2010年6月7日 月曜日


5:15 起床 雨が降っているので散歩は止め


5:45~7:10 昨日の日記を書く


お風呂に入る


8:45~9:00過ぎ 朝食


10:00~12:00 『梶村秀樹著作集 第1巻』


14:00~15:00 昼寝


15:00~18:00 二階でサンシン練習 一階でテレビなど 
今日は「潮来笠」をすこしと「石狩川悲歌」を練習した


18:30~18:50 夕食
その後二階へ上がって今日の日記を書く


今日の食事
朝 ごはん コロッケ(昨日ののこり) 
  キウリとブロッコリ(「ブロッコリ」が今日は出た)
昼 焼き飯 スープ
夜 ごはん 自製ゴーヤーチャンプルー(これも出た) 
 


本日の読書

『梶村秀樹著作集 第1巻』

「朝鮮からみた明治維新」1980
・私のジレンマ
「松陰自身が『善く国を保つものはいたずらにその有るところを失うことなきのみならず、またその無き所と増すことにあり、いま急いで武備を修め、艦ほぼそなわり、砲ほぼ足らば、すなわちよろしく蝦夷を開墾して諸侯を封建し、間に乗じてカムチャツカ・アラスカを奪い、琉球を諭し、朝覲会同すること内諸侯とひとしからしめ、朝鮮を責めて質を納め貢を奉ずること いにしえの盛時のごとくならしめ、北は満州の地を割き、南は台湾・ルソンの諸島を収め、次第に進取の勢を示すべし』と述べている事実を無視できない。」
・侵略の歴史と連帯の歴史?
・「民衆」と未発の契機

「植民地社会の日本民衆の中に、上から与えられた侵略と支配の思想に完全と逆らって朝鮮jんとの連帯を思考したと言える層はどうしても見付からないように思われる。このことは同説明されるべきか。色川大吉氏のいう『未発の契機』という視点が説得的であるように思われる。歴史は正しいものが勝つとは限らない残酷な過程である。・・・結果論的に勝ったものが『官軍』であると確認するだけの歴史研究なら、無意味どころか有害でさえあり、埋もれてしまっている未発の契機を探り当てることにこそ意味がある、と」
「かつての民権派が朝鮮問題を語り始めるのも、国内での苦しい正面対決をあきらめ、妥協したときがほとんどだった。代表的な例が大井健太郎である。」

・からめとられた中で

※著者は最後の章で自分の祖父のことを語っているが、私は祖父(父方の祖父)について全く知識がないことに気がついた。いままで、祖父といえば母方の祖父の話であった(それも遠い思い出になっているが)。

「朝鮮を通してみた天皇制の思想ーーさめた視点」1983年
・はじめに
・皇民化教育の詐術

「よく知られいるように、関東大震災のさいの統治者たちは、真っ先に天皇の安否を確認すると同時に、『朝鮮人の暴動』という全くのデマを流布することで民心の動揺を沈めようと思いつき、その結果、軍隊・警察と『自警団』の手にかけられた朝鮮人犠牲者の数は6000人にのぼると言われる(姜徳相『関東大震災』中公新書)。」

「一、私共は大日本帝国の臣民であります
二、私共は互いに心をあわせて 天皇陛下に忠義を尽くします
三、私共は忍苦鍛錬して立派な強い国民となります
右は『皇国臣民の誓い』(国民学校用)であり、別にこれと同主旨の一般及び上級学校用の『誓詞』もあるが・・・」

・天皇はえらい、えらいは人間、人間はわたし・・・・
・民族差別の根源と天皇制思想


「亜州和親会をめぐってーー明治における在日アジア人の周辺」1977年
・だれが主導したか?
「直接亜州和親会について具体的に述べたほとんど唯一の資料である竹内善朔氏の『明治末期における中日革命運動の交流』と題する講演記録(『季刊中国研究』5号所収。1948年)」
・清国留学生の状況
・亜州和親会の約章と活動
「当時の日本の権力支配のもとでは、ある意味では社会主義を一般に語ること以上にアジア諸民族の反帝連帯を語ることのほうが危険であった」
・亜州和親会に参加した各国人
・朝鮮人民族主義者の不参加問題
・亜州和親会その後