2002年11月7日 曜日
原状回復は不可能。渡航の自由を保障させることが先決だ。

 朝鮮の特殊機関によって引き起こされたひとさらい事件はどうすれば解決されたことになるのだろうか。  

ひとさらい事件当時、被害者たちはみな独身であったし、当然、被害者が日本人であることは自明であった。万が一、24年後の今日も被害者たちのこのような状況が事件当時のままであったならば、事件の解決は、本人たちを取り戻し、朝鮮政府に謝罪させ、補償させることで一応の結末をみることになるのであろうが、24年という年月は、当然のことであるが、被害者たちの状況を大きく変化させた。

 被害者の家族の立場では「原状回復」が最大の願いであるわけだが、現状では、文字通りの「原状回復」ではかえってまた新しい不幸を生んでしまいそうである。

このような変化の要因の第一は、被害者や被害者の家族たちのアイデンティティが多様化していることである。すなわち、

 
 被害者たちが深い絶望の果てに、不本意ながら朝鮮で生きる決心をし、かの地の人々と同じ価値観に基づく人生をおくるために努力を重ねてきたこと
 その結果、現在では、被害者たちはそれぞれに家庭を持ち、子供を育て、朝鮮社会でいう幸せな暮らしをおくっていること
 さらに、朝鮮で生きていくための方便として、被害者たちが自分が日本人であることを子供たちに匿して生活していること
 被害者の子供たちがは、自分が朝鮮人であることを自明のこととして生きてきたこと
 被害者の親・兄弟は、ひとさらい事件によって押し付けられた子供たちの新しい生活の不当性を主張しつづけ、日本政府に対し、ひとさらい事件の公認と原状回復の実現を求めて続けてきたこと
 
  などである。

 なお、被害者たちの朝鮮での暮らしを語るときに「洗脳 brain-washing」といった政治的用語は用いるべきではない。被害者たちの苦悩の中の選択は、おかれた状況の中での立派な主体的選択としてみるべきと思う。このような不本意な主体的選択は人間なれば誰でもやってきたことだし、その適応力が人間であることの証(人間固有の能力)であるわけだ。
 被害者の一人が、「さらわれたのだから日本に帰るのが当然だ」と説得する友人に「そうすると、自分の24年間は無意味だったというのか」と反問していたのが印象的だった。無意味であるはずはない。

 このようにして、事件解決に主体的にかかわる人々が事件当時よりうんと増えており、それぞれの立場が多様化している。  

 こうした立場の多様化は、被害者たちの結婚によって生み出された。被害者たちの結婚もさまざまであった。

日本人被害者同士の結婚
日本人女性被害者と元米軍脱走兵との結婚
日本人女性被害者と朝鮮人男性との結婚
 日本人同士の結婚の場合の永住帰国は、朝鮮にいる子供たちの意思をどうやって汲み取るかが課題となる。子供の説得は被害者夫婦でなければかなうまい。問題は被害者夫婦と朝鮮にいる子供との再会をどう実現するか、ということである。  
   
1)そのための方法の第一は朝鮮政府が被害者の子供たちに、君たちの親は「われわれ」によって拉致された日本人であり君たちも日本人なのだ、ということを、丁寧に説明し、「永住帰国」か「一時帰国」するよう説得し、日本で両親と再会して今後の方針を相談できるように取り計らうことである。あるいは、朝鮮政府が、子供に詳しい事情を知らさないまま、親の「日本旅行」に合流させる、というやり方も可能かもしれない。
2)第二の方法は、朝鮮政府が子供に対するこのような説明や説得を日本政府の役人に委任することである。
3)朝鮮政府がこのどちらかに同意しない場合は、被害者夫婦がもう一度親元を離れて朝鮮に入り、子供と直接面談するほかなくなる。これは外務省の最初の方針に戻ることになる。その場合は、被害者の渡航の自由の保証が絶対の条件である。

 元米軍脱走兵との結婚の場合はどうか。この場合、今後の身の振り方については、まずは朝鮮にいる夫との話し合いが必要となるが、この人物が妻との話し合いのために日本に渡った場合、こんどは米国の軍事裁判が待っている。日本政府も米国に特別の取り計らいを求めているらしいが軍人としては重罪を犯しているので朗報の期待は難しそうである。とすれば、事態の解決のためには妻のほうが朝鮮へ渡るしかないであろう。「こどもを返せ」は当面の要求としてはなりたたないケースである。被害者やその家族の渡航の自由が保証されることだけが、解決への道筋であろう。

 朝鮮人の夫を持つ場合がもっとも難しそうである。被害者の子供をその父親である朝鮮人から切り離すなどはよ、親や子のよほどの決心が無ければありえないことであろう。この場合も日本にいる被害者の親・兄弟姉妹を含めた被害者の家族の渡航の自由なしには最低限の解決にも到達できないであろう。

昨今の政府やマスコミの論調は、被害者家族の希望の尊重を根拠に、「こどもを日本に返す」という点だけを前面に押し出して交渉にあたろうとしている。一部の被害者の父母においてはこの要求がもっとも切実な願いであることは疑いない。(ただし、この要求では、朝鮮にいる子どもの主体性の尊重というもうひとつの重要問題がなおざりにされている)。  
 しかし、ここまでみてくると、被害者全体の問題解決のために、当面最大の課題となっていることは、こどもを取り返すことではなく、被害者家族の渡航の自由の実現にあると思われる。子どもの問題も、被害者やその家族の自由な相互訪問を重ねる中でもっとも妥当な解決を見るに至るのではないだろうか。