2002年11月20日 水曜日
政治と「家族」 

 日本を戦争のできる国に戻すこと、これが日本の戦後政治の目標であるが、戦争ができる国を作るということは、「家族」のもっとも元気な成員を引き抜き、死なせるシステムを構築するということである。つまり政治は「家族」の絆を白眼視する。

 戦争に限らない。年金支給年齢の延長、医療費負担の増大、公務員給料の引き下げ、現今の政治のテーマは、すべて「家族」の利益に対立する。要するに戦後政治の目標は「家族」の幸福の対極にあるのである。

 しかし、振り返ってみると、「家族」の集団が政治の流れを変えたことがあった。戦没者の遺族会の靖国神社国家護持運動である。この運動はいまだその目標を達成してはいないが小泉首相をはじめとする大部分の政治家たちに大きな影響を与えている。

 「家族」というものは家庭の中で完結する関係であるから、当然「非外交」である。したがって「家族」の利益で政治を展開すると、内政はともかく、「外交」関係においては他国の「家族」の思いと軋轢を起こすことがある。小泉首相が外国の反応を慮って、靖国参拝の日取りをあれこれと設定しなければならないのも、この「家族」と「外交」の関係からきているともいえるのである。

 政治が珍しく戦没者遺族という「家族」の靖国神社国家護持の願いに耳を傾けたのは、それが日本の政治の目標である戦争のできる国づくりに合致するからであった。政治が「家族」も擦り寄るときはよほどの政治的利益があるときに限るのである。

 そこで、私が気になっていることはもうわかってしまっただろう。日本人拉致問題に見られる政治と「家族」の昨今の「蜜月関係」のことである。

 「子どもを日本に返せ」というのは「家族」の要求としては当然過ぎるといえよう。しかしこの要求を外交上の要求として取り上げれば、交渉は袋小路に追い込まれるしかないであろう。つまり、「子どもを日本に返す約束がなければ交渉に入れない」という主張は、日朝の国交樹立を頓挫させるためにのみ有効なのである。この要求を前面に押し出している日本政府のねらいは案外このあたりにあるのだろうか、と推察したくなるほどである。。

 家族には家族の要求があって当然だが、外交にはまた外交としての要求があって当然なのである。日本政府は、朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)政府に、その犯罪行為の代償としてとりあえずはひとさらい事件の被害者たちに日朝往来の自由を保障させるべきである。前にも述べたように複雑な人間関係が絡んでいる拉致事件の解決し、本来の仕事である国交樹立の協議を具体的に進めるためにはこの点が最重点だと思っている。