁側のベンガラ色とよくマッチしている。
  7. 屋根のシーサーは1頭だけ。波平先生の講義によるとこれが本当だとそうだ。
  8. もう一つ沖縄の代表的な防風林、フクギについて報告したいが、明日に回そう。