2010年6月10日 木曜日


5:15 起床ーーー 5:30~6:40 散歩ーーー・6:40~7:00 庭みずやりーーー・朝食 おさつまーーー09:00~10:00  昨日の日記の書き込み
10:30~13:00  『梶村秀樹著作集 第1巻』 Ⅲ 在朝日本人 に入る。ーーー13:20  昼食 ごはん 刺身 おさつま --ー14:00~14:45 読書続き その後サンシン練習
ーーー夕食 カレーライスーーー寝室で「刑事コロンボ」を見て10時過ぎ就寝


本日の読書 『梶村秀樹著作集 第1巻』Ⅲ 在朝日本人から

「植民地朝鮮での日本人」1978年

◎3・1運動下の日本人

・感動の情景

・心細さと残虐さ

・大空詩人・永井叔氏の原点

 「私の知る限り、この時点で、自分の存在を賭けて植民地支配を否定し、3・1運動の心を理解しようとした日本人は永井叔ただ一人である。
 クリスチャンとしての反軍思想から反抗して青山学院を放校された永井叔は、1918(大正7)年12月ソウル龍山の78連隊に入隊させられ、ちょうど初年兵教育が終ったころの1919(大正8)年3月
、『統治された朝鮮同胞への愛(同)情を胸いっぱいに持ちながら、いやいや”暴動鎮圧”にもついていき』、歩哨に立ったり、看護卒をつとめたりしていたが、いたたまれず、同年歳末ころ脱営を計って、これをとがめた上官を軍靴で蹴りつけ、さらに抜剣してきりかかって、二年間の柔営巣に書せられた。そして軍獄のなかで自分の生き方を考える。
『・・・・・そこで私は(大正9(1920)年3月13日ーーーこの日は私にとってとうてい忘れることの出来ない日であったが、次のような決心をした。生涯、命のある限りは、バイオリンまたはマンドリンを掲げて托行し、路傍で、よしんば犬の如くまたジプシイの如く朽ち果て、行き倒れしようとも、ただ人の世を慰め、かつ救い、この穢塵世へ天の幸福と絶対平和をもたらすために、せめもはじも死も滅びも耐え忍ぼう・・・』
枯れは、この日に決めた大空詩人永井叔としての生涯を貫いて、1977(昭和52)年春、東京でなくなった(80歳)。この方法では、自分は救えても社会は変えられないではないかと批判することはやさしいが、その前に3・1運動の心に耳を傾けようとしたその真剣さに学ぶべきだろう。永井叔氏をほとんど唯一の例外として、自ら心を閉じて、朝鮮民衆の心を理解することを拒否した在朝日本人とは、いやすべての日本人とは、何者だろうか?」

永井叔氏とは
生まれた年・場所 明治29年1月19日松山市唐人町三丁目の三
乗松雅休は義叔父

「緑光土」1925(大正14)年8月発行

関係図書
アイヌの歌人違星北斗
永井叔氏と野尻抱影
さすらいの大空詩人永井叔(上)
さすらいの大空詩人永井叔(中)

◎在朝日本人の存在形態

・人口を職業構成

「在朝日本人の人口は、植民地統治の末期には、ゆうに日本の小さな府県くらいの規模に達していた。」→1942(昭和17)年で75,2823人
1945(昭和20)年人口(77万人台以下の府県)は、奈良県77,9675人、高知県77,5578人、福井県72,4856人、鳥取県56,3220人(沖縄県不明)である。

・出身地と地域分布

1912(大正1)年   山口(26,026人) 福岡 長崎 広島 大分 熊本 佐賀(10,141人) 岡山(9,050人) 愛媛(8,046人) 大阪(7,606人)
1925(大正14)年  山口(40,073人) 福岡 広島 長崎 熊本 大分 佐賀 岡山 鹿児島 愛媛(12,167人)
1933(昭和8)年   山口(51,019人) 福岡 熊本 長崎 広島 大分 鹿児島 佐賀 岡山 愛媛(15,800人)
1939(昭和14)年  山口(53,498人) 福岡 熊本 長崎 広島 鹿児島 大分 佐賀 岡山 愛媛(19,166人)

◎在朝日本人の意識と行動

・一旅行者の見た植民地風俗

・露骨な侮蔑

・朝鮮の「愛」し方
「昭和の二十年間を『京城帝国大学』教授として過ごした安倍能成(松山市大街道出身の『槿域抄』」において「彼は決して(朝鮮人に対する)侮蔑を表明しない。それどころか、在朝日本人官民の偏狭さを指摘しつつ日本文化の限界性を批判・克服しようをし、同情する観点から朝鮮人にかくあれと忠告する言葉も随所に見られる。・・・だがこの本の中で安倍が愛しているのは、弔意線の風物であり、自然であり、物見遊山に出かけた名所旧跡に過ぎない。二十年も朝鮮に住んだ人なのに驚くほど生身の朝鮮人との直接の接触が少ない。出てくるのは、通学の途上での行きずりの見聞、旅行の際に偶然ふれた場面それ以上ではない。

・反帝闘争とかかわった極少数者

1930(昭和5)年前後の朝鮮で社会主義的な反帝闘争にかかわった人々。「わかっている範囲で、教員労組事件の上甲米太郎(八幡浜市出身)、『城大反帝同盟事件』にかかわった日本人学生市川朝彦(本籍、秋田市楢山末無町)、桜井三良(本籍、奈良県宇智郡牧野村)、平野而吉(本籍・山口県吉敷郡大内村)、平壌赤色労組事件の中心人物の一人と目された米川秋穂などの名を上げることが出来る。」  上甲米太郎(朝鮮・慶尚南道泗川郡昆明公立普通学校校長)

・自己否定による再生

・なつかしいといってはならぬ


植民地支配者の朝鮮観(1981年)

・自己合理化の感情

・煙に巻く「教科」の論理

・戦後の継承と変形


旧「朝鮮」統治はなんだったのか (1986年)

・なんの差別もなく?

・事実の誤り

・近代化に心血をそそいだ?

・植民地支配肯定論の伝承

・植民地支配をごまかすな!