2003年4月9日 金曜日
嘉数護獅子 

 嘉数高台公園には、凄惨を極めた沖縄戦唯一の攻防戦の記念碑がいくつか建てられている。中でも、ここで多くの戦没者を出した京都府が沖縄県人との絆の証として建てた「京都の塔」、あるいは、右翼の大物・世界救世教の松本重明たちが建てた、朝鮮人軍人軍属戦没者の慰霊塔「青丘の塔」などがよく知られている。

 しかし、私がもっとも胸打たれたものは、高台の登山道の脇に立つ大小2基の「嘉数護獅子」像であった。

 展望台への登山道をたどっていくと道のそばに異様な形をした大小二つの動物像が見えてくる。「嘉数護獅子」と書かれている。


 近づいてみると、この動物像は、獅子像の破片を集めて、コンクリートで補ったものであった。


 八八八六の琉歌がしたためられている。「いくさばに なたる かかずたかだいや かたや うしなてぃん さたや ぬくち」、「なた」と「かた」と「さた」が韻を踏んである。
 「戦場になった嘉数高台はもとの形を失ってしまったが、石ころや土くれは残しているよ」ぐらいの意味だろう。
 米軍の砲撃によって、こなごなに破壊された獅子像だが、村の人々は、獅子像の破片を集めて、集めきれない部分はコンクリートで補ってこの像を建てたのだろう。すれっからしの忘暮楼もこの像の前ではこみ上げる涙を抑えきれなかった。
 アメリカはイラクでもまた同じことを繰り返している。


 手元の沖縄民謡の本を見てみると「嘉数高台」(知花英孝作詞・伊波盛徳作曲)という歌が載っていた。そうか、嘉数高台公園展望台の最上階の碑に刻まれていた歌は、この歌だったのだ。

 
  1.  大戦(うふいくさ) 終(う)わてぃ 一昔(ひとんかし)過ぎてぃ
     世界(しけ)に知らりゆる きざし 見(み)してぃ
     ああ 嘉数高台(かかじたかだい…はやし…以下略)

  2.  年(とぅし)や 改(あらた)まて 平和御世(へいわみゆ) 拝(うが)でぃ
     願(にげ)事ん かなてぃ 名 うち出(ん)ぢてぃ

  3.  新た名ゆ 取(と)たる 村人ぬ 手本(てぃふん…「努力」の意か)
     弾(たま)ぬ 雨 降(ふ)たる 戦 偲(しぬ)ぶ

  4.  あまた 御仏(みふとぅき)ん 安安(やしやし)と みそり
     合掌(にげぐとぅ)や とわに 村ぬ 守り

  5.  御嶽(うふたき)や 後(くさ)てぃ 花に 囲まりてぃ
     共に 村 起(う)くち 幾世(いくゆ)迄ん