2002年12月8日 日曜日
 ペルシャ湾への海上自衛隊派遣 「タンカーを守れ!」

  

 このところ読書力が崩壊し、書斎や居間や寝室に何冊もの読みかけの本がほったらかしにされたままだ。『典範令と日本の戦争』(丸山静雄著 新日本出版社 336ページ 2002年9月15日初版)もその中の一冊。まだ100ページも読めていないのだが、日米開戦記念ということで取り上げておきたい。

 いわゆる有事法制関連三法案、そしてメディア規制三法案が国会に提出されるに及んで、丸山さんは、日本の新しい戦争を阻止するために、ジャーナリストとしてのはっきりした対案がいると考えた。丸山さんが設定した対案は次の三つである。

  1. 戦争法案に対する強い反対の意思を表示すること
  2. ジャーナリズムの権力チェック機能を国家の政策形成過程に集中すること
  3. 「自由」の尊さを知ること
 丸山さんは2の「ジャーナリズムの権力チェック機能を国家の政策形成過程に集中すること」に関して、「政策が形成されたあとでは、これを修正し、あるいは撤回を求めることはほとんど不可能に近い。そうした可能性があるとすれば、政策の煮つまらない形成段階に限られる」と述べている。そのうえで、過去の日本の戦争を振り返り、

 
 戦争は準備されたとき、実質的に始まるにひとしく、途中で中止されることはほとんどなかった。敗れない限り戦争は終わらない。「備えあれば憂いなし」ではなく「備えあれば憂いあり」である。「備える」とは「憂いを呼びこみ」「憂うる事態をつくり出す」ことであった。

 と警鐘を鳴らしている。アメリカの膨大な軍事力は「備えあれば憂いあり」の典型であるが、日本のイージス艦もそのような種類の「備え」であることが誰にもわかるようになった。

  いったんAという戦争政策が形成されると、「BなくしてAなし」、「CなくしてBなし」「DなくしてCなし」と新しい戦争政策が次々と打ち出されてくる。

 
 ビルマ作戦は当初、ラングーン攻略(1942年3月)で鉾をおさめるものと思われたが、ラングーンを攻略すると、全ビルマの平定なしには南部ビルマの安定はありえないと、「北伐作戦」が開始され、全ビルマを占領すると(5月)、アッサムの確保なしにはビルマの安定は成り立ちえないと、インド侵攻作戦(インパール作戦)が構想された(実施1944年3月--)。

 昨日は、石破防衛庁長官が海上自衛隊をペルシャ湾に派遣して、日本のタンカーの安全を確保するといい始めた。ペルシャ湾のタンカーの安全なくして日本経済の安定なし、というのである。丸山さんの「戦争は準備されたとき、実質的に始まるにひとしく、途中で中止されることはほとんどなかった」という指摘は日本の軍事行動の今後を予言しているのであろうか。南海放送ニュースは次のように報道している。

 
  石破防衛庁長官は日本テレビのCS放送に出演しアメリカがイラク攻撃を行った場合、ペルシャ湾周辺を航行する日本のタンカーの安全確保のために海上自衛隊の出動を検討する必要があるという考えを示しました。石破長官はイラク攻撃で、ペルシャ湾を航行する日本のタンカーに危険が及ぶ場合、海上警備行動を発令して自衛隊がタンカーを守ることは今の法律で可能であり検討することは必要だと述べました。海上警備行動は海上の安全を確保するため特別な必要があるときに防衛庁長官が海上自衛隊に出動を命じるというもので過去、99年3月の能登半島沖の不審船騒ぎの際、初めて発令されました。防衛庁長官がイラク攻撃への対応をめぐり海上警備行動を発令する可能性を示したのは初めてのことで、自衛隊の活動範囲をめぐり今後も議論になりそうです。