2003年4月8日 月曜日 | ||||||||
嘉数高台のトーチカ | ||||||||
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読谷村史は 「上陸部隊の主力は、首里の日本軍主陣地をめざして総攻撃を開始した。首里北方の浦添村前田、宜野湾村嘉数の嘉数高台を中心に、一進一退の攻防戦が四〇日間も続いた。この戦闘で日本軍は主戦力の八割を失った。五月下旬、首里は陥落した。牛島司令官は首里を放棄して、島尻の摩文仁へ撤退した。」と書いている。皇軍がまともな「攻防戦」を戦ったのはこの土地だけだったのだ。 嘉数の丘の北側に当時の皇軍のトーチカ(鉄筋コンクリート製の恒久的火器陣地)が残っている。
今日は嘉数高台公園の周囲を11,350歩歩いた。 |
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