2002年10月19日 土曜日
ノート 朝鮮(DPRK)の略歴

 朝鮮労働党の南北統一関連の主な動きを拾っておこう。米朝合意における朝鮮の核兵器製造中止表明は金正日がはじめて交わした国際的約束だった。それが実はまったくの空証文であったわけだ。金正日はその後も平然と核兵器製造事業を継続していたのだった。そういう人物なのである。

1950年6月25日朝鮮(DPRK)、武力統一を展望して全面南侵開始。韓国が北侵したと大ウソをつきながら戦いを進めた。
1953年7月27日朝鮮(DPRK)、何の成果も得られず休戦協定調印
1968年1月21日ソウルに朝鮮(DPRK)武装ゲリラ31名が侵入、ゲリラ28名を射殺、1名を逮捕。韓国側の軍・警察・市民34名が死亡。
1968年11月4日朝鮮(DPRK)、武装ゲリラ約120名を韓国東海岸に投入するが、掃討され失敗(この結果、軍幹部が粛清)
1970年金正日が、これまでになされた対南工作活動を総点検、これからは自分が直接それを掌握してやると発言した。
1970年3月31日赤軍メンバーがよど号をハイジャック。朝鮮(DPRK)、赤軍派犯人を受けいれ、破格の待遇。
1972年7月4日南北共同声明発表。外部勢力に依存せず、武力によらず、思想・制度を超えて、民族的大同団結をはかる、とした。
1970年代初め頃朝鮮労働党が「日本共産党との関係の清算・日本社会党との提携へ転換」に踏み切る。
1974年8月15日ソウルで文世光(ムンセガン)(在日韓国人)が朴大統領暗殺を狙ったが、流れ弾で夫人が射殺された。
1970年代後半朝鮮(DPRK)特殊機関による日本人誘拐事件が続発する。
1983年10月ビルマを公式訪問中の韓国チョン・ドゥファン大統領一行がラングーン市内で爆弾テロにあう。11月4日、ビルマ政府は、ラングーン爆弾テロ事件は朝鮮(DPRK)工作員の犯行と断定、朝鮮と断交、国家承認を取り消す。
1987年11月29日バクダット発アブダビ経由ソウル行大韓航空機、ビルマ付近で消息を絶つ。1988年1月15日韓国国家安全企画部、大韓航空事件の捜査結果として、朝鮮による爆弾テロと発表。金賢姫記者会見で犯行を全面的に認める。
1994年7月2日南北首脳会談の手続きに関する合意書に調印
1994年7月8日金日成主席死去、82歳。(金正日52歳)
1994年8月12日米朝会談で4項目の合意声明発表。@朝鮮(DPRK)側は軽水炉への転換用意表明A外交代表部相互設置B米の核不使用干保証C朝鮮側の核拡散防止条約残留、査察履行の用意表明。