2003年5月2日 土曜日
言葉の変容の言動力 その1

 野原三義先生の講義で

「こころ」のことを沖縄本島南部・那覇では「ちむ」と言い、北部・国頭で「きむ」という。とうことは、この二つの語には「*きむ」という祖形があったということだ。
という話が出た。

 「えっ、どうしてそんなことが言えるのかなあ。<ちむ>が祖形とは考えられないのかなあ」
 と思いながら回りの学生をみるとみんなわかったような顔でもくもくとノートを取っている。こういうことは学生たちにとっては常識なのかなあ、それとも、無関心なのかなあ。これが常識だとすれば、ここの学生の言語学の知識はかなり高いことになる。でもそんなふうにも見えないなあ(失礼)。

 授業の後で野原先生に質問してみた。先生の説明は簡単にいうと

 世界のどの言語でも、人々の発音は、発音しやすいほうへしやすいほうへと変化していく。これは言語学的解釈の際での前提になっている。
ということであった。例えば 「I am」 と 「I'm」 という二つの語形がある場合、 発音しやすい「I'm」より、発音の負担のより重い「I am」 のほうが古い形だ、ということ。あるいは、「おはようございます」と「おす」では「おはようございます」のほうが古い発音であるということ。これは当然であろう。

 しかし、「きむ」と「ちむ」の関係は言葉が短くなる関係ではなく、舌の閉鎖位置の変化がからんでいる。

 たとえば、私の郷里、愛媛県南部の三瓶方言では、「(し)ている」をやや丁寧にいうときは「(し)とる」といい、普通では「(し)ちょる」という。
 この「ちょ」は「と」の舌の位置(歯茎に裏)を、奥の硬口蓋

(注)硬口蓋:口の天井のうち舌で触れる部分
の部分に移すことでつくられる音だ。

 舌の位置をこのようにずらすことを「硬口蓋化」あるいは単に「口蓋化」と呼ぶが、この口蓋化によって発音を楽にしようとする傾向が、語の発音を変化させる原動力の一つになっている。ということは、一つの語に二つの発音があるとすると、口蓋化のある発音のほうが新しい、ということになるわけだ。

 「北京」の「ぺきん」と「ペーチン」の違いも硬口蓋化で説明する。宮沢賢治の『永訣の朝』の有名なフレーズ「あまゆじゅ とてちて けんじゃ(みぞれを取ってきてください 賢治さん)」の「ち」も「き」が口蓋化したものである。

ひょっとしたら、日本古語の過去の助動詞「き」の珍妙な活用「○・○・き・し・しか・○」の「し」と「き」も口蓋化で説明できるのかもしれないなあ。つまり、「き」がさきにあって、のちに「し」に変容したと。

表でまとめてみる。

舌の位置
上の歯茎に近い部分
 舌の位置
硬口蓋
口の天井のうち舌で触れる部分
 舌の位置
軟口蓋
口の奥の天井で、無理にゲロするときに指で触るべき部分
  「ちむ」の「ち」「きむ」の「き」
「しとる」の「と」「しちょる」の「ちょ」  
  宮沢賢治の詩にでてくる「取(と)てちて」の「ち」「取って来て」の「き」
  「ペーチン」の「チ」「ぺきん(北京)」の「き」
  【忘暮楼の仮説】 過去の助動詞「き」の連体形の「し」過去の助動詞「き」の「き」
 硬口蓋化 硬口蓋化