2003年4月10日 木曜日
原爆と天皇

 年金生活者になったので本はなるべく買わないことにした。大学の図書館へ行けば本は腐るほどある。このところを図書館内の探索を日課にしている。

 新規購入図書のコーナーに『GHQ歴史課陳述録 終戦史資料(上)』(原書房2002年)があったのでめくってみた。

 このなかに巣鴨拘禁所での木戸幸一の陳述があった。木戸幸一は天皇と自分がいかに切実に系統的に終戦を志向していたかを証言しようとしているのであるが、GHQ側はGHQ側で、原爆攻撃が終戦を早めたという証言をほしがっていたようだ。そこでGHQが質問する。

原爆の出現が皇族方を非常におびえさせ、それが天皇を刺戟した為、天皇があれから終戦の即時実現に特に熱心に動かされたのだと言う説があるが、之にたいして貴下は如何に思いますか?
天皇の終戦意志の一貫性を強調したい木戸幸一は、言下に「それは全くの憶測です」と切り捨て、原爆の問題で天皇や自分のところへ何かを話にきた皇族は1人もいなかった、と述べた上で、次のような陳述をするのである。
 陛下や私があの原子爆弾に依って得た感じは待ちに待った終戦断行の好機を茲(ここ)に与えられたと云うのであった。
 当時天皇はポツダム宣言を受け入れることで、継戦派が叛乱を起こしかねないと危惧していた。国内の動乱が起きれば終戦は不可能になると考えていたらしい。奇異なことだがこれを軍隊による左翼革命と考えていたのである。それは将兵の消耗を補うために最大限の徴集を進めていたために軍隊内に左翼不純分子が入り込んでいるという妄想を抱いていたからだった。

 木戸はこのような事情を説明した上でこう結論付ける。

 そこへ原子爆弾が出現し国民も軍隊もこんな恐ろしいものが出て来たからには早く終戦しなければならないと思うであろうし、軍部首脳も我々は精神力や作戦で敗けたのではなく科学で負けたのだと云うことになれば降伏の面子も多少は立つようになるだろう。すなわち(天皇の)終戦指導が容れ易くなったのである。これが私どもの考えであった。
 日本軍の乱暴な支配に苦しめられたアジアの人々の中には、米軍の広島に対する原爆攻撃の報に接して、日本への復讐の喜んで万歳を叫んだ人々がいたという。これらの人々には広島の犠牲者への同情などは全くなかった。

 そのころ、天皇や木戸幸一のように、原爆攻撃を「待ちに待った好機」と喜んだ人々が日本国内にもいたのであった。これらの人々にも広島の犠牲者への同情はなかった。


今日は初めて沖縄国際大学「琉球芸能文学研究会」の稽古に出た。学生たちの演奏の巧みさ、声のよさに驚嘆。発声練習、歩く練習(アユミ)のあと三線の練習。三線の持ち方、撥の使い方、イロハから教えてもらった。教えてくれたのは劇団伊良波の若手女優・伊良波さゆきさんであった。写真の右から二人目の人である。