2010年7月3日 土曜日


7月3日の日記

4:27 起床

4:30~6:15 散歩 ラジオでサッカーのウルグァイ・ガーナ戦を聞く。ウルグァイが勝ってアジア勢についでアフリカ勢も姿を消した。アフリカの人たちは残念だろうな。

7:00 朝食

「ゲゲゲの女房」を見る。貸本屋一家が引越し、ひと段落だ。

8:00~10:30 昨日の日記を書く。

10:30~11:40 「日本の歴史02 王権誕生」(寺沢薫著)に入る。

妻は教育会館へ行く。「植民地朝鮮と愛媛の人々」の原稿読み合わせだ。今日は私が訳した三人の論文を取り上げてもらった。

12:15 昼食

雨が強く振る。雷がしきりになり響く。恐ろしい転機である。

14:00~16:00 フクと昼寝。フクはベッドの端っこに上手に寝ている。

妻が帰宅して、点検の結果を聞く。結構不備があったようだ。それにしてもこのように事前に指摘してもらうと助かる。あしたかあさってもう一度見せてもらって修正しよう。

19:00~19:20 夕食

20:00 床に入る。21:00頃就寝。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
今日の食事
朝食 ごはん 蕗とたけのこ アサリのスープ
   妻外出のあと腹が減ってジャガイモを三個ゆでて食った。
昼食 ごはん ニワトリの肉料理 みそ汁
夕食 ごはん レタスのおひたし もろきゅう(キウリと味噌)
   ふきの煮物

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
今日の読書

日本の歴史02 王権誕生 寺沢薫
012p~097p

すこしだけ記録を残しておこう。

○渡来人がもたらしたもの 三つ
1、金属器 2、無文土器(朝鮮半島南部のそれにそっくり)
3、支石墓 4、環濠と二本柱竪穴住宅

○初期の縄文人と弥生人の関係 51ページ
「両者の関係は至って平和共存的だったといってよいだろう。・・・渡来人や渡来系の弥生人は、実に巧妙に西日本の縄文人の社会入り込んでいったのだ。縄文晩期末の突帯文系土器の壷棺墓地に弥生土器の壷棺を埋葬した例もみられる。こうして、渡来系の弥生人は次第に縄文人のムラにも入り込み、縄文人はしだいに弥生人への同化していったのである。

伊勢湾以東はちがう
○「ところが、水田稲作の要素や遠賀川時の伝播が寸断された伊勢湾東岸以東は違う。濃尾平野では縄文系の条痕文時を使う遺跡と遠賀川系時を使う遺跡の住み分け状態が明瞭だ。」

●遠賀川式土器(おんががわしきどき) 西日本に分布する弥生時代前期土器の総称。段を持つ壺、口縁部が外反する甕(かめ)、それと少量の高坏(たかつき)からなり、壺の胴部に山形文や重弧文(じゅうこもん)などの文様が描かれるのも特徴である。西日本一帯にほぼ似た特徴が見られることから、急速に伝播した土器と理解されるが、その一方で地域による違いも存在し、成立過程に多元説も存在する。もともと伊勢湾沿岸までの分布が考えられていたが、東北地方でも水稲耕作の証拠とともに似たものが見つかっており、水稲耕作の伝播を象徴する土器として知られている。(宮地聡一郎)

どんぐりの利用
○「弥生遺跡から出土する、植物性食料の遺体を遺跡の出gんりつでみると、予想に反してコメは二位、そのトップが、縄文時代から利用されているカシやシイなどの自然の恵みのドングリだった。」