2002年 5月 18日 土曜日

粛々と


 中国瀋陽の日本領事館による亡命拒絶事件。どことなく芥川龍之介の「蜘蛛の糸」に似た事件だった。

 5人の朝鮮(DPRK)人家族が自由の国につながる「蜘蛛の糸」にしがみついた。しがみついた「蜘蛛の糸」が悪かった。はるか上のほうをよじ登っている男が「大泥棒カンダタ」ならぬ「粛々と」仕事をするめる日本政府の外交官だったからだ。 「粛々と」は周囲の雑音に耳を貸したくないときの常套語である。

  • 「粛々と予算審議にあたるのみだ」
  • 「私どもは計画を粛々と進めるだけです」

 1988年7月23日の自衛隊潜水艦「なだしお」の衝突事故の際も自衛隊側は積極的な救助活動をしなかった。30人死亡。

 1901年2月10日の米原潜による「愛媛丸」衝突事故でも米原潜は救助活動をしなかった。9名死亡。愛媛丸の大西船長の説明である。

 
米原潜の事故後の行動は「(衝突後)しばらく通り過ぎたように見えた後、反転し、停泊していた。司令塔に人が見え、縄ばしごは下ろしたが、救助された人はいない」と説明。「波は(原潜に)打ち上がっておらず、ゴムボートを下ろしてくれるのかなと思ったが、ただ、監視していただけだった」とやるせない表情で語った。

 権力者たちは

 
「こら、罪人ども。この蜘蛛の糸は己(おれ)のものだぞ。お前たちは一体誰に尋(き)いて、のぼって来た。下りろ。下りろ。」

 

『蜘蛛の糸』から
と叫ぶのである。

 大泥棒カンダタは再び地獄に落ちていったがこの外交官たちはどうなるか。
 5名の亡命希望者たちの願いがかなうことを祈りたい。