2003年4月29日 火曜日
与那原に小波津さんを訪ねる

  せっかくの5連休なのにどこも出かけていない。連休最後の今日は「ゆらてぃく」の小波津さんのお宅を訪ねることにして、愛車で島尻郡与那原町へでかけた。お家でさっそくに三線の持ち方、力の抜き方などを教えてもらったあと、四駆にのせてもらって、小波津家のでっかい破風造りのお墓、ヤマト式の霊園、ヒルギの茂る川にそった美しいデイゴ並木、綱引博物館(残念ながら休館日だった)、部落の聖地である御嶽(うたき)などを回ってもらった後、再びお宅をお邪魔して91歳のお父さんと方言聞き取りや三線を教えてもらう件で懇談、快諾を得た。

 以下、与那原での写真の一部である。

小波津さんのお部屋。小波津さんには「忘暮楼の老馬新聞」の沖縄関係記事の間違いを教えてもらうことが多い。




小波津さんの家のお墓。先祖供養の清明祭(しーみーさい)が終わったところだ。お墓は運玉森(うんたまもり)のふもとにある。

 運玉森は「義賊・運玉義留(うんたまじるー)」が潜んでいた山だという。与那原町教育委員会発行の民話集に小波津さんの父上「運玉義留(うんたまじるー)」の伝説を語っておられた。

運玉森の一帯は沖縄戦の激戦地でもあった。




 お墓からの展望。この写真ではわからないがこの方向が太平洋につながる中城湾に面している。
 米軍は、沖縄戦の最終局面で、首里への包囲を強化するために中城湾に面するここ与那原へ敵前上陸した。そして終戦後は捕虜や収容された住人がここの港から北部の二見へ移送された。

 与那原は渡嘉敷組のホームページに

「沖縄戦の終了直後の 1945年7月、山林に隠れていた中南部の住民や南部で捕虜となった避難民が与那原港から船で二見へ移動させられ、二見の人口は、大きく膨れ上がった。」
と説明されている。


小波津さんの家の墓地のわきに植えられたモクモウの幼木。


成長するとこんなに大きくなる。上の幼木はこのモクモウの種が落ちで育ったものだそうだ。海岸の防風林にもこの木が植えられていた。


小波津さんのビニールハウス。小波津さんはここで数種類、数十本のマンゴーの木を育てている。

 ハウスの中に「シロガシラ」(「野鳥観察写真館」)が数羽飛び回っていた。シロガシラは下の説明にあるように八重山にしかいなかったのだが、1976年から沖縄本島に繁殖し始めたという。非常に美しくさえずるが果実を食するので害鳥扱いである。

シロガシラ

〔白頭〕 Chinese bulbul 【学】Pycnonotus sinensis

 鳥綱スズメ目ヒヨドリ科の鳥。同科シロガシラ属35種中の1種。全長約18センチ。前頭部は黒色、目の後方から後頭に幅広い環状の白帯がある。背はオリーブ色、下面は淡黄緑褐色をしている。中国の長江(揚子江(ようすこう))付近以南、ベトナム北部までに分布し、日本では少数が八重山(やえやま)列島に生息する。これを亜種ヤエヤマシロガシラとよぶ学者もいるが、日本鳥学会はシロガシラとしている。大陸産亜種、台湾産亜種、八重山産亜種の順に小形となる。村落近くの林にすみ、果実や昆虫を食べる。飼い鳥として輸入されたものを飼鳥家仲間はペタコとよぶ。〈坂根 干 小学館「web版日本大百科全書」〉




まだ小さいマンゴーの実。これからだんだん太っていく。熟して機から落ちたものを拾って食するのだそうだ。ねずみが先に賞味してしまうこともあるらしい。