2002年 月日 曜日b>

アフガンと沖縄


沖縄の「NEW平和市民連絡会」のサイトの「あの日あの時」を読んでいてビックリした。アメリカ軍がアフガン山岳地帯で洞窟に潜むアルカイダに対して進めてきた残虐な殲滅作戦は、かつて同じアメリカ軍が沖縄の「ガマ」や「亀甲墓」で繰り広げらた殲滅作戦で経験済みだったのだ。次は「NEW平和市民の会」ホームページの文章からの引用です。

 

 1945年6月13日 「沖縄県民かく戦へり。県民に対し後世特別のご高配を賜らんことを」と唯一、沖縄県民に配慮を示した軍人、大田実司令官、豊見城の海軍指令壕にて自決。
 【その後の戦闘】米軍はひとつひとつのガマ(洞窟)や墓(沖縄の墓は大きくて人が隠れられる)を潰していった。壕や穴の上で投降を呼びかけ、応じないと火炎放射器で焼き払ったり、爆弾を落として皆殺しにした。(馬乗り攻撃)

 忘暮楼は先日のサンシン・デビューで「屋嘉節」を準備していた。時間の関係で演奏を割愛したのだが、歌詞の意味が理解できないでいた。それも同じサイトの「島唄に見る沖縄」で氷解した。たとえば次のくだり。

 

愛するあなたは石川村の茅葺の長屋で住んでいるが、おれは屋嘉村の砂地を枕にして寝ているよ

んぞや いしちゃむら かやぶちぬ ながや
わんや やかむらぬ しなぢ まくら
 アメリカは沖縄戦終了後、この金武町屋嘉に捕虜収用所を作った。この青年は浜辺につくられた収容所のテントに放り込まれていたのだった。「屋嘉節」はこの収容所で生まれた唄だそうだ。詳しくは→ここ


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