2002年 3月 18日 月曜日

朝鮮(DPRK)の有本さん拉致の経過


朝鮮(DPRK)政府による有本さん拉致事件の経過を整理しておく。

 なお拉致事件史の詳細は救う会全国協議会ニュース(2002.3.22)に掲載された「北朝鮮・拉致事件関連年表」 (作成/藤岡広之 平成14年3月18日)で知ることが出来ます。

 
1978(昭和53)年末 24年前。平壤郊外にあった「日本革命村」で「よど号」グループの会合。。田宮高麿・最高幹部(故人)が日本を「金日成主義」化するための活動として、「党創建準備委員会」設立、日本での革命の「指導中枢」となる日本人の発掘・獲得・育成のため条件のある日本人を朝鮮(DPRK)に連れてくることを決めた。
1980(昭和55)年6月ころ  もと日大生Nさん(男性・当時22歳)スペインで失踪。失踪直前のスペインの動物園での写真にはよど号の妻たちが一緒に写っていた。
1982(昭和57)年4月 
有本さん23歳 
※以下年齢は有本さんの満年齢
2年後。有本恵子さん、英国留学のため出国。
1983(昭和58)年 24歳 八尾証人らが田宮最高幹部らから「ロンドンに行って、日本人の指導中枢を発掘・獲得してきてほしい。特に25歳ぐらいまでの若い女性がいい。何人でもいい」。それまでに獲得した男性数人の「結婚させる相手としての女性がいい」。

八尾証人らロンドンに渡る。

5月、八尾証人、ロンドンで、語学留学を終えて帰国する予定になっていた有本さん(当時24歳)に近づき説得。

7月、有本さん、モスクワ経由で朝鮮(DPRK)へ連れ去られる。

10月中旬、有本さん、デンマークのコペンハーゲンからの手紙を最後に消息を絶つ。

1984(昭和59)年 25歳 
1985(昭和60)年 26歳 
1986(昭和61)年 27歳 
1987(昭和62)年 28歳「有本恵子さん拉致(らち)事件への関与を法廷で証言したよど号メンバーの元妻、八尾恵証人(46)が、よど号グループからの指示を受け、1987年の帰国後、防衛大学校(神奈川県横須賀市)の学生を対象に、グループへの協力者を育成する工作を進めていたことが分かった。八尾証人は学生と接触しやすいよう、同市内でスナックを経営していたが、88年5月、神奈川県警に逮捕され、工作活動は失敗に終わった。警視庁公安部は、八尾証人から改めて事情を聞くなどして、よど号グループが進めていた国内活動の実態も解明する。

  調べによると、八尾証人は、よど号グループリーダーの田宮高麿幹部(故人)からの指示で、87年に日本に帰国。防衛大学の学生と接近するため、横須賀市内にスナックを開いた。日本で革命を起こすために、自衛隊に活動家を送り込むことが必要だとして、防衛大学の学生の「獲得」「育成」を狙っていた。客として来店する防衛大の学生などとの接触は成功したが、88年5月にアパートを借りる際に偽名を使ったとして神奈川県警に逮捕され、計画は失敗した。」 (新聞報道)

1988(昭和63)年9月 29歳 スペインで失踪したNさんから北海道の自宅に手紙(高沢皓司「宿命(新潮文庫)」所載)が届いた。「有本恵子君らも一緒にいる」などと書かれ、有本さんや幼児の写真も同封されていた。
1989(昭和64)年 30歳 
1990(平成2)年 31歳 
1991(平成3)年 32歳 
1992(平成4)年 33歳 
1993(平成5)年 34歳 
1994(平成6)年 35歳 
1995(平成7)年夏 36歳兵庫県警外事課の捜査員が有本さんの自宅に一枚の写真をもって訪れた。外国の空港。搭乗ロビーに座る有本さんの横に北朝鮮工作員キム・ユーチョルが写っている。
1996(平成8)年 37歳 
1997(平成9)年 38歳 
1998(平成10)年 39歳 
1999(平成11)年 40歳 
2000(平成12)年 41歳 
2002(平成13)年 42歳 
2002(平成14)年3月12日 43歳八尾証人(46歳)東京地裁公判で有本さん拉致の事実を証言。