2010年7月12日 月曜日


6:30 テレビで選挙結果を見る。民主党は菅代表の消費税10%発言のせいか大敗北。自民党が健闘したが過半数には遠い。共産党は地方区での唯一の議席を落として3議席になった。素人目には、どうにもならない日本の政治情勢だが・・・。

8:00 ゲゲゲの女房

8:30 朝食

9:00~11:00
mixiに昨日の日記を書く。今日は老人施設訪問の日、「うみ」「たなばたさま」「茶摘」のギター伴奏の練習。しかし、今日の激しい雨のせいか「あったかデイケア」へ出かけてくる人が一人だけだそうで訪問はお休みになった。

11:00~12:20 読書「日本の歴史03 大王から天皇へ」に入る。

12:30 昼食

13:00 30分の昼寝

13:30~15:15 読書つづき

15:15~15:45 妻が小野川の流れ方がすごいというので、漢那家訪問をかねて車で出かける。閉店した「めんそーれ」の泡盛と、大洲の木原さんからいただいた野菜のおすそ分けともって漢那さんを訪問。
妻が言ってたとおり小野川の水の流れがすごい勢いだった。

「はぐれ刑事」を見る。

17:00~18:30 「日本の歴史03 第一章列島と半島と大陸」読了。韓国の黄義道さんに資料入手お願いのメールをだした。松原さんに、「住友別子銅山で・・・」についてのある人からの質問への回答をお願いした。他人に頼ることが多いなあ。

19:00 夕食

20:00 寝室へ

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今日の食事
朝食 ごはん とまと かぼちゃのスープ
昼食 ごはん すき焼き風にもの(うまい) キムチ
夕食 ごはん 餃子 ポテトサラダ すき焼き風にもの
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「日本の歴史03 大王から天皇へ」熊谷公男著 

第1章 列島と半島と大陸ーー東アジア世界の中の倭国

1 ヤマトとカラをつなぐ道
2 半島の動乱と倭王権の発展
3 渡来人の来住と列島の技術革新

○関明氏の見解
「彼ら(広開土王の圧力から逃れるべく半島から日本へ渡来してきた人々)がその時その時に日本に持ち込んだ技術や知識や文物は、当時の日本のものに比べて、桁違いに進んだ高度のものであった。・・・われわれは、だれでも古代の帰化人たちの血を10%や20%は受けていると考えなければならない。われわれの祖先が帰化人を同化したというような言い方がよく行われるけれども、そうではなくて、帰化人はわれわれの祖先なのである。彼らのした仕事は日本人のためにした仕事でははくて、日本人がしたことなのである。」

○『古事記』によれば、応神朝に渡来した和邇吉師(わにきし)は『論語』と『千字文』をわが国にもららしたというが、『千字文』が成立するのは6世紀のことであり、明らかに矛盾する。

○「このように須恵器誕生の契機となったのは、400年前後に渡来した第一波の渡来人たちが持ち込んだ技術とみることが妥当と考えられる」。「須恵器の生産に従事した渡来人たちは、新しい生活スタイルを列島に持ち込んだ。竪穴住居内に竃(カマド)を備え、そこに長胴の甕(カメ)や把手の付いた鍋をすえて使用し、甕にはさらに甑(コシキ)を入れ子状に吸えて蒸し器として用いた。--これらの土器も、これまで列島には全くなかったものばかりである。」
「また五世紀初頭には、半島から馬と馬具がもたらされ、列島で乗馬の風習が広まっていくーーー列島には四世紀代まで馬がいなかったのである。」

○この時期のヤマトとカラの間の交流には決定的に異なることがあった。それは、カラからヤマトへ流入した文物は、カマドや須恵器、あるいは馬・馬具のように、すっかり列島医根付き、列島文化の血肉になっていったものが数多くあるのに対して、逆にヤマトからカラにわたった文物で、半島文化に根付き、その血肉になったものは皆無に等しいということである。

○五世紀は、列島社会の変革の世紀でもあったのである。