2002年 8月 12日 月曜日

占領軍が日本国憲法案を押し付けた理由


 ちょっと古い本だが、『国民の歴史』(西尾幹二)に対する歴史学者たちの批判書『徹底批判 <国民の歴史>』(「教科書に真実と自由を」連絡会編 大月書店 2000年5月)というのがある。その第14章「日本憲法はなぜ定着したか」(伊藤悟氏 成蹊中学高等学校教諭)に、なぜ日本国民に日本国憲法が<押し付けられた>のか、が論じられている。

伊藤氏は

 
事実の問題として憲法が占領軍の手でつくられ、それが日本政府に「押しつけられた」ことは否定しようがない。そして「押しつけられた」憲法は、西尾氏が口をきわめて非難するようにアメリカ的な価値に基づき、アメリカの利害を反映したものであることもその通りである。
とした上で、
 
憲法が「押しつけられた」最大の原因、責任が誰にあるかといえば、それはポツダム宣言を受諾した天皇および大日本帝国にある。
主張する。私もこの論点に賛同する。

 

 その論点を整理するとこうなると思う。

  1. 天皇が、米、英、華三国が1945年7月26日ポツダムで日本に対する宣言に署名する以前に降伏していれば、同じ敗戦という結果であっても、戦後の憲法は今のものとは違っていたかもしれないし、憲法改正そのものがなかったかもしれない。

  2. しかし、天皇は「国体護持」の保障をえられるまでは戦争を継続しようとした。

  3. そこで、米英中3国は日本に対する最終戦、日本国軍隊の完全なる破壊、日本の国土の完全な破壊を決意した。

  4. 米英中三国は、日本に対する総攻撃開始直前の7月26日、日本に終戦の機会を与えるためにポツダム宣言受諾を求めた。

  5. 【参考 boboro】ポツダム宣言の要点は

    • 日本の支配者は日本国民のだまして世界征服という誤った行為に駆り立てた。これらの支配者から権力を奪いその勢力を排除せよ。(第6項)

    • 連合国はこの文書で指示する基本的目的の達成を確保するために日本を占領する。(第7項)

    • 日本国の領土はおおむね日清戦争以前のそれに戻す。(第8項)

    • 日本国軍隊は完全に武装を解除する。

    • 日本国軍隊の将兵は復員後、各自の家庭に復帰し平和的かつ生産的な生活を営なむ機会をあたえられなければならない(第9項)

    • 連合国の俘虜を虐待した者を含む一切の戦争犯罪人に対しては厳重な処罰がくわえられなければならない(第10項前段)

    • 日本国政府は日本国国民の間における民主主義的傾向の復活強化にたいするすべての障害を取り除かなければならない(第10項中段)

    • 日本国政府は言論、宗教及思想の自由ならびに基本的人権の尊重を確立しなければない(第10項後段)

    • 日本国に戦争のための再軍備をさせうる産業は許されない(第11項)

    • 日本国政府がただちに全日本国軍隊の無条件降伏を宣言しかつ、その宣言を誠実に遵守せよ。ただちに無条件降伏をしないならば日本国の迅速かつ完全な壊滅があるだけである。

  6. 【参考 boboro】
    ○8月9日のソ連参戦を直面し、9日夜から10日にかけて開催された御前会議は「国体護持」を条件にポツダム宣言受諾を決定した。
    ○8月12日アメリカは、日本側の条件の証人を暗にほのめかす回答を送ってきた。
    ○陸軍を中心に、アメリカの回答が曖昧だとして、本土決戦が主張された。

  7. しかし、8月14日の御前会議で、天皇は、ポツダム宣言受諾を決定をした。この決定は「天皇の聖断」と称された。「聖断」の内容は、単なる無条件降伏・終戦の決定として扱われることが多いが、ポツダム宣言の実現のために、憲法改正を含めた戦後改革を実行することを米英中連合国に契約したことを意味する。

  8. そこで連合軍は戦争を終結し、ポツダム宣言の実行を監視するために日本を占領した。

  9. しかし、日本側が用意した憲法改正案は、日本共産党の改正案以外は、政府案も民間案も大日本憲法の部分的修正にすぎず、ポツダム宣言の求める改革には程遠いものであった。

  10. そこで占領軍は、ポツダム宣言を履行し得る憲法を実現するために改憲作業に介入した。この介入によって生まれたのが新憲法であった。

  11. したがって、押し付け憲法をもたらした最大野責任者は天皇及び大日本帝国であった。