2002年 5月 5日 月曜日 子どもの日

沖縄第2日目 その1 昇華之碑


 昨夜は民謡酒場「島思い」で飲み過ぎた。どうも頭が重い。それでも朝飯を食っていざ出発。イスノキの並木の美しい「国際通り」経由で本日のお宿「八汐莊」を訪ね、荷物を預ける。

 国際通りの「松尾」バス停でバス待ちをしながらずっと「白雲節」を歌う。実は、今回の旅行の成果の1つであるが、機中で「工工四(サンシンの楽譜)」を見ながら試みているうちに、急に「白雲節」が歌えるようになったのだ。こんなときは忘れないうちにしっかり歌いこむに限る。「白雲のように見えるあの島へ飛んで渡りたい 羽根があるなら」、恋歌である。昨日は大城美佐子先生の「錦糸の声」でこの唄を聞いたのだった。

 バスの到着時間はそうとうアバウトである。やっと姿を現した98番バスに乗る。20分もすると「沖縄国際大学前」に到着。大学構内を30分ほどかけて見学する。「国際大学」だけあって外国の大学との交流があるようだが、韓国は「韓南大学」だった。韓南大学には住友別子銅山の朝鮮人戦時動員の現地調査でお世話になった金照年(キムジョニョン)教授がおられる。なにかの機会に再会が実現するかもしれない。

 「老人学」の講座もある。こんな講座も出てみたいなあ。若い人たちと「老い」について意見を交わすのも面白そうだ。

 沖縄国際大学のキャンパスは米軍の普天間飛行場に隣接している。大学を出て普天間飛行場を見物しながら丘を下る。佐真下公園に入ってさらに道を下りきったあたりに小さな杜(もり)があった。杜は広場を抱いている。

 木陰の広場の正面に「昇華之碑」と書かれた石柱が建てられている。「英霊之碑」でも「忠霊之碑」でもないが、「昇華之碑」に「戦没者名簿」がしたためられているからには、沖縄戦で戦死ないし戦病死した兵士を祭る碑なのであろう。しかし、その名簿をみると、女性の名前が多い。家族と思しき同姓の男女の連名がある。

 先日の靖国関係の集会で沖縄の報告があった。そのとき、沖縄では、県民が皇軍兵の命令で集団自爆した場合は戦死者として扱われた、という話をきいた。この碑もそのような悲劇の記録なのではなかろうか。広場の隅には洞穴が黒く口を開けている。ここも防空壕に使われたのではなかろうか。いつか地元の人の話を伺ってみたいものだ。

 この杜も普天間基地に隣接していた。