2010年5月19日 水曜日


7時半起床。


午前中読書



午後2時間ほど表の藤棚の手入れと後始末



午後4時からテレビで大相撲見物



夕食後テレビを見る



8時にベッドに入ったが、一度起きて9時に就寝



今日の食事
朝 ごはん 自製卵焼き タマネギサラダ
昼 (テレビで料理番組をみて)やきそば
夜 ごはん サバ料理 小松菜と厚揚げ ソラマメ


今日の読書 「近代植民地都市 釜山」

「第4章 朝鮮鉄道における軍事輸送と釜山」
        ーシベリア出兵、満州事変を中心としてー

「はじめに」
本章の課題=研究が空白となっている1910年代末から30年代中庸における朝鮮鉄道の軍事輸送

「第1節 日清・日露戦争における軍事輸送」

1 日清戦争における軍事輸送

日清戦争における日本陸軍の輸送では、韓国及び清国の戦場地域には鉄道はまだまったく敷設されていなかった。

2 日露戦争における軍事輸送の計画

開戦時の鉄道

漢城(京城)ー仁川間の京仁鉄道開通(1899年に仁川ー永登浦間、1900年に永登浦ー西大門間)。京釜鉄道の南部一部区間で営業開始。

清国においては、ロシアのシベリア鉄道から分岐した東清鉄道が満州を縦断し旅順大連に達し、この路線はロシアが掌握していた。

日本は、朝鮮半島を縦貫する鉄道路線が存在すれば、自己の弱点をかなり緩和できる状況だった。そこで日本は日清戦争以後、韓国に対して鉄道建設の利権を一貫して要求し、日露開戦直前に京釜鉄道達成命令を発し、開戦と同時に軍用鉄道京義線の敷設を強行した。

3 日露戦争における軍事輸送の実施

満州方面に投入された日本陸軍部隊の大半は、初期には仁川以北の黄海沿岸諸港に上陸し、後には直接遼東半島各地に上陸した。日露戦争における日本陸軍の直接参戦人員約100万人(軍属5万人を含む)のうち、輜重兵が26万人(うち輜重輸卒25万人)を数えた。

「第二節 鉄道軍事輸送の法制と運用」

1 「満鉄会社線戦時輸送規定」

1920年作成の参謀本部「大正十年度満鉄会社線戦時輸送規定」には

満州方面に派遣される「帝国陸軍はその主力を朝鮮方面より、その一部及び軍需品を大連方面から輸送す(第3条)」。
「輸送軍隊の主要なる乗車地は釜山(草梁及び釜山鎮を併用す 以下同じ)及び大連とし、主なる下車地は長春とす(第4条)」

と明記されている。

2 「戦時鮮満鉄道運用規定」



「第三節 シベリア出兵における軍用輸送」

1 シベリア出兵派遣部隊の輸送

1918年8月から22年10月にわたるシベリア出兵の兵力動員規模は日露戦争以後満州事変以前では最大のもので、派兵地域も極東ロシアにとどまらず満州北部から樺太にまで及んだ一大侵略戦争であった。

・・・結局のところ、日本軍の作戦行動は鉄道による移動が可能なシベリア鉄道沿線と主要都市にほとんど限定された。これと同様な事態は、中国大陸の点と蟾の占領にとどまった日中戦争でも再現された。

シベリア出兵における軍事輸送
①主経路1 海路直接ウラジオストックに上陸し沿海州へ。一部はウスリー鉄道を利用してウスリー地方へ。
②主経路2 釜山上陸後、朝鮮鉄道京釜・京義両本線、南満州鉄道安奉線、南満州鉄道本線を経由して満州北部に至り、さらに一部は東清鉄道・シベリア鉄道を経由してザバイカル地方の戦場に達する経路
③大連上陸後南満州鉄道本線を経由して満州北部に至り、その後(上と)同様に戦場に達する経路
の3経路が活用された。

派兵初期の軍隊派遣船舶輸送統計によれば
1)1918年8月中旬~10月前半にかけて、先行したウラジオ上陸分は人員2万人・馬匹約8000頭・材料1万1000トン
2)8月末~11月上旬にかけての釜山上陸分は、約1万6000年・約1万頭・約1万トンとなっている。

2 朝鮮における鉄道軍事輸送

略 

3 軍事輸送と釜山港

シベリア出兵の初期動員に当たる1918年8月27日から11月19日までの期間に釜山に上陸したザパイカル・北満州方面派遣部隊は、合計70回にわたって宇品港から輸送船で運ばれてきた。

4 軍事輸送と釜山府民

植民地期の釜山には、日本陸軍の師団や連隊たど常設部隊は衛戍しておらず、大量の将兵が宿営できる弊社などは設置されていなかったので、彼等は旅館・料理屋のほか、一般家庭(おそらく日本人居留民宅)にも宿泊し、当時の釜山市民(総人口6万300余のうち日本人は約7000戸、2万8000人)にとってはその受け入れが大問題のなった。

宿泊を拒否しまかないを怠った府民は「非国民」として指弾された。

「第4節 満州事変における鉄道軍事輸送(1931年~37年)」

以下略す