2002年10月12日 土曜日
今日の葬式の原形

 

  小学生の頃だっただろうか、母方の祖父の葬式があった。昔ながらの葬式だった。私も野辺送りの行列に「杖」だったろうか、「草履」だったろうか、なにか葬具を持たされて歩いた記憶がある。葬儀は家の隣の広場で執り行われた。弔辞や菊の花の祭壇はかかったと思う。しょぼくれた葬式で、今日の葬式のような晴れがましさはなかった。

 『さまよえる英霊たち』(田中丸勝彦著 柏書房)によると、今日葬儀社が執り行う一般的な葬儀形式は英霊(戦没者)の葬儀に端を発しているという。日露戦争のころになって英霊の葬儀の形が整ってきた。

英霊の公葬は遺体のない葬式、もしくは火葬骨の葬式であった。華やかな晴れがましい公葬は、それまでの在来の喪葬を一変させ、今日の葬儀につながることになる。(117ページ)
 

田中丸氏は、英霊の公葬が在来の葬式と異なっている点を以下のように挙げ、これらの形式が今日まで引き継がれていることを指摘している。(52ページ)。

  1. 参加者の変化(「参加者が増え」、「親族のほか、在郷軍人会・村の役職者・役場の職員・教員・学童・国防婦人会などで、『猫の端まで一人残らず』参加した。」)

  2. 葬装の範囲(式服・リボン・腕章などの葬装をする参加者が一般にまで広がった。)

  3. 逆縁の無視(「逆縁でありながら、父母や祖父母なども参列した」)

  4. 葬儀の執り行われる時間の変化(在来の葬式では「午後、それも夕方近くに行われていたオクリ(出棺)」が「まだ日も高い正午頃」行われるようになった。)

  5. 葬儀場所の変化(在来の葬式が行われていた「故人の家の庭先」ではなく、小学校の校庭や広場など「公共の場所」に移った。)

  6. 遺影写真の有無(「大きく引き伸ばされた遺影」が飾られるようになった)

  7. 弔辞・弔電(「たくさんの弔辞や弔電」寄せられるようになった。)

 そのほか、流し読みしたため再確認できなかったが「菊の花の飾られた祭壇」も天皇の忠霊であることから始まったとの指摘もあったと思う。

 戦争文化が無意識のなかで継承されている事例は少なくないが、葬式がその一つであるとの指摘には驚かされた。さらに、先日の三好曲先生の句碑除幕式の式次第にも、英霊の公葬の形式が色濃く残されていたことも、驚きつつ思い出している。また、英霊公葬の形式は今日の結婚式のそれにも深い影響を及ぼしているのであった。

 田中丸氏は2000年に死去されたが、無宗教を貫かれた。葬儀は散骨葬だそうだ。